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32:本当の店主
「フクロウも鳥だ。鳴く事もある」
「えっと……」
「ちなみに、そのフクロウはメスだ。オスと違い喉袋がない。故に短く、小さくしか鳴けない」
「へぇ、そうなのか」
「求愛行動の一種でもある」
「え?まじ?俺、求愛されてたの?」
「そうかもな」
背中から聞こえる、少しだけ笑いを含んだウィズの声は、やはりいつ聞いても落ち着いていて心地が良かった。
そのせいで、いつの間にか髪を丁寧に拭われているこの状況に突っ込む気も失せてしまった。むしろ、拭いてくれるその手が、あまりにも優しくて心地良いもんだから、大人しく享受する事にする。
「ウィズは面倒見がいいなぁ」
「酒場の店員に面倒を見させるアンタには叶わない」
「アウトだよ。名前、俺、ア、ウ、ト。アンタじゃない」
「あぁ、そうだったな」
-----アウト。
静かに呼ばれた名前に満足すると、俺は髪を拭われながら店内を見渡した。やはり、いつ見ても俺の心を擽る素敵な店だ。
「なぁ、ウィズ。今更なんだけどさ」
「なんだ」
「なんで、こんなに良い店なのにもっと客を入れないんだ。看板もないし。これじゃあ、見つけてもらうのも一苦労だぞ」
「…………」
「ウィズ?」
一拍置いても聞こえてこない返事に、俺は思わず振り返った。そのせいで、それまで頭の上に乗っていたタオルが頭から離れた。タオルはウィズの手の中でグシャリと握り潰されている。
「ここは……、俺の店じゃないんだ」
「ウィズの店じゃない?」
「そうだ。ここは俺が少しだけ預かってるだけの店なんだ」
「へぇ。じゃあ、この店の本当の主人は今どこに居るんだ?」
「…………」
そう、俺が何気なく尋ねた言葉にウィズの言葉がまたしても詰まる。そして、それまで俺に向けられていた視線が、フイと別の遠い場所に向けられた。
その目を見て、俺は本能的に察した。
-------あぁ、前世の奴か。
この目をした人間を、俺は今まで大勢見て来た。いや、むしろこの目をした人間ばかり居るのがこの世界だ。この世界の誰もが、いつも誰かを探している。
「預かってるにしたって、こんな誰も来ない店だったら、その人に返す時それはそれで問題じゃないのか?」
返事を待たずに、俺は最初のようにウィズに背を向けて座りなおした。何故だか、俺はこの店では前世の話を聞きたくないし、したくないと思ったのだ。
俺はここで過ごす“今”が良いと思っている。いつもなら面白おかしく聞けるソレを、ここではどうしても聞く気にはなれなかった。
「……俺も、一応店としての体を保とうとはした」
「へぇ。ちゃんと入口に灯りを付けて、看板も置いていた時期があったのか?」
「灯りはつけた。ただ、この店に名前はない。だから看板は出せないんだ」
いつの間にか、またしても頭にはタオルがかけられていた。大分乾いてきたのだろう。ウィズの手は前ほど動いていない。
「名前の無い店……か」
「変な店だろう」
「いや、素敵だな。俺は、そういうの好きだ。隠れ家みたいで、なんかワクワクするしな」
「…………」
店にとって看板は重要だ。けれど、その看板がないというのも、またそれも良いのかもしれない。名が無いという事自体が怪しくも魅力的で、それもまたある意味店の看板になっていくに違いない。
「看板がなくっても、さすがに入口に灯りがあれば客も来てたんじゃないか?」
「少しは来ていた。ただ」
「ただ?」
「俺が……接客が苦手で」
ウィズのどこか苦々しい言葉に、俺は思わず吹き出していた。接客が苦手。それもそうだ。確かにこの店に一番最初に来た時のウィズの態度はあんまりだった。
俺だからあそこまで食い下がれたが、普通の客なら一目散に逃げだす事だろう。
「っふふ、想像がつくよ」
「それに、酔っ払いは性質が悪い。店を荒らしてくるし、うるさいし」
「ウィズに酒場は向かないな」
「あぁ、そうだ。全く向かない。俺は店の形を維持するだけで精一杯だ」
言い終わったと同時に、髪の毛もある程度乾ききったのだろう。ウィズの手がピタリと止まったかと思うと、頭からタオルが離れる感覚を感じた。
俺は自身の前髪にそっと触れてみる。髪の毛は、もう完全に乾いていた。
「アウトみたいな変な客だけでも、店と一緒に引き継げそうで良かった」
「変とはなんだ、変とは。ありがたく思えよ」
「別に頼んではないんだがな」
「っふふ、俺はもうこの店が大好きになったから、いつまででも通ってやる。来るなって言われても来るから覚悟しろよ。どんなに時間がかかっても、俺だけはこの店の客として居てやるから……どうぞ俺ごと本当の店主に引き継いでくれ」
「…………あぁ」
出来れば、この店の店主はずっとウィズで居てほしい。けれど、多分いつかはこの店はウィズの大事な、記憶の中の誰かへと引き継がれるのだろう。
何故なら、振り返った先にあるウィズの目は、もう“今”を見ちゃいなかったから。多分、俺が気付いていなかっただけで、ウィズは最初から今ではない、遠くを見ていたに違いない。
「さーて、今日は何の酒を飲もうかな」
「右から3番目、上段2つ目。赤割で」
「はいはい、俺は客の筈だったんだけどなぁ」
まるで当たり前のようになったウィズからの酒のリクエストに、俺は応えてやるべくカウンターの中へと入った。最近では、どこに何の酒があるか少しだけだが分かるようになってきた。
新しい店主が来たら、きっとこんな事はさせて貰えなくなるのだろう。
少しだけ、寂しい。
「アウト」
「ん?」
「これからは、髪の毛はきちんと乾かせよ」
「ハイハイ」
「おい、約束しろ」
「わかったって」
ウィズがどんなに遠くを見ていたとしても、俺にとっては“今”しかない。こうして二人で前世なんか関係のない話をしながら飲む酒は、とてもおいしい。そして、楽しい。
それで、いい。
「おいしそう!」
俺はウィズの希望した無色透明な酒を手に取ると、読めない言葉で書かれたラベルを一撫でした。
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