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第59話

 セイランが真っ白い毛の中で水晶玉のような赤い瞳に目を合わせてみると、生き物は不思議そうに首を傾げた。大きさからすると、セイランを背中に乗せて走ることくらいは容易いだろう。 「この子がいいなら、おれはそれでも……」 「きゅぅ!」 「だめ?」 「いや、いいよってことだと思うよ?」  元気に変わった鳴き声をあげ、座ったままぱたぱたと尻尾を左右に揺らすのはどう見ても肯定だろう。それを察することが出来ないセイランは困ったように首を傾げるものだから、ルピナスが代わりに通訳する。この生物がはたしてセイランの言葉を理解して返事をしたのかは分からないが、これだけセイランに懐いている様子なら背中に乗るくらい許してくれるだろう。 「ボクらの足は別に探すとして、セイランは服を着ようか。たぶんそろそろミハネが……」 「服、……服? あ、」  言われるまで自分が全裸で突っ立っていることを忘れていたのか、セイランは慌ててベッドに置いていたローブを一枚羽織る。その仕草をルピナスに笑われ、セイランは不服そうに頬を膨らませた。気づいていたなら最初に言ってくれたらいいものを。そうしていると、遠くからぱたぱたと足音が聞こえた。 「セイランくーん、お洋服洗濯しましたよー」 「え、あ、ありがとうございます」 「いえいえ、魔法を使えれば濡らすも洗うも乾かすも一瞬ですけど、セイランくんはそうはいきませんから。出来ないことは素直に出来る人間にやらせていいのです」  ミハネは穏やかに微笑みながらセイランの服をベッドに置くと一枚一枚順番に手渡した。洗い立ての服はしっかり乾いている上にほんのり温かい。微かに香る石鹸の香りから、ただ水洗いしたわけでないことも伝わった。  首にマフラーを巻いて、最後にバンダナで前髪を押さえ額を覆う。それからフードを被ればいつも通り顔のほとんどを隠すことが出来るだろう。セイランはもう一度ミハネに頭を下げて、自分で髪型を整える。その間にルピナスもセイランに貸していたローブを回収して羽織っていた。 「さ、あちらのダイニングに軽い朝食を作ってますので行きましょう」 「あ、はい。……えと、おいで?」  セイランがぎこちなく声をかけると白い生物はスッと腰を上げてセイランについてきた。この地下道がまだ使われていた当時にレストランとして使われていたのであろう場所の、比較的綺麗な机の上には三人分の朝食が準備されていた。昨日買った卵と、少量の野菜を挟んだサンドイッチ。食パンは確かスライスされていない状態を一本買っていたから、それを切り分けたのだろう。 「魔物、ではないか……えーっと、ん、もこもこマシュマロふわふわホイップは飯食べるか?」 「え? それ名前?」 「名前ではないけど、呼び名がないとかなって」 「うーー……ん、とっても素敵だけど、ちょーっと長いかなぁ……」 「とても素敵ですけどね……、一応ですが、恐らくその子は人間の食べ物は食べないかと」  セイランはパンの切れ端を鼻先に近づけてみるが、ふわふわとした耳が左右に振れる。「いらない」と言っているようだ。自分ばかり食べるのは申し訳ないが、食べないのなら分けられない。セイランは一言「ごめんな」と呟くと、気にするなと言うように白い生物は鼻を鳴らした。そんな白い生物は、セイランの傍らに大人しく鎮座していた。  それから食事を終えた一行は、まずルピナスとミハネの分の移動用の魔物を探すことになった。地下道の中には魔物の姿はなく、どうやら迷い込む魔物はすべてセイランに付き纏うこの白い魔物っぽい何かによって排除されていたらしい。  一行は一旦地下道の中で最も近い出口から外に出て、そこで魔物を探すことにした。国からの手配を見た他所のギルドの人間や、賞金稼ぎがうろついている可能性もあったため、セイランは一人と一匹で地下道の入り口付近で二人を待つことにした。  セイランを残して地上に出たルピナスは難しい顔をしながら、適当な魔物を見繕うために周囲を偵察していた。ふとルピナスはセイランがついてきたりしていないことを振り返って確認すると、傍らを歩くミハネに声をかける。 「ミハネはどう見る? あのもこもこマシュマロふわふわホイップくん」 「あ、それでいくんですね。……なぜこの地下道にいたかは分かりませんが、まず間違いなく、天使が遺した生物かと」  真面目な顔でミハネに問いかけるルピナスに対し、ミハネもセイランと共に残してきたあの生物のことを想起する。 「だよね、……あの子、ボクの術が通らなかった」 「……は? ふむ、なるほどなるほど。だからセイランくんの側に?」 「そういうこと。何かヒントがあるといいんだけど……」  話し込む二人に、影が迫る。新緑を駆け抜け、無防備に見えた二人に飛び掛かったのは、五匹の魔物だった。久々の獲物に興奮した様子の魔物たちは、躊躇なく二人に向かって牙を立てた。  野を一陣の風が吹き抜ける。直後、五匹の魔物うち体格がより小さい三匹は地に伏していた。残った二匹はルピナスの目の前でトスッと着地すると、大人しくその場に腰を下ろす。正しく、牙を失った獣。ルピナスは二匹を眺めて、よし、と頭を撫でる。 「こんなもんでいいかな」 「十分でしょう。よりよいものを選別する時間も惜しいので」 「そうだね。まさかたったの一晩で手配書が回ると思わなかった」 「恐らくそれだけ、」 「早く手元に戻したい、ってことか」  二人の表情が険しくなる。それは決してセイランの前では見せない表情だった。すでに地上に出た目的は果たしたが、今戻るとさすがに早すぎてセイランに疑われるだろう。ルピナスとミハネはその場で今後のことについて作戦を嚙み合わせ、それからまた地下道へと戻っていった。  一方その頃、二人が真剣に話し込んでいるのも知らず、セイランもまた真面目な顔で共に残された白い生物をジッと見つめていた。白の中の赤い水晶玉もまた、セイランを真っすぐに見つめる。 「それなら、バニラ?」 「アゥゥ……」 「だめか? マシュマロ、ホイップ、クリーム、チーズ、メレンゲ、おれ他に白くてふわふわした食べ物知らないよ……」 「……ゥゥ、」  セイランが困ったように眉を下げると、それに合わせて頭を下げて耳を伏せる。本人たちは至って真剣なのだが、外で作戦会議中の二人の会話と比べたら圧倒的に平和な会話。結局ルピナスとミハネが魔物を連れて帰ってくるまでに、セイランたちは名前を決めることは出来ず、二人で項垂れていた。

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