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エピローグ

 私の仕事には守秘義務というものが大きく関わってくる。  護るべきは警護対象となる人物ただひとり。彼らを護るためには、己の人間性さえも捨てることになる。勿論家族だろうと友人だろうと、仕事の行き先さえも口にしてはいけない。  人の口に戸は立てられない。悪気がなくても情報は洩れる。だから、絶対に誰の警護をするのか、どこに行くのか、私たちは漏洩してはいけない。  ……それなのに。 「――どうして、ここが、わかったんですかサイラス……!」  十日間の仕事を終え、送ろうかというケントの申し出を断り歩き始めた直後だった。夜の街並みの中に颯爽と立つ恋人を見つけ、心の底からうろたえてしまった。  流石にホテルから出た直後、というわけではないが、それでも数百メートルの距離だ。家からも遠いし、彼の職場からも勿論遠い。偶然出会った、という言い訳はできない筈だ。  手元の文庫にしおりを挟んだサイラスは、ふう、と白い息を吐く。 「お疲れ様ぁシャオフー。いやー今日も寒いねNYの冬はほんと嫌だよなんかぺきぺきしててさ。空気がね、ぺきぺきしてる。あ、それ着替え? おれ持つよー」 「……あの、何故ここがわかったのか、まず教えてください。私は寝言で仕事の情報を漏らしていましたか?」 「きみは寝言とか言わないし寝相もキレイだよ? えー、だってほら、三日前のニュースにチラッと映ってたじゃないの。レッドカーペットのやつ。アジアの歌姫さんだっけ? そしたら後はほら、ツテをたどってSNSを探して滞在先のホテルを調べてー……」 「めざとい……どうして、その、ピンポイントでめざといんですかあなたは……」 「タイミングがいいって言ってほしいなぁ。……ちょうどいいから一緒に花でも選んでから行こうかな、って思ったんだけど、迷惑だった……?」  迷惑ではない。迷惑ではないが、びっくりするのでせめて待ち合わせの連絡をしてほしい、とお願いすると、そっか連絡したらよかったねと素直に反省してくれた。  基本的に彼は素直だ。すぐ謝るし、すぐに反省する。  ただ、物事を考えながら動いてしまうらしく、口より先に行動してしまいがちらしい。たまにその突飛すぎる行動にひどく驚くときがある、が、私と彼は良好な関係を続けていた。  今日は彼の会社のクリスマスパーティーに呼ばれている。まだ十二月は半ばだが、年末にかけては私も暇がなくなるので、個人的にはありがたいタイミングだ。  なんと彼らは、祝いの会を開くのは初めてだという。  どうも新しい会社を立ち上げてからはそれなりに残業も少なく調節できているらしく、全員暇になったら何をしたらいいのかわからなくなり、そうだホームパーティーをしよう、という流れになったという話だ。  なんというか、単純なのか残念なのかわからないが、とにかく愛おしい人たちだと思う。 「シャオフー、クリスマスはやっぱり仕事だよねぇ?」  さらりと手を握られ、私も冷たい指を握り返す。  サイラスは外でも特にゲイだということを隠さない。私もできうる限り彼の手を握っていたいので、これ幸いと人目を気にせず寄りそった。 「いまのところ仕事の予定です。クリスマス時期はどうしても、各種パーティーや催し物が多いので」 「だよねぇ。セレブがスキャンダルぶっ飛ばす時期だもの。そりゃきみは忙しい」 「ですが、年始を過ぎれば多少は暇です。どこか旅行にでも行きますか?」 「わあ、いいねー行きたい行きたい。けど、それまでにうちの雑誌が順調に発行できてたら、かな。第一号の売れ行きはマシなんだけど、もーおれ経理ほんと駄目で、これで採算とれてんのか不安過ぎて吐きそうよ」 「シンディが経理の勉強始めたんでしょう? ケントの奥さんに事務を教わっているという話を聞きましたが」 「うん、あの、頑張ってくれてるのはすごく嬉しいんだけど、いかんせんシンディ、うっかりミスがとんでもないデカさなんだよね……いやーおれが勉強しろってはなしなんだけど」 「これ以上あなたが多忙になったら私はあなたの会社を襲撃しそうです」 「え、だめだめ。折角一生懸命取り繕った会社なんだから。名前二秒で決めたけど」  サイラスが代表者として立ち上げた雑誌社は、結局ネッサローズという名に収まった。  ネッサローズの社員たちは『そのままじゃないか』と彼を責め、『そのまますぎるじゃないか』と泣いて喜んだらしい。まったくあの人たちらしい。 「あ、シャオフー花。花買ってこ」  雪のちらつく街角の花屋を指さし、サイラスは小走りになる。 「わー早くしないと閉まっちゃう……ええと、何がいいんだろ、ポインセチア? でも鉢は管理に困るよねぇとりあえず薔薇買っとけばいい?」 「種類はどれでも、きっとみなさん喜んでくださいますよ。テーブルに花があると華やぎますから」 「うーんなんでもいいって言われちゃうと迷う……あ、百合いいね。匂いきつい? いやーでもそんな繊細な連中じゃないし、気にしなくていっか。百合さぁ、シャオフーっぽくて好きだな、おれ。うん、百合にしよー」  花も、クリスマスも、すべて私の人生とは無縁のものだった。  家族はいない。家族になるはずだった人も失くした。特別不幸だと感じることもなかったが、幸福だとも言い切れなかった。  レイチェルの誕生日に贈ったついでに、私もオズの魔法使いを買った。彼女はミュージカル映画をいたく気に入ったというので、ならば原書を買ってはどうかとサイラスがアドバイスしてくれたものだ。  カンザスから突風で飛ばされた少女の冒険は、最初に手にした靴を鳴らして終わる。踵を三回。それがわが家に帰るための魔法だ。  いつも、自分には家がないという気持があった。  けれど今は、踵を三回鳴らさなくても帰れる家がある。  少し意地を張りそうなとき。プライドを優先させそうなとき。うっかり嘘や虚栄が口から出そうなとき。私は唱える呪文がある。  彼が作った、つぎはぎだらけの、ちょっと他から拝借してごちゃ混ぜにしただけの魔法の言葉。  これを唱えると、世界のどこかで、私ではない誰かが素直になる。  そのついでのように、自分も素直になる勇気を少しだけひねり出すのだ。  ホーカス・カダブラ・バビディ・ブー。  世界のどこかで知らない誰かが、少し素直になりますように。  願わくは、少しハッピーになりますように。  私は呟き早足の彼の手を握りしめた。 End お付き合いいただきありがとうございます。サイラスとシャオフーたちに、何か一言でもいただけたら嬉しいです。

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