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小話 アルベルトの宝物

(☆『番外編 冬 真冬の使者』の少し前の話です)  ──真冬の使者が来た。  北の果ての湖にやってくる渡り鳥たちを見て、人々は呟く。  その美しい鳥の羽を、恋人からもらったことがある。  陽にかざせば、きらきらと輝く水鳥の羽だ。白い羽の先に細かい光沢があり、様々に色が変わる。  露台に続く自室の扉の側で、私は椅子に腰かける。厚い硝子の嵌った扉からは明るい日差しが差し込んでいる。ここに座れば、文箱の中のものは陽を浴びて、どれもきらきらと輝くのだ。  膝に置いた大切な文箱をそっと開く。幼い時から、箱を開く瞬間はいつもドキドキして、中に入っているものを見ると心が温かくなる。  ──何度も読んで紙が弱り、角が擦り切れた手紙。きらめく水鳥の羽。乾かした白薔薇の|花弁《はなびら》。繊細な編み目のような樹木の葉に、輝く水晶の|欠片《かけら》。  まるで幼い子どものおもちゃ箱だ。誰に見せるわけでもない、自分だけの宝物。  恋人から届いた品はたくさんあるが、特に気に入ったものを文箱に入れている。時折取り出して眺めては、そっとまた箱にしまう。それは自分にとって至福の時間だ。    羽や手紙を入れている文箱も、幼い日の誕生日に彼がくれたものだ。  上蓋の表面に、小さな宝石が散りばめられている。波のようにも水の飛沫のようにも見える。その輝きは、水が光に姿を変えたように美しかった。 「アルベルト様?」 「わっ!」  突然声をかけられて、大事な文箱を危うく落とすところだった。両手でしっかりと掴んだまま、後ろを振り返る。  目を見開いたヴァンテルが立っていた。 「申し訳ありません。一度声をおかけしたのですが、お返事がなかったので……。驚かせないようにと思ったのですが」    ヴァンテルは、忙しい毎日の中でも、少しでも時間を作って共にいようとしてくれる。  深く青い瞳が、私の手元をじっと見つめていた。頬がかっと熱くなり、首筋に汗がにじむのがわかる。  見られて困ることなどないはずなのに、文箱をなんとかヴァンテルの目の届かない場所に隠したかった。 「……クリス。わ、悪いけど、ちょっと部屋を出てほしい」 「アルベルト様……。今、お持ちの品は、以前私がお贈りした品かと思いますが」 「こ、これはっ」  美しい顔に笑みが浮かぶのを見て、耳まで熱くなってきた。 「まだ持っていてくださったのですね。嬉しいです。何を入れてらっしゃるのですか?」 「な、なななにもっ」 「先ほど、嬉しそうに中を見ておいででしたが?」 「……」  静かに微笑む顔からは、暗に見せろと言う強い意志が感じられる。流石は宮中伯たちを束ねていた男だ。こんな時のヴァンテルに私が勝てるはずもない。しかし、恥ずかしい。贈られた品々を後生大事にしていただけではなく、眺めていたことまで知られたのは、流石に恥ずかしすぎる。 「す、少しだけなら……。それから、クリスは後ろから見て!」  文箱の中を見られた後に、面と向かって顔を合わせるのは無理だ。絶対、無理だ。  くっ、と笑いを噛み殺した声がする。 「ありがとうございます。承知しました。では、後ろから拝見致します」  ヴァンテルが私の座った椅子の後ろに立つ。思い切って文箱を開けると、沈黙が下りた。息をする音も聞こえないので、段々不安になる。 「……クリス、も、もういい?」  小さな声で聞けば、後ろから逞しい腕が私を強く抱きしめた。それから、大きな吐息が一つ。 「クリス?」 「嬉しくて気が狂いそうです、アルベルト様」  髪に口づけが落ちてくる。 「どうやって、この気持ちをお伝えしたらよいでしょう。お贈りしたのは捨てられても仕方がないようなものばかりです」 「クリスの心が籠もっている。……私には、どれも宝物だ」  文箱を閉じて、つい上を見てしまった。銀色の髪がきらきらと輝いて、冬の湖よりも深い青が自分を見ている。柔らかな唇が近づいてきて、私の唇を塞いだ。クリスの唇の甘さに眩暈がしそうだった。深く口づけられて、いつのまにか体から力が抜けていく。    「……もう一度、あの湖に行きたい」 「お連れしましょう。鳥たちが舞い飛ぶ季節に。今度こそ、御一緒に」  その言葉が、悲しい思い出を消そうとしてくれているのだと知っている。愛しい恋人が両手で私の頬を包む。 「ありがとう、クリス」  優しい口づけがもう一度、静かに降ってきた。

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