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第90話 ネガティブ勇者、消える

「な、なんだこれは……」 「っ、くそ……ナイ、ナイ!」  レインズはナイに向かって呼びかけるが、返答はない。  周囲は闇に飲まれ、少年の声が四方から響いてくる。  この闇全てが魔王そのものと言ってもいいだろう。何人もの異世界の少年を闇に落としてきた、 「失うものがなければ悩まずに済んだのにね、ユウシャサマ。大切なものなんか作るから、利用されるんだよ。かつての勇者達と同じようにね」  ナイの頭の中に影が侵入してくる。  頭を掻き乱し、心の中に踏み込んでくる。  利用される。失うものがなければ。  魔王の放った言葉の意味が分からず、ナイは困惑する。  何をするつもりなんだ。  土足で心の中を踏み荒らされていく感覚。  怖い。入られたくないところに、何かが入ってくる。 「さぁ、ユウシャサマ。心を解放しよう。君の深い闇を、大切な大切なオトモダチに見せてあげようよ。隠し事なんて、もう必要ないでしょ?」  心を鷲掴みされたような、そんな感覚が襲い来る。  暴かれる。ずっと隠してきた元の世界のこと。自分の過去。  見られたくない。知られたくない。  汚れた自分のことなんか。 「いや、だ。いやだ……!」  ――見ないで。  そんなナイの願いが届く訳もなく、黒い影が二人に記憶を共有しようとする。  ナイがずっと見てきた悪夢。ずっと苦しめてきた、地獄の時間。 「さぁ、ユウシャサマ。本当の君を、見てもらおう」  海に沈むように、レインズとアインの体が闇に落ちる。  深い底。そこにあるのは、ナイの記憶。  映画のフィルムのように、いくつもの映像が二人の前に表示される。  幼い頃のナイが母親に暴力を奮われ、義父や知らない男たちに犯される毎日。  抵抗していた幼少時。  そしていつしか心が死んで、そんな日々を受け入れていく。  ――見ないで。  たくさんの男達に囲まれて、人形のように扱われる毎日。  性欲処理に使われ、真っ白に汚されていく体。  笑いものにされ、欲の捌け口にされ、擦り切れていく心。  ――見ないで。  血を分けた親に人間扱いされず、殴られ、死なれたら面倒だからという理由だけで生かされていた。  都合のいい駒になるために。  ――見ないで。  人間じゃなかった。  人として扱われたことなんかなかった。  愛されない。  愛されたらいけない。  こんな、汚い自分なんか。 「見ないで。見ないで。見ないで。見ないで。見ないで!!」  ナイの悲痛な叫び声が暗闇に響く。  周囲の暗闇がナイの体に吸い込まれていった。  もう少年の声は聞こえない。  もう、勇者の姿もない。 「……ナイ?」  闇の晴れた王の間。玉座の前に彼はいた。  呆然と立ち尽くすナイに、レインズが声をかける。  あまりにも静かで、怖くなる。  今のナイがどうなってしまったのか、何も分からない。  レインズはナイへと一歩近付いた。 「…………来ないで」  ナイがポツリと呟くと、彼を中心に衝撃波が走る。  レインズとアインはそれに弾かれ、ナイに近付くことが出来なかった。 「ぐあっ!」 「っぐ!」  壁に背中を強打し、二人は痛みに顔を歪ませた。  だが今は、自分の痛みなんかよりも大事なことがある。  目の前にいる、さっきまで勇者だった彼のことだ。  彼の周りに渦巻く黒い影。  光の失くした瞳。  外見が変わった訳じゃないのに、何かが違う。 「…………いら、ない」  何も変わらない声音なのに、恐ろしく、酷く痛々しさを感じる。 「もう、何も……いらない……」  ナイの足元が黒く染まり、体が沈んでいく。  闇の中に、消えていく。 「ナイ!!」 「勇者!」  二人は駆け出すが、間に合わない。  闇に落ちていった勇者を、救えなかった。  もういらない。  元の世界も。この世界も。

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