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13:想定内

その瞬間、太宰府 互譲は予想のついていた言葉に息を吐いた。 今しがた耳に入って来た言葉、それは軽く予想できていた事実であった筈なのに。 だがしかし何故だか彼はショックを受けていたのだ。     ○ 太宰府 互譲。 12月25日。太宰府があのクリスマスの日にエレベーターに閉じ込められて、約2週間程が経とうとしていた。 その間に、会社での忘年会、年末年始の休み中の急な会社からの呼びだし、トラブル解決に係る会社での年越し、仕事始め早々の新人のミスと、その事後処理に係る出張。 と、まぁ様々な事が彼の身に降りかかった。 特に、新年早々起こったトラブル解決による年越しと新人のミスによる出張は、太宰府の持つ仕事におけるタフさと、顔に張り付けた鉄仮面を少しずつ崩壊させて行った。 太宰府も今年で39歳。来年は四十路だ。体力も若い時程ある訳ではなく、かといって負う責任は年齢を追うごとに増えていく。 正直に言って今日が金曜日でなければ、さすがの太宰府もそろそろぶっ倒れていたかもしれない。 加えて長期休み明けという事で、出張の為にの乗り継ぐ公共交通機関の人の多さときたら。 ミスを起こした新人、甘木を連れての出張は太宰府の最後の力を搾り取っていった。 あっちへ走り、こっちへ走り。 頼りない新人である甘木の尻を叩き、また走り、電話を受け、パソコンへ向かい、そしてまた尻を叩く。 と、太宰府の新年は忙殺のうちに新年初の花金をやっとの事で迎えていたのだ。 ミスを起こし茫然自失の甘木の仕事を代わりに請負い、クタクタになりながらもパソコンに向かう太宰府に表情を強張らせてやって来た一人の人間が居た。 まぁ、何を隠そう彼こそが太宰府の最後の体力を搾り取って行った新人、甘木である。 彼は太宰府のデスクの隣まで来ると、意を決したように口を開いた。 『お疲れのところすみません……。少しご相談があるので、お時間を頂けないでしょうか』 そう言って今にも泣きそうな甘木の姿に、太宰府は過去の自分をおぼろげに見たような気がした。 ミスばかりが目立つ甘木も新年を迎えた今年、社会人2年目を迎える事となるのだが、その頼りない表情と泣きそうな目元に、太宰府の中で甘木はまだまだ新人が抜け切れる事はなかった。 そんな甘木に、太宰府は疲れ果てていた背筋が少しだけ伸びるのを感じると、思考を巡らせた。 甘木の相談の内容は予想がついている。 『(きっと、仕事を辞めたいとかそういう所だろう)』 あのクリスマスの日以来、甘木はずっと自信を失くしていた。そして、何かと太宰府に「いつか相談したい事がある」という事をちらほら言い始めていたのだ。 太宰府はやっと来たか、という想いと、今このタイミングかよ、という想いを交錯させ極力表情には出さないように声をかけた。 『すぐ終わるような相談ならここで聞くが、もし時間が掛かりそうなら……帰りに飲みながら話さないか』 その瞬間、俯いていた甘木がヒュンと音を立てるように顔を上げると、どこか驚いたような表情で太宰府を見ていた。しかし、すぐに『時間が掛かりそうなので、帰りに飲みながらお話を伺って頂きたいです』と、絞り出すように言った。 考えてみれば太宰府がこうして会社の人間と二人で飲みに行くのは初めてかもしれなかった。 会社での忘年会や新年会、定期的に行われる飲み会などは参加するものの、こういった個人単位の付き合いはなかったのだ。 それは一重に、太宰府の気の張り方が問題となっていた。 太宰府はそそっかしい。それはもう、とてもそそっかしいのだ。 しかし、会社ではそれを悟られぬよう彼は常に必死に気を張って過ごしている。 それは付き合いの飲み会でもそうだった。 至らぬ粗相をせぬようにと、友人たちと飲みに行くような気軽さで同期や先輩、後輩と飲みに行く事ができない。 会社の飲み会ならば仕事として割り切れるが、個人単位の飲みともなれば太宰府の気が抜けてしまいかねない。 故に、太宰府は今までそう言った事を個人単位で行った事はなかった。 しかし、何故かその日、太宰府はらしくない事をした。 連日の仕事で疲れ果てていたのが原因か、それとも余りに弱り切った後輩に同情したのか。 それとも。 『新人から手だけは離さないであげて下さい』 太宰府の頭の中にこだました言葉が原因か。 太宰府は弱々しく頭を下げる甘木を見ながら『後でな』と小さく声をかけた。 トボトボと自分のデスクに戻る甘木の頼りない背中。ミスばかりで、イレギュラーに弱く、打たれ弱い新人。 『分からない事はすぐに聞きに来い。一人で考えこんで無駄な時間を過ごすな』 『は、はい!』 初めは挨拶もメモもまともにできなかった新人。 迂闊で詰めが甘くミスの多い新人。 けれど、4月から比べれば成長がないなんて事はない。 甘木は愚直に真面目に必死に少しずつだが成長をしている。 今までとは全く違う環境で前へ進んでいるのかもわからないこの時期は、誰もが自信をなくす。 まだ、手は離せそうにない。 『よし、仕事は片付いたか』 『は、はい!よろしくお願いします』 太宰府は最初どこの店に連れていこうかと思った。 しかし、会社からも近く、この花金で予約もなしにこの時間帯でも席の空いている可能性のある店など太宰府には一つしか思いつかなかった。 「つるかめ」というその飲み屋は、二人の会社のすぐ近くにある。 しかし、すぐ近くに在る割には会社関係の人間には余り知られていないようで、金曜の夜に数人で押し掛けても席が空いている事もしばしばだ。 確かに表通りには面しておらず、一本路地を抜けなくてはならない為分かりにくいというのは同僚から見つからない理由として大きいだろう。 この店に仕事関係の人間と来るのは初めてだ。 「2名なんですけど、席は空いてますかね?」 「あ、はい。カウンターなら丁度二つ空いてますよー」 ビンゴ。 太宰府は店員の言葉に内心ガッツポーズをすると、自分の背中でキョロキョロと店内を見渡す甘木に手招きをした。 「丁度空いてるようで良かった。こっちだ」 「っ、は、はい!」 手招きをする太宰府を前に甘木は一瞬驚いたように目を見開いた。 そんな甘木に太宰府は何を驚く事があるのだろう、とすぐに店員の後を追った。 確かに太宰府は、ただ手招きをしただけだ。 しかし、そう言った気易い行動が、ただただ甘木を驚かせていた。 会社での普段の冷たい鉄仮面の太宰府からは想像もつかない。 「会社の近くに、こんな店があったなんて……知りませんでした」 「そうだろ。良い店だぞ。俺もよく友達と来るんだ」 「っそ、そうなんですね」 そう言って甘木の前を行く太宰府の顔は見えない。 見えるのは、いつもの頼りがいのある背中だけ。けれども、その時、甘木はまたしても驚いていた。 太宰府の少しだけいつもと違う声色。軽い口調。“友達”という言葉。 そのどれもが、当たり前で普通の事の筈なのに、それを言っているのが太宰府というだけで、甘木にとってはとても珍しく目を瞬かせるには十分であった。 そんな部下の心中など露知らず、太宰府はいつもの飲み屋の見慣れた店内を店員の後に続く。そして通されたのは、カウンターの一番奥の席だった。他は全ての席が埋まっている。金曜の夜という事もあり、店の中は仕事帰りのサラリーマン達でごったがえしていた。 そして、席についてもまだ店の中をキョロキョロと見渡す甘木に太宰府は苦笑すると、メニューを広げ「今日は俺の奢りだ。好きなものを食え」と軽い口調で言い放った。 「っそ、いや、悪いです。今日も迷惑ばかりかけたのに」 「気にしなくていい。俺は生で。ここはクシならなんでも美味いぞ」 「あっ、えっと。すみません。俺も生で」 「今日は仕事の飲み会じゃない。無理しなくてもいい」 太宰府はメニューを見たまま固まる甘木にふっと息をつくように言った。 その瞬間、メニューに落とされていた甘木の顔が太宰府の方へと向けられる。 「ビール、苦手なんだろ。好きなを飲めばいい。せっかくなんだから」 「っ」 そう言われた甘木はおずおずとメニューに目を落とすと、小さな声で「梅酒のロックを」と呟いた。 そんな甘木に太宰府は頷くとメニューを見て店員を呼んだ。 そしてやって来た店員に次々とメニューを伝えて行く。 それを、甘木はホッとした様子で見ていた。甘木は元来自己主張が苦手な男だ。そして何かを決める時、物凄い時間を要する男でもあった。 もし、ここで太宰府に「何を食べたい?」なんて聞かれれば、きっと甘木は緊張と混乱でまともに何も言えなかっただろう。 「適当に頼んだから、後は好きなタイミングで何が食べたいか頼むといい」 「はっ、はい!」 頷きながら甘木は見た事のない太宰府の、上司の姿に感動を覚えていた。 あの仕事一筋、仕事の鬼と呼ばれる鉄仮面の太宰府の覗かせる普段にはない一面。 それが、甘木には珍しく、そしてある種の感動を覚えていた。 ビールが苦手など会社で言った事はなかったのに、苦手なのだろうと問われた時はドキリとした。会社の飲み会でも何も言わずに出されたビールは全て飲み干すように飲んでいた。 味は苦手だが、飲めない程ではない。 だが、できれば違うものを最初から頼みたいと思わなくもなかったのだが。 太宰府にはそれがバレていたようだ。 まぁ、太宰府にしてみれば、いつも一杯目のビールを頑張って飲み干し、すぐにウーロン茶を飲む甘木の姿を見ていれば、そのくらいの事は一目瞭然なのだが。 「とりあえず、今日はお疲れだったな」 「っい、いえ。こちらこそ、迷惑ばかりかけてすみませんでした」 「いや、まぁ次、気を付ければいい」 「…………は、い」 そう、どこか詰まりながら答える甘木に、太宰府はさっそくどうしたものかと思案していた。話したい事があるとは言っていたが、鼻からそれを尋ねればこの引っ込み思案な甘木がすぐに話せるわけがない事はわかっている。 しかし、こうして会社の人間とサシで飲みに来た経験の少ない太宰府には、どうにもこういった仕事とプライベートの狭間のような部分の会話スキルが低かった。 考えれど、考えれど上手い会話の切り口が見つからない。 さて、どうしたものか。 太宰府が仕事から片足抜けたせいで、少しばかりの焦りを感じていると、それまで黙っていた甘木が小さく口を開いた。 「あ、の。太宰府、さん」 「なんだ」 呼ばれた自分の名前に太宰府が隣に座る甘木に目を向けると、普段は一切太宰府と目を合せる事のできない甘木がしっかりと太宰府の目を見ていた。 その瞬間、太宰府はドキリとした。 自分を怖がっているというのは知っていた。だから、目をまともに合せられないという事も。しかし、そんな部下が、この瞬間、初めてまともに太宰府の目を見たのだ。 それも皮肉な事に。 「俺、仕事、辞めようと思ってます」 「……」

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