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第62話 ネガティブ勇者、疑念を抱く

 現れたのは、まさに精霊と言わざるを得ない風貌の美女。  水で出来た体。清らかな魔力。言葉を交わすことすら躊躇ってしまう。 「ゆ、勇者、って……僕を、知ってるの?」 「んー? 少し違うわね。私が知ってるのは勇者。貴方個人を指しているわけじゃないのよ」  精霊はクスクスと鈴を鳴らすような澄んだ声で笑う。 「今までの勇者も皆、同じ魔力を秘めていたわ。だから分かる。その内なる力、心の闇。傷だらけの体」 「……え?」 「ふふ。懐かしいわね……それで、そんな勇者様御一行が何の用かしら?」  精霊の言葉が少し引っかかるが、ここに来た目的を果たすために精霊の涙を求めてることを伝えた。 「なるほどねぇ。精霊の涙があれば悪しきものから身を守ってくれる。毒も麻痺も呪いも無効にできる」 「それで、精霊サマはそれを俺らにくれるのかい?」  リオの問いに、精霊は口角を上げて微笑んでみせた。 「そうねぇ。あげてもいいわ、勇者はこの世界の希望だものね」 「ほ、ほんと?」 「ええ。でも、見極める必要がある」  精霊はそう言うと、水面から体を伸ばしてナイに近付いた。  頬に精霊の手が触れ、その冷たさにビクッと体を震わせた。  鼻先が触れそうなほど顔を近付けられ、ナイは深海のような蒼い瞳に見つめられて身動き出来なくなる。 「我らが勇者。可哀想な可哀想な勇者。貴方に、護るべきものがあるのかしら?」 「……え?」 「勇者は護るモノ。希望へと導くモノ。貴方にはその意思がある? 魔王と呼ばれるモノと戦うことができる?」  精霊の問い掛けにナイは何も言葉が出なかった。  戦う意思はある。だけど、護りたいものがあるかと言われたら、答えられるものはない。  喉が酷く乾いてる。張り付いて、声が出ない。 「可哀想な子。失うものが無いからこそ、貴方は勇者になれる。でも、護るものがない貴方に、何が出来る?」  まるで海の底にいるかのような息苦しさを感じる。  溺れる。暗い、暗い海の底で、溺れてしまう。  足掻こうにも体が動かない。声が出ない。  護りたい意思がない自分には、勇者なんて名乗れないのだろうか。 「ナイ」  突然、目の前が暗くなった。  温もりを感じる。誰かに目元を手で覆われている。 「ナイ。私の声が、聞こえますか」 「……レ、イ」  後ろからレインズがナイを目隠ししている。  耳元で囁かれる言葉に、ナイは目を閉じて彼の声に集中した。 「貴方の手に何も無かったとしても、護りたいものが無かったとしても、それが貴方が戦えない理由にはならない。何も出来ない理由にはならない」 「……レイ」 「何もないその手だからこそ、何かを掴める。私はそう信じてます」  レインズの言葉に、ナイは海底でようやく体を動かせるようになった。  何もない。だから、深い海の底でも動ける。  何も枷のないこの体だから、海上へと泳ぐことが出来る。  ナイは暗い海の中で、一筋の光を見つけた気がした。 「へぇ。王子様、貴方は勇者の光になるのね」 「ナイが、望むのであれば」 「何かを手にするということは、失うものが出来るということよ。それでも、いいのかしら」  その言葉に、違和感を覚えた。  失うものが無いとはどういうことだ。  ナイは息苦しさに藻掻きながら、ふと疑問に思った。  失うものが無い。それは、護るものすらないということではないのか。  その矛盾は何なんだ。  ナイはレインズの手を退けて、目の前の蒼い瞳を見つめた。 「良い答えね」 「……ど、ういう、ことです、か?」 「勇者は、とても可哀想な子なのよ。今までもそうだった。きっと、貴方は悲しい選択を迫られる。そのとき、貴方は答えを選べないかもしれない」 「……あなたの言ってる意味が、わからない、です」 「そうでしょうね。今はそれでいいわ。でも覚えておいて、降谷ナイ。貴方は、希望なのだと」 「……僕が、希望?」  精霊が微笑むと、その瞳から光り輝く結晶が零れ落ちた。  海の青さを凝縮したような美しい宝石。 「……精霊の、涙」 「時空《とき》の大精霊は貴方を見てる。大いなる闇を、見守っている」 「や、み?」  精霊の言葉が何を意味しているのか分からない。  ただ、目の前の彼女はどこか悲しそうだった。  この世界にとって、勇者という存在が何なのか。  この世界にとって、魔王という存在が何なのか。  考える必要があるのかもしれない。

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