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52:酔いの余韻に酔いしれて

「イン……だと?」 「そうだ!さっき話しただろ!?もしかしたらインかもしれない奴と会ったって!アイツだよ!オブ!」  オブ。 今トウはウィズの事を見て確かに言った。オブ、オブというのはアレか?フロム同様、インと仲が良かったと言う、あの、あの。 俺がゴクリと唾を呑み下し、ウィズを見てみると、ウィズも混乱した様子で此方を見ていた。 「イン!やっぱり俺は、お前の事をインじゃないなんて思えない!あれが偶然思いついた作り話なんて思えないんだ!」 「フロム、少し落ち着くんだ」  別れ際にはどうにか理性でもって俺を「アウト」と呼んでくれたトウだったが、ここに来てまた直情的に俺のことを「イン」と呼び始めた。そんなトウに、ウィズも混乱しつつもトウへ諫めるように声をかける。  ここには3人の人間しか居ないにも関わらず、どうしてこうも複数の名前が駆け巡らねばならないのだろうか。 誰が誰だか分からなくなって混乱してくるから止めて欲しい。 「オブ!これが落ち着いていられるか!お前ら知り合いだったんだな!やっぱり運命ってあるんじゃないか!イン!こっちに来いよ!」 「おい、フロム。ちょっと落ち着け」  最早ウィズの止める声も聞かず、トウは笑顔でこちらに駆け寄ってきた。顔が少し赤い。カウンターを見れば飲みかけの酒も見える。これは、トウは既に酒に酔っているらしい。 「イン!さぁ!」 そう言って、ファーの居る入れものを抱える俺の腕を引こうとするトウ。そんなトウに俺は思わず叫んでいた。 「おい!やめろ!ファーがびっくりするだろうが!」  その瞬間、目の前のトウも、そしてそれまでカウンターでトウを諫めていたウィズも、二人して目を見開いて俺を見ていた。一体どうしたというのだろうか。  しかし、その時俺は、微かに入れものの中で少しだけファーが羽を広げる音がするのを聞いた。今はインとかアウトとかどうでも良い。こんな狭い場所にいつまでもファーを置いてなどいれない。 「トウ!一旦そこを動くな!」 「っ、あぁ」 「ウィズ、ファーが可哀想だ。出してあげていいか?」 「…………」 「ウィズ!」  呼んでも返事をしないウィズに俺はもう一度声を大きくして名前を呼んだ。きっと、ファーは俺の声に最も驚いているのだろうが、ウィズが返事をしてくれないのだ。許して欲しい。 「……ファーというのは、そのフクロウの名か?」  そう、俺の問には応えず、ウィズが少しだけ感情の籠った目で俺の方を見ていた。そういえば、仮の名前だと自分に言い聞かせてきたにも関わらず、あまりにも普通に“ファー”と呼んでしまっている自分に、俺は今更ながら気付いたのだった。 「……っは!」 あぁ、だからウィズは驚いていたのか。ファーが何か分からなかったのだろう。 俺は自分の犯していた圧倒的な過ちに少しだけ気恥ずかしくなったが、今更後には引けない。 「ごめん。名前、勝手に決めて。ファーって俺が勝手に付けた名前だから、別に変えてもらって構わないから」 「いい」 「へ?」 「いいんだ……ファーで」 -------いいんだ。 そう、何度も囁くように口にするウィズに、俺はやはりウィズの様子がおかしいと思った。ウィズは理知的で、冷静で、少しだけ皮肉屋で。けれど、大声で笑ったりもする。俺の知っているウィズの表情は、少なくないが多くもない。 そんな俺の知るウィズの表情の中には、今、ウィズの浮かべるよな、そう、こんな泣きそうな顔はない。 「ファーを出してあげてくれ」 「うん」  俺はファーの止まり木の近くまで行くと、入れものを開けてファーをテーブルの上に出してあげた。すると、見慣れた場所に安心したのか、いつも自分が止まっている止まり木へと、ファーは勢い良く飛んでいった。  俺の部屋に居るファーも良かったが、やっぱりファーにとってはここが一番お似合いだ。 「ファー、良かったな。名前、ファーで良いって」  そう、俺は止まり木に止まったファーを撫でてやろうと、無意識のうちに手を伸ばしていた。ウィズに習った、ファーの喜ぶ場所。あのファーの気持ちの良さそうな顔が、俺は好きなのだ。  しかし、その手がファーに届く事はなかった。 「お前は、本当に不思議な奴だよ」 ------イン。  俺の伸ばしたその手は、いつの間にか俺の隣まで来ていたウィズによって、しっかりと握り締められていた。力強く握り締めてくるその手は、ウィズの涼し気な容姿とは似合わず、酷く熱かった。 「えっと、ウィズ?」 「なぁ、アウト」  そして、確かに今ウィズは俺の事を「アウト」とそう呼んだ筈だ。 しかし、どうしてだろう。俺の耳には確かに“イン”と聞こえた気がしたのだ。そして、なによりウィズの目は、俺を見ているのに、俺を見てはいなかった。俺ではなく、どこか遠く。遠くの誰かを見るような目で、俺を見ていたのだ。 その目はまるで迷子のように寄る辺なく、俺を必死に掴んでくるその手は、まるで一人ぼっちを恐れる子供のよう。 「俺は今初めて、この人生で思う事が出来たよ」 「……な、なにを」  思わず上ずったような声が出てしまう。次の瞬間、俺の視界は一気に動いた。それまで見えていたファーの姿は視界から消え、俺の目の前には何故かウィズの肩ごしにカウンター席が見える。 「生まれて来て……良かったっ」 「っ」  まるで泣いているようなその声を、俺は耳のすぐ傍で聞いた。鼻孔を擽るどこか安心するようなこの香りは、ウィズのもので、俺の背中に回された手は、やはり物凄く熱かった。  そう、俺は、ウィズに抱きしめられていたのだ。 「ずっと、会いたかった……イン!」  そう、今度はハッキリと呼ばれた名に、俺はひとまず冷静に思った。 ------俺、インじゃないんですけど。  そして、悲しい事にウィズの肩越しに見えるカウンター席には酒の注がれたグラスが2つ並べてあり、ウィズの耳は真っ赤に色付いていた。よく見ると、その隣には空の酒瓶が2つ程倒れている。 「……おいおい」  そこにあるのは、ただただ顔の良い普段は冷静な男が、絶好調に酔っぱらっている、そんな面白おかしい姿だけだった。 第1章:酔いの余韻に酔いしれて 了

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