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第9章 12月-決意(5)
「……何だよ」
やがて茂が聞き取れないくらいの声を発する。高志は再び茂を見た。
「……お前が電話してきたんだろ……」
俯いたまま、茂が呻くようにそう言った。握りしめた手がかすかに震えている。
「お前が、また会いたいって言ったんだろ……! だから俺は……」
顔を上げて叫ぶようにそう訴えてくる茂の目は、濡れているように見えた。
「細谷」
思わず茂の名を呼ぶ。しかし、高志はもう何も言うべきことを持っていなかった。
「……せっかく忘れようとしてたのに……」
再び俯き、半ば独り言のように茂がそう呟く。口を開きかけた高志は、その瞬間、息を呑んだ。
――今、何て言った。
俯いたままの茂は、高志の方を見ていない。自分が言ったことに気付いていない。
「……細谷」
思わず高志が一歩近付いたのを感じて、茂が少しだけ目を上げる。目が合った高志は、その涙目を見つめながら問い掛けた。
「何を忘れるんだ」
しかし、茂はぎゅっと口をつぐんで首を振るだけだった。高志は更にもう一歩近付いた。
――忘れようとしていた、ということは。
まだ忘れていない、ということなのか。
「細谷」
今日、わざわざこんなところまで来て高志をずっと待っていたのも、必死に誤解を解こうとしたのも。そもそも高志と再び会うようになったのも、一緒に旅行に行ってくれたのも、全部。
昔と変わらない高志への気持ちが、まだ残っていたからだとしたら。
そんな訳はないと思いながらも、もしかしたらという期待が徐々に確信に変わっていくのを高志は抑えられなかった。
二人の間の距離をゆっくりと詰めていくと、下を向いたまま後ずさった茂が壁に背中をつく。高志は口を開いた。
「……お前さ」
こちらを見ようとしない茂は、それでも高志の言葉の続きを待っているように見えた。高志はできるだけ穏やかに、静かな声で茂に問い掛けた。
「大学の時、何で俺にキスしてたの」
茂は俯いたまま、「……ごめん」とだけ言った。
――そうじゃない。
手を伸ばして茂の肩を掴むと、僅かに肩をすくめた茂が不安げに高志を見上げてくる。もう一度同じことを聞こうとした高志は、しかし茂が決して答えないことを既に知っていた。茂が最後まで絶対に口にしなかった、茂自身の気持ち。
「――まあ、お前は言わないよな」
「え……?」
茂が訝しげに顔を見返してくる。高志が思わず苦笑すると、茂が戸惑った表情で小さく口を開く。高志はそのままゆっくりと近付き、少しだけ身を屈めて、茂の唇に自分のそれを押し付けた。
「――」
しばらくして唇を離す。名残惜しくて何となくもう一度キスした。それから顔を離すと、茂が呆然と高志の顔を見上げてくる。
「……何」
「キス」
「何で……」
「言っとくけど、お前に文句言う権利ないから」
高志がそう言うと、茂が言葉を失ったまま首を振る。
「文句、とかじゃ」
「細谷」
茂のあごに手を掛けて上を向かせる。何度見ても目が離せなかった茂の顔が、今、高志のすぐ目の前にあった。絶対に手に入らないと思っていたものが。
もっと茂を実感したかった。もっと茂に触れたい。他の誰にも触れられない、もっと中の柔らかいところに。もっと奥の深いところに。
「舌、出して」
言いながら、茂の下唇を親指で軽く開く。狼狽を表すように茂の目がかすかに揺れる。やがておそるおそる口が開いて、僅かに舌が突き出された。高志は再び顔を近付け、それに自分の舌を絡めた。唇で挟んで少し吸い、更に舌で味わう。温かくて柔らかくて湿った茂の感触。
そうして高志はいつ飽きるともなく、求めるままに茂と深く唇を合わせ続けた。触れたくて触れられなかったものが、今、高志の腕の中にある。茂によって触れることを許された、茂の繊細な部分。茂の秘めた感情の表徴。一年間抱え続けていた渇望が満たされてゆく。
いつの間にか、茂の手が高志の背中に回されていた。その緩やかな拘束によって、高志の心はいっそう昂揚した。茂とのキスがとろけるように気持ちいい。甘い快感が口先で絶え間なく生まれ続ける。そしてそれは体の奥へと染み渡り、全身へと広がっていった。
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