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第42話

「……?」 「……」 「……え?」 「どうかした?」 「えぇ……? いや、食べづらい……」  ルピナスに桃色はブレることなく真っ直ぐにセイランを見つめていた。その視線に耐えかねたセイランはちらちらとルピナスを見ていたが、ついに困ったような表情で匙を止めてしまう。何か話しかけてくるならまだしも、無言でジッと見つめられると居心地が悪い。 「なんだよ、欲しいのか?」 「ううん、おいしいかなって」 「……おいしいよ」 「本当?」 「……少し、辛い」 「あはは、でしょ? あの御者さん辛党みたいで一味唐辛子たくさん入れるからびっくりしちゃった」 「ええ……食べる前に教えて……」  楽しそうに笑いだすルピナスにつられるように、セイランの表情が明るくなる。物理的にだけでなく、素材的にも温かいスープを二人して「辛い、辛い」と笑いながら食べていると、現実を忘れてしまえる。絶賛指名手配中で、追われる身であることなんて思い出したくもなかった。  辛みを笑って誤魔化して、ひと時の穏やかな時間に浸る。二人の笑顔に、距離はなかった。まだ、自分はこうやって笑えたんだな、と。セイランは久々の感覚を思い出す。 「よかった」 「ん?」 「セイラン、ひどくうなされてたから。悪い夢でも見たのかなって」  ルピナスに言われて、脳裏に焼き付いているものがフラッシュバックする。具体的にどんな夢を見たのかは覚えていない。しかし、夢に見るくらい焼きついた記憶は、少しのきっかけで勝手に帰ってくる。空になった器を抱えたまま、セイランは視線を落とす。 「あ……ごめんね、イヤなこと思い出しちゃったかな……」 「んーん、平気だよ。これありがとな。御者さんにご馳走さまでしたって、伝えといてもらえるかな」  作られた笑顔。当然セイランは笑えてなどいなかった。ルピナスは何か言いたげに口を開くが、セイランの言葉には「一人にして欲しい」という意味が含まれていた。ルピナスはセイランから差し出された器を受け取り、運転席へと離れていく。  ルピナスの背中が運転席へと消えてから、セイランは静かに詰まっていた息を吐き出す。とても悪い夢を見た。悪夢を見るのなんて日常茶飯事だが、今回のはとても気分が悪い。  ーー父さんも、おれが手配されたこと、知ってるのかな。  魔法が使えない、勉強も出来ない、物覚えも悪い。そのせいで散々迷惑をかけてきた。いつか恩に報いたいと思って、父さんのためだけに強くなった。それなのに。 「セイラン」 「おぁっ! あ……、」 「ごめんね。ボクそんな顔してる子を一人には出来ないや」  たった今いなくなったはずのルピナスがあまりにも早く帰ってくるものだから、セイランはつい驚いて声をあげてしまう。その瞬間、目元に溜めるだけで飲み込もうとしていた涙が一筋、溢れてしまう。ルピナスはその涙が伝うのを見つめ、悲しそうに微笑んだ。 「……泣くほど辛いなら、吐き出していいよ」  その瞳を見つめ、セイランは一つ思い違いをしていたことに気づく。自分のことを優しく撫でてくれたのは、思い出せないあの人だけではない。  魔法を使えないと知っても、蔑まなかった初めての人物。顔を上げて見つめる先にある桃色の瞳は、とても穏やかなものだった。  ――どうして。  なぜ自分が手配されているのか、今でも分からない。国から追われるような大罪を犯した覚えもない。どうして、そんな相手の側にいようとするのだろう。側にいたら、自分まで罪人と呼ばれるかもしれないのに。  いや、そんなことよりも。  自分がとても卑屈な人間であると、セイランは自覚していた。弱音を吐いてばかりで、悪い方にばかり考えて、はっきりものを言えない。その上、赤子ですら小さな火を灯すことができる世界で、魔法を何一つ使えない。使えるのは、治すという破壊と正反対の気味の悪い魔法だけ。そんな自分を守るために、好きでもないヤツに足開いて、媚び売って。それに、……それに。 「おれは、あんたが守る価値のある人間じゃないよ」 「……」 「あんた、おれが魔法使えないこと、知ってたって言ったよな? なんで、……なんでそれを知ってておれに優しくしてくれるんだ?」 「……セイラン」 「同情か? それとも、からかってたのか? ……あんたも、ミハネさんも、おれみたいな護衛なんて、必要なさそうだったもんな」 「セイラン」  それ以上言うなとでも言いたげなルピナスの声がセイランを止める。ルピナスの表情は、悲しげに歪んでいた。どうしてそんな顔をするのだろう。  ――おれが、泣いてるせいか。  セイランの頬を伝う涙は、どれだけ唇を嚙み締めようと止まらなかった。本当はこんなことを言いたいんじゃない。本当は、本当は。 「いいよ、たくさん泣いて。大丈夫、ボクはお前の側にいる。お前がどんなヤツだったとしても、受け止めるから」  ルピナスはセイランの目の前で膝を突くと、強く、しっかりとセイランを抱きしめた。それは、自分はここにいると、セイランに伝えているようだった。そんなことされたら、そんなこと言われたら、セイランの涙はもう溢れるだけだった。 「誰かを信じることは、怖いことじゃないんだよ」  本当は、側にいて欲しかった。受け止めて欲しかった。誰かを信じてみたかった。  こんな自分を、誰かに認めて欲しかった。  声を押し殺して、嗚咽を殺して、しゃっくりで肩を跳ねさせて喉を震わせる。悲しいという感情すらまともに表現しきれないセイランを、ルピナスは抱きしめる。「へたくそな泣き方だね」と囁く声が、この温もりはルピナスのものであると教えてくれた。

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