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エピソード1『ぜったい黒豹』

「ノア、いい子だ」  大きくてキレイな手がアタマを撫でる。 「とてもいい毛艶だね。まるでビロードのように心地よい」  耳に心地よいテノールボイス。  優しく囁く声。 (なんて気持ちいいんだろう) 「ノア……、気持ちいいのかい?」  絶対君主の指先が喉元をくすぐり、ノアは喉を反らして漆黒の瞳を細めた。  己の喉がゴロゴロと子猫のように音を立てている。  大樹の下で大好きなひとの膝に顎を乗せ、そのしなやかで大きな体を横たえる己の姿は『黒豹』だ。  ノアは、やっぱりなと思った。  己のメタモルフォーズは、強くてデッカくてカッコイイ『黒豹』に違いないと常日頃から確信していた。  ゴキゲンで顔を上げると、抜けるような青空を背に愛しげに見下ろしてくる息を呑むほどの美貌。  宝石のように煌めく切れ長の眼は青紫色(タンザナイト)。  足首まで長い藤色(グリシーヌ)の美しい髪。  最高位を象徴する六枚の純白の翼が彼の背を神々しく飾る。  最高上位天使(プリュ・オー・アンジュ)セラフィム・ル・ヴェリエ。  天界の絶対君主である彼はノアの飼い主だ。  ――――ああ、なんて尊いんだ。 (オレがこのひとを護るんだ。いっぱい役に立って認めてもらって、そんで、いっぱい褒めてもらうんだ――――!) 「……ア。ノア。おい、いいかげんに起きろ」 「うん、にゃ……、せらふぃ……」 「いつまで寝惚けている。起きないか、ノア・リオット!」 (――――――ッ!)  耳元で怒鳴られては、爆睡中だったノアもさすがに覚醒した。  ノアは覗き込む赤紫色(マゼンタ)の瞳を至近距離で見るなり驚き、その黒い眼をかっぴらいた。 「やっと起きたか」 「うおッ、……ウリエス!?」  表情筋の死んだ無駄に整った能面顔が、ベッドに大の字で仰向けに寝転がるノアを見下ろしていた。  ――――ウリエス・ルヴィエ。  いけ好かない第四大天使(キャトリエム・アルカンジュ)。  コイツは好きじゃない。気に入らない。  だって、コイツはセラフィムのお気に入りで、何かとひとりだけ特殊任務を任命されているのだ。  ノアには何ひとつ任せてくれないというのに。  ノアだってもっとセラフィムの役に立ちたい。  頼りにされたいし、褒められたいというのに! 「な、なんでオマエが朝っぱらからオレの自室(ピエス)にいんだよ! ふざけんなッ」  寝起きで見たい顔じゃあない。 (っていうか、メチャクチャいい夢みてたのにコイツ起こしやがって! ぜったいゆるさねー!) 「いつまで寝惚けている。ここは貴様の自室(ピエス)ではない」  ウリエスが抑揚のない声で呆れたようにそう言った。 「ああッ?」  思わず眉間にシワを寄せて食ってかかろうとするなり呑気な声が降ってきた。 「おっ。起きたかよノア。お前も早くシャワー浴びて来いよ」 「ラファイロ……!」  白金色(プラティヌブロンド)の濡れた長髪を上質なタオルで拭きながら、半裸のキラキラ男の登場だ。  ああ、さすがに思い出した。 (そうだった。昨晩はみんなとラファイロんちで飲んだんだった) 【ノア、オキロ。ノア、オキロ】  パタパタと小さな翼を羽ばたかせながら、ポイ――ン、ポイ――ンとボールのように跳ねて来てぽすんとノアの両手に収まったのはお手伝い天使(アンジュ)のエルだ。  バスケットボールくらいの大きさのエルは、白くて丸い。  そしてなぜか黄色いアヒルのようなクチバシと足ヒレが生えている。  第三大天使(トルワジエム・アルカンジュ)であるラファイロ・セドランの自室(ピエス)にしかいない謎の稀少天使(アンジュ)。  食事の用意とかを瞬時にしてくれるスゴイヤツなのだ。  なので自然と第三室(ここ)がみんなの溜まり場になっているらしい。  ちょっとモフッとしてて気持ちいい。 「なあ、持って帰っていいか?」 「ぜってえ駄目だ!」  ゲラゲラ笑う彼はノアと懇意にしている大天使で、そのキラキラした容姿に反して粗野で荒くれ者。  よくノアとつるんで暴れて天宮(パレス)の壁を壊し上位天使ケルビラに共に叱られる仲だ。  しかし、白金色(プラティヌブロンド)紺碧(アズゥー)の瞳を持つ長身イケメンの彼はモテモテの遊び天使(あそびにん)。  大変チャラッとしている。  恋天使(こいびと)ではない夜の相手がたくさんいるという噂だが、そこら辺には疎いノアにはとんと分からない。 【ハヤク、ハヤク】  エルがまたポイ――ン、ポイ――ンと跳ね始める。  エルにせっつかれてノアはのそりと起き上がった。 「今日は昼から定例会議だからな。ちゃんと身なりを整えて来いよ」 「ん~」 「おっ。元に戻ってんじゃん、ハラハラしたわ」 「今引っ込んだ。目覚めたら戻ったようだな」  ラファイロとウリエスがわけの分からないことを言っている。 「ん~、何があ?」  ダメだ。アタマがぼうっとして働かない。  寝癖でボサボサのアタマをガシガシ?きながら寝惚け眼でシャワーを借りる。 (定例会議……)  年に一度の上位天使(アンジュ・シュペリユール)五大天使(サンク・アルカンジユ)が一堂に会する会議のことらしい。  新参者のノアは今回が初参加だ。  寝過ごして遅刻しないようにと、昨晩はそのまま泊まることになったんだっけ。  会議とか堅苦しい場は苦手だ。  正直かったるい。  だが、愉しみもある。  ノアは手早くシャワーを済ませる。  ブルブルッと濡れたアタマを左右に振って雑に水気を切ると、首にタオルを引っかけて浴室を出た。  全員集まるということは、当然セラフィムもいるわけで。 (やった! セラフィムに逢える~!)  普段は王宮(アン・パレ)にいる彼にノアから逢いに行くことはできない。  彼は神出鬼没で、時々フラッと逢いに来てくれるけれど。  それこそ次はいつなのかも分からない。  今日のように必ず逢えるなんて日は珍しい。  脱衣所の磨き抜かれた大きな鏡台をヒョイと覗き込む。  普段は鏡なんて見ないけれど今日は特別だ。 「……でも、身なりを整えろって、どうしたらいいんだ?」  鏡の中のノアがこてんと首を傾げた。  夢の中では黒豹だったノアだが、今はしっかり天使型(ひとがた)だ。  キラキラと輝く意志の強そうな漆黒の瞳はアーモンド型。  襟足まである濡れた黒髪から滴が伝う。  鏡に映る鍛え抜かれた半裸は、まるでしなやかな猛獣のようだ。  戦闘に特化した光力(チカラ)。  破壊にかけては右に出るものはいないと自負している。  現に第三大天使(トルワジエム・アルカンジュ)ラファイロと戦闘訓練をして互角なのだ。  本気を出せば勝てると思う。  五大天使(サンク・アルカンジュ)の数字は光力(チカラ)の強い順に与えられているというではないか。 (オレにも早く数字を与えて欲しい。だって、オレはぜったい強えーッ!)  少々制御ができないことと、細かいことが苦手なのが玉にキズだがそれはご愛敬だと思うのだ。  セラフィム(あのひと)が望むのなら、五大悪魔(サンク・デモン)を殲滅して魔界を制圧することとてきっとわけない。 「んッ」  普段はしまってある翼をバサリッと広げてみる。  肩甲骨の下から腰にかけて生えた両翼はやはり漆黒。  ――――己の瞳・髪・翼は全て黒色(ノワール)。  何度見てもこの容姿は、魔界に住まう『悪魔(デモン)』そのものだ。  黒色(ノワール)は、天界には存在しない色彩(いろ)。  金髪碧眼がほとんどであるこの天界で、全てが異質なこの姿のせいでノアは生誕してから二百年間地獄をみてきた。  そんなノアに手を差し伸べてくれたのがセラフィムだった。 「オレは、アンタが望むのなら……」  一年前、セラフィムに出逢っていなければ、ノアは今もまだあの冷たく薄暗い地下牢にいるのだろう。

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