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32:決壊

       ○ 「香椎花、答えろ。何がどう見苦しいんだ?お前の価値観の中では一人暮らしで猫に癒されて暮らす事の何が、どう、見苦しく映るんだ?答えろ」 「ちょっ、春センパーイ?何熱くなってんすか?いきなしそんなテンション上げて来ないでくださいよー!コワイコワイ」 「香椎花?俺の話を聞いてなかったのか?これは仕事の報告と同じように簡潔かつ分かりやすく報告しろ。それ以外の答えは受け付けん!言うまで帰れないと思え!」 突然、豹変した春の様子に香椎花は「えええ」とハッキリ戸惑っていた。 その様子を傍から間近で見ていた宮野も「ええええ」と更に戸惑っていた。 仕事においての春と宮野の関係など、ハッキリ言って1年もなかったとは言え、こんな春の姿は初めて見る。 それもそうだろう。 宮野が春と飲みに行く時、春はいつだってアルコールは控えていた。 それもこれも、いつも千鳥足にある宮野を家まできちんと送り届ける為だ。 こんなにも酔った春は初めてだし、怒った春も初めてである。 そして、こんなにも大声が出せるのかと言う程に春は声を張っていた。 故に、少なくはない店の客の視線は今、静かに春の方へと集められていた。 「っ、だって。良い年して結婚も出来ずに寂しいからって猫と過ごすなんて寂し過ぎでしょ!そんなのイタイっしょ!」 「なぁ、香椎花?お前にまず一つ言っておかなきゃいけない事がある。俺だってこんな老けを顔してるが青臭い若い奴の一人だから偉そうに言えたもんじゃないけどなぁ……お前は子供過ぎる!ガキ過ぎだ!いい加減にしろ!」 「はぁ!?何言ってんすか!?そりゃあ春センパイに比べりゃガキっすよ!まだ19なんですから!」 「そんなこと社会に出た段階で通用しないんだよ!19歳っつー年齢に甘えんな!?確かにそれで周りは大目に見てくれるだろうし、俺も大目に見てきた!けど、今回のは若さでは大目に見れない程の事をお前は言ったんだよ!お前は年齢がガキなんじゃない!圧倒的に想像力が足りないんだ!想像力が未発達過ぎるんだ!自分の中だけの価値観で凝り固まった一方向だけの思考しか成熟してないから、お前の発言は軽率で他者を傷つけるんだ!!いい加減にしろ!」 「??ムツカシイ事ばっか言わないでください!」 「雰囲気で察しろ!わかれ!」 「ムチャクチャだ!」 いつの間にか香椎花も立ち上がり春と相対していた。 それを宮野は間近で見た。 そして、とんでもない事だと思った。 「猫を飼って云々ってのもな!?」 「うんぬんってなんすか!?うんぬんって!ヘンな事ばっか言わないでくださいよ!ハル先輩!」 「そんな事今はどうでもいいんだよ!?」 「だって!うんぬんって!!うんぬんって!ヘンでしょ!」 「ああああ!黙って聞け!このバカ!」 ぺしん。 春は香椎花の頭を軽くはたくと、そのまま頭両手で挟み自分の方へと向かせた。 それは最早飼い主が飼い犬にしつけをしている様そのものである。 あぁ、とんでもない喜劇の幕開けである。 宮野は目の前で行われる喜劇に笑いだしそうになるのを必死に堪えた。 二人共、どちらも真剣なのだ。 酔っぱらいの春も真剣、素面だが少し頭の弱い香椎花も真剣。 喜劇の中で現在二人は真剣に戦っていた。 それが、ただひたすらおもしろすぎた。 「香椎花!お前はただ俺に向けて軽口を言ったつもりなんだろ!?俺が彼女も居ない一人ぼっちの寂しいやつだから、そんな俺が猫を飼って寂しさを紛らわす生活するのが見えて見苦しいって言ったんだろ!」 「そうです!」 客の一人が吹き出した。 それにつられてあちらこちらで笑いが漏れ始める。 そんな事に当の二人は気付いていない。 「俺に向けたその言葉は俺だけが受け止めるだけじゃないんだよ!お前、考えた事あるのか!?結婚せず、猫を飼って、そんな生活をきちんと丁寧に送っている人が他にもたくさん居るって事を!結婚の有無は人に優劣を決める判断基準じゃない!するしないは本人の選択の問題でそれ以上の事じゃないんだ!お前みたいに一人で居る事=寂しい奴という認識をしているヤツはそれはそれでいいんだよ!いいけど言葉にするな!お前の踏みこんでいい領分じゃない!お前に言われる筋合いない!誰だってそうだ!」 「だって寂しいやつっすよ!そんなの!俺は絶対やだ!ムリムリー!」 「だから寂しい奴と思うのは勝手だ!お前が嫌だと思うのも勝手だ!だからってそれを他人に押し付けるな!お前、もし此処に結婚せずに猫飼ってる殺し屋の人いたらどうすんだよ!撃たれるぞ!お前はもう死んでいる!」 「そんな人いねえっすよ!春センパイ、バカじゃないっすか!」 「バカはお前だろうが!バカ!」 宮野はカウンターの中に蹲った。 蹲ってひたすら腹を抱えるしかなかった。 店内は既に大爆笑状態だが、そんな彼らよりも実情を詳しく理解できている宮野にとっては此処は笑いの地獄であった。 息もできない。 春が必死に庇っている「結婚せず猫に癒される日々を送るヤツ」というのは何を隠そう太宰府互譲だ。 けれど、太宰府がそんな庇われるような人間でもない事を、宮野は知っている。 太宰府は既に結婚に向かう道のりの酸いも甘いも苦いも辛いも全てを経験し尽くし「結婚なんかやってられっか!」と、その点に関しては大いなる匙投げ状態なのだ。 大恋愛も不倫も風俗通いも、その他諸々声高に言えない事も太宰府はやり尽くしている。 あの顔で仕事デキて金もある。 当然の事だ。 そして飼っている猫も癒しでもなんでもなく、ただの春をおびき寄せる餌だ。 春の言うような「独身で猫を飼って丁寧に生活を営んでいる大人の男」像からは程遠い。 太宰府互譲というのは所詮そんな男だ。 ドジで間抜けで新人の頃は誰よりも怒鳴られてきた男なのだ。 けれど、春にとってはそうではない。 「憧れの太宰府さん」だ。 仕事も出来て、かっこよくて、自分を助けてくれる。 ヒーローなのだ。 「正直俺だって、毎晩毎晩彼女とヤりまくって一時だって一人で居たくないなんて言うお前の価値観が信じられないくらい気持ち悪いと思ってるよ!なんだソレ!一人じゃなんにもできんのかい!しっかりせんかい!くらい思ってるよ!けど思ってても今まで言わなかったよ!それがお前の価値観の中の“楽しい事”なら、俺の口を出す部分じゃないからだ!わかるか!?お前のやってる事は相手の事情も感情も無視した想像力の欠片もない赤ん坊の泣き声と一緒だ!!赤ん坊なら可愛いけど19歳でそれは……ナイ!!!耳触りだ!」 「~~~~っ!!」 春日は返す言葉もなく口をパクパクさせる香椎花の頭を未だに両手で掴みながら言いきった。きっとこれは今まで春の溜めこんできたものそのものだ。 それが全てであるかなんて春自身にも分からなかったが、不思議な事に吐き出しても吐き出しても全然スッキリしない。 春は頭をクラクラさせながら、口をへの字にしり後輩をしっかり見た。 むしろ吐き出せば吐き出す程苦しい。 (痛い事には多少慣れます。嫌われる事には余り慣れませんが、多分これには余り慣れ過ぎない方がいい) 春の脳裏に昨日の太宰府の言葉がよぎる。 そして、これか、と理解した。 これこそが慣れない方が良い“痛み”だ。 「香椎花、お願いだから……会社の中でそんな生き方するなよぉ」 「わかってますよ、俺がこんなんだから春センパイが周りから色々言われてるって事は。けど仕方ないじゃないっすか!俺わかんないっすもん!みんな笑ってんならいいじゃないっすか!意味わかんねー!春センパイは俺の事嫌いなんでしょ!」 香椎花のやっとの反撃に春は唇を噛んだ。 春は表情を歪ませて、酔っているにも関わらずその顔は真っ青だった。

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