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第82話

俺達が降り立ったのは、季節問わず観光客で賑わう町、広島。 そういえば学生時代に修学旅行で来たような、来ていなかったような。特に記憶に濃く残っているわけでも無いが、それなりに賑やかな街並みだった気がしなくも無い。 が、一体何が起きてこんな場所に居るのか。 人の波に乗り、ぐんぐん前へ進んで行く法月の背中を重たい足取りで必死に追いかけた。 俺の秘密を知る由もない法月は階段を降りるも一苦労の俺を他所に、そこかしこに貼り付けられた名産の菓子の看板を眺めながら社員への土産だの何だのと呟いている。 「…竹内さん、もしかしてあまり運動はお好きではありませんか?息が切れていますけど…。」 「……そう思うなら上司の鞄の一つでも持ってくれると助かる。」 「はい。喜んで。」 「……。」 お前にはわからないだろうな。 人より20cmほど足の裏から地面までの距離が離れている上に、自宅から300m先にあるコンビニすら車で移動する俺の気持ちなど。 階段の登り下りくらいは慣れているはずだったが、キャリーケースと資料を山盛りに詰め込んだ鞄を持ち上げての移動となると訳が違う。 普段通りのバランスの取り方ではグキっと足首をやってしまいそうなんだよ。だがそれを人に見られるととても…そりゃとても厄介な訳で。 俺のグキっは側から見ればボキっなのだ。何せ、俺の足首の位置は皆の思う脛の辺りに存在するのだからな! …くそ。生まれながらにして身長という素晴らしいものを兼ね備えた法月に一発蹴りでも入れてやりたい。 だが、俺の爪先は現在大変分厚さを持っている。これを全力で食らわしてしまえば法月のような細い足腰では耐えられる可能性は1%にも満たないだろう。 ……不本意だが、ここは素直に甘えておくしかなさそうだ。 いつの間にか見知らぬ地へ辿り着いていた事が相当な驚きを伴っていたお陰か、俺の脳内の9割9分を占めていた佐々木の存在がようやく姿を消し……てはいないが、隅の方で小さくなってくれていた。 少しずつ思い出す、先日の社内での会話。 確か世話になっていた取引先が会社を畳むだの何だので、礼がしたいとか何だとか。ついでに支店の様子を見てこいだとか言っていた気がするな。 法月に案内を任せ、殆ど無意識でありながらもご丁寧に纏め上げられている自作の資料をタクシーで眺める。随分と会社に飼われるくだびれサラリーマンに成り果てたものだ。だが法月が居なければ、俺はあのまま博多辺りで呆然と立ち尽くしていた事だろう。 そればかりは、この憎たらしい容姿の胡散臭い笑みが似合う変人部下に感謝しなければならない。 「…そうそう、お客様に取っていただいた旅館。一人一部屋だそうですね。僕安心しましたよ。」 「…?」 「だって、もし相部屋なんかにされてしまったら 愛しさと嬉しさのあまり竹内さんに何をするかわかりませんからね。」 あぁ、そうだ。 そういえばコイツが俺の事好きなの、忘れてた。 温泉宿。それも観光地にあるご立派な旅館。 健全な20代男性が想いを寄せる人間と相部屋にでもなれば、何か間違いが起きたとておかしくないのだ。 …瞬間、資料を握る手にぶわっと嫌な汗が噴き出たのは言うまでもない。 お客様は神様だとはよく聞くが、まさかこのような場面でその言葉に納得するとは思いもしなかった。何事もなくこの旅行……いや、出張を終えられる事を願うばかりだ。

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