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長い冬と約束の春(4/10)
彼の乗った船は、やはり、昼過ぎに港に入った。
私は、期待と不安が同じくらいに積み重ねられた心のままで、前と同じように彼を出迎えた。
「遠路遥々、ようこそおいでくださいました」
長いドレスの裾を上げ、なるべく優雅に一礼する。
「アリィ、出迎えありがとう」
彼の低い声が、優しく、柔らかく降ってくる。
心臓の音がドキドキと煩い。
顔を上げると、ふわふわと柔らかそうなたてがみを揺らした、美しい白獅子が立っていた。
小さな丸い耳が、私の声を聞き漏らすまいと揃ってこちらを向いている。
白い瞳が私を包むように、真っ直ぐ見つめる。
その瞳に、ほんの少し不安の影が過ぎった。
彼も不安だったのだろうか。
私と、同じように……?
「……心より、お待ちしておりました」
自然と口から言葉が零れた。
この人を安心させたくて、私は微笑む。
彼は一瞬驚いたように目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「変わりなかったか?」
「はい。シャヴィール様も……お元気そうで、何よりです」
久しぶりに彼の姿を見て、私は自分がどれだけ彼に会いたかったのかを知った。
少しでも気を抜くと涙がこぼれてしまいそうな程に、彼にまた会えた喜びが胸に溢れていた。
船旅は予定通りに行かないこともある。
そのため、挙式まではまだ一週間以上の時間があった。
なるべく早く、彼に伝えないといけない。
それは分かっていたけれど、彼の太い腕に手を預けて、彼の隣を歩いていると、彼の体温が伝わってきて……。
ヴィルの匂いと熱に包まれているようで、頬が弛みそうになるのを堪えるので精一杯だった。
「こちらが、シャヴィール様のお部屋です」
新しく用意された部屋は、客室ではなく、彼がこの先ずっと暮らしてゆくために用意されたものだった。
部屋に入ると、ヴィルの従者が素早くあちこちを点検し始めた。
それに、ノクスも付き合っている。
あの二人は、一体どういった間柄なのだろうか。
会話は必要最低限という感じではあるが、時折顔を寄せてヒソヒソとやりとりをする様は、知り合いというよりも、もっと親しげに見える。
そんな事を考えているうちに、お互いの従者はそれぞれの後ろに控えなおした。
ヴィルは、その従者の頷きを得ると、私をまっすぐ見て言った。
「二人きりで、話がしたい……」
その白い瞳は、どこか縋るように私を見つめている。
私は、彼の言葉に頷いた。
***
ヴィルの部屋には、大きなソファが設えられていた。
獅族の大きな体をすっぽりと包んであまりあるほどの幅で、一人掛けのものが二つと、三人掛けのものが二つ。
彼が仲間を呼んだ際、部屋でもてなせるようにという配慮だろう。
ヴィルは私の手を引いたまま、三人掛けのソファの前で立ち止まり着席を促した。
示されるままに腰掛ける。
座面が大きすぎて、私の背は背もたれに遠く届きそうになかった。
「隣に掛けても?」
ヴィルに短く尋ねられて、頷きで答える。
ホッとした様な表情を一瞬見せて、ヴィルは私の隣に腰掛けた。
獅族の体重に合わせて作られたソファは沈みすぎることもなく、私は彼の方に傾くこともなかった。
それをなんだか少し残念に思ってしまってから、そんな風に思った自分を恥じる。
赤くなりそうな顔を見られたくなくて、俯いた私に彼が尋ねた。
「アリィ……俺の顔は、見たくないか?」
彼の声が驚くほど弱々しく聞こえて、私は慌てて顔を上げる。
「いっ、いえ!! 決してそのような……」
じっと、こちらを見つめる瞳に囚われて、私は言葉を失う。
その瞳はひどく悲しげだった。
「俺は……、お前に笑っていてほしい。もし、俺がそばに居ない方がお前の気が楽なら、お前の心が落ち着くまで、お前がその気になるまで、いつまででも待つ」
「……っ」
傷付けてしまったのは私なのに。
彼はまだ、私を優先しようとしてくれていた。
「こないだは、怖がらせてしまって……悪かった」
彼の丸い耳が、尻尾が、しょんぼりと力なく項垂れる。
「ち、違いますっ。悪いのは私の方で……っっ」
私の訴えに、ヴィルが、何故か不思議そうな顔をする。
「私が……、私が、貴方の優しさに甘えてしまったんです……。本当は、最初に話しておかなければ、ならなかったのに……」
「……なんの話だ?」
ヴィルの声に、びくりと肩が揺れる。
「わ、私……は…………」
そこまでで、言葉は涙に変わってしまった。
彼の前ではもう泣くまいと思っていたのに。
再会したその日に、またこんな失態を……。
ギリっと小さな音がして、ヴィルが心を痛めてしまったことを知る。
「……嫌だったら、断ってくれ」
「え……?」
「お前に触れても……、お前を、抱き締めてもいいか?」
私が頷くと、彼は私をふわふわの胸元に包み込んだ。
彼の体温と匂いに、ひどく安心する。
「ヴィル……」
私の口は、彼の名を呼んでいた。
「アリィ……。俺では、役に立たないかも知れないが、困っていることがあるなら、何でも話して欲しい」
そっと、耳元で囁くような彼の声。
私を気遣うその声に、私は問うていた。
「ヴィルは……アンリが好きなんでしょう?」
「?」
ヴィルが顔を少し離して私を見る。
それは、何を尋ねられているのかよく分からないという顔だった。
「私が……私がもし……」
そこから先はまた涙に変わってしまう。
早く……早く、彼に伝えなければいけないのに。
「……ゆっくりでいい、時間はたっぷりある」
彼が慎重に爪を引っ込めた手で、私の涙を拭う。
私は必死で伝えた。
「わた……私……が……、もう……アンリではないと……したら……っっ」
「?」
彼はもう一度、よく分からないという顔をした。
「私の体は……、もう、男のものではないんです……」
彼は僅かに眉を寄せた。
そのささやかな仕草だけで胸が抉られるように痛む。
「けれど、女のものでもなくて……私は……もう……」
ヴィルは私を、生成色の胸の奥に、深く押し込めるように抱き締めた。
「私は……っ、もう、アンリにも戻れない、姉にもなりきれない……不完全で、歪な存在なんですっ」
「そんな事、誰が言ったんだ」
言われて、私は戸惑う。
誰……と言われても、誰かにそう言われたことは、今まで無かった。
「お前にそんなこと言う奴がいるなら、俺がその喉笛を食い千切ってやる」
恐ろしげな言葉に、ふかふかの毛の合間から、彼の顔を見上げる。
「もし、そんなことを言うのがお前だけなら……」
ぱち。と目が合って、私の口は彼の言葉を繰り返した。
「だけなら……?」
彼は、ニッと口端を上げて不敵に笑う。
そこから、尖った歯がズラリと見えた。
「俺が、そんなこと二度と思わないくらい、愛してやるよ」
「……っ!!」
艶やかな彼の笑みに、息が詰まって顔がみるみる赤くなる。
それでも、私を見つめるその瞳から、どうしても目を逸らせなかった。
「キスしてもいいか?」
頷いた私の顎に、彼の手が滑り降りて、ふかふかの海から引き上げられる。
そっと重ねられた彼の厚みのある唇は、何よりずっと、柔らかかった。
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