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84:坊や

「窓掛の専門店といいつつ、あそこは布類全般を取り扱う店だからな。頼めばどんな素材の布も対応してくれる。そろそろ俺も、店の布類を冬仕様に替えようと思っている」 「冬支度……」 「そうだ。特に窓掛一つで部屋の温もりは大いに左右される。マナ結石で部屋を暖めなくとも、それで寒さは大分緩和されるからな。それに、季節ごとに窓掛けを替える事は、面倒ではあるが楽しくもある」 「まって!メモさせて!」 「これは、メモが必要か?」 「いる!今日は買えなかったから、また週末買いに行く!その参考にするんだ!」  俺はきっとこれから流れるように口に出されるであろう、素敵な部屋への知識の川の流れに乗り遅れないようにと船出す、いやメモを出す準備をする。  乗り遅れてはならない。俺はウィズに教えてもらった事を基に、今日見つけた“あの”窓掛よりもずっと良いモノを見つけるのだ。 「週末か、それなら一緒に買いに行くか?なんなら、アウト。お前の部屋の窓掛を一緒に選ぶ手伝いをしてやろう」 「へ?」 「週末だろう?どうせ俺も新しい布の仕入れをしたかったし、その日は……ファーも迎えに行く。どうする?」  ウィズからの思いも寄らない提案に、俺は今日一日がとても良い日だったと心の中で評価を更新した。 「…………!」  お気に入りの窓掛を横取りされたり、昼食のオフラを鳥に取られたり、アズからモデルを断られたり、たくさんのペア達に囲まれて一人で夕日を見たり、アボードに見つかったり、バイに無理やり店まで乗り込まれたり。  本当に散々な1日だったけれど、それもこの瞬間で全て塗り替わった。 ------あぁ!なんて今日は良い1日なんだろう! 「行く!一緒に行こう!ウィズ!」 「それなら、そのメモは仕舞っていいだろう。さぁ、酒を飲め。今度はさっきの酒を湯で割ったモノだ。今日は冷えるからな」 「うん!」  目の前で湯気を立てる100年物の酒に、俺は顔を緩めながらゆっくり喉を潤した。あぁ、ロックで飲んだ時よりも格段に飲みやすくなっている。  良く見ると色味の鮮やかなクエンも入っているじゃないか。通りで爽やかさが増していると思った。  それに、当たり前だが、湯割りは何と言っても暖かい。体の芯から暖かくなりそうだ。 「一緒に行く?やめといた方が良いと思うなー!」 「……なんでだよ?」  気分良く酒に口を付けていた俺に、何故か悔しそうな色を含んだ声で口を挟んでくるバイ。そんなバイに俺はハッキリと眉を顰めてやった。 「俺の時の二の舞だと思うケド?坊や」 「坊やじゃない!」 「こんな格好いいマスターと買い物にでも行ってみなよ?だァれも、坊やなんか見ないよ!無視されるに決まってる」 「うるさいな!お前に関係ないだろ!?」 「俺は坊やを心配してやってんの!ただでさえ坊やは坊やなんだから」  何故か妙に突っかかってくるバイに、俺は拳を握りしめた。なんでコイツはこうも俺をバカにしてくるのだろうか。俺がアボードの兄貴だっていうのがそんなに気に食わないのか。意味が分からない。 「いいんだよ!俺は他の人に無視されても、ウィズが俺を無視しないならいいんだ!」 「っは!坊やはそんなガキだから、年相応に見られないんだ!どうせ、忘れられない女の一人や二人も居ないんだろ?坊やには!」  また“坊や”か。  坊や坊や坊や。あぁ、うるさい。 「……俺だって坊やで居たかったさ」 「は?」  俺は手元にある暖かい酒を両手で包むように持つと、透明な酒に映る自分を覗き込んだ。今日のグラスは分厚く、色も青黒い円柱型をしている。そのせいで、透明な酒もどこか薄暗い。  まるで洞窟の中に居るようだ。  グラスの中は真っ暗で、映っていた自分の顔がいつの間にか見えなくなっていた。 ------あんなのの、何がいいんだ。  ここは、暗くて、狭くて、出口の見えない洞窟の中。  どちらが前で、どちらが後ろで、果たして俺はどちらから来たのだろう。 -------気持ち悪くて、べたべたして、痛くて、苦しくて、吐き気がする。  ここには誰かと来た筈なのに。  誰かと一緒に来た筈だったのに。  手を繋いで貰っていた筈なのに。  どうして俺は、今一人なんだ。  どうして―-―――は、あの日の帰り、僕の手を繋いでくれなかったんだろう。 -------僕がいけないことをしたから?  その瞬間、グラスの中の黄色いクエンがフワリと浮いてきた。それと同時に、グラスから消えていた俺の姿も微かに浮かび上がる。  あぁ、そうだ。ここは洞窟なんかじゃない。ウィズの酒場だ。 「…………」  いつの間にか、騒がしかった筈の店内から人の声が消えている。店内にいつも流れている弦楽器の音が、今更になって存在感を表し始めた。 -------あれ?俺は今、一体何の話をしてたっけ?

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