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86:いつか一つに

◇◆◇◆ 『お客様、なにになさいますか?』 『ミルクをください!』 『お客様、当店にミルクなんて子供の飲むものはありません』 -------なにせ、ここは大人の国ですから。 そういって、ギロリとぼくをあやしげな目で見てくるマスターに、ぼくは大慌てになってしまった。 どうしよう!どうしよう! 大人のフリをして大人の国に入りこんだぼく。知らずに入った酒場でぼくは大きな危機を迎えていた。 あぁ!ファー!こんな時、ぼくはどうしたらいいんだ! 酒場は大人が酒を飲む場所。子供はぜったいに入ってはいけないんだ。だから、ぼくは大人の姿になって一番に夜の酒場に向かった。ファーは店に入ると目だってしまうので、外で待ってもらっている。 酒場にはたくさんの大人達が居て、みんな楽しそうに酒を飲んでいた。キラキラ光る酒の瓶に、おとなの音楽の流れる店内、大人っぽくておしゃれな丸いテーブル、細い足の椅子。それら全部が普段ぼくが目にするものとは違って、たのしくて仕方がなかった。 けれど、ぼくは忘れていた。 ぼくは、本当は子供だからお酒なんて飲めないんだ! ◆◇◆◇  どれ程の時間が経ったのだろう。  僕はいつまでたっても【きみとぼくのぼうけん】3巻から顔を上げようとしないインに、内心苛立ちを覚えていた。  あぁ、なんで僕が傍に居るのにインは本ばかり見ているのだろう! 『イン?』 『…………』 『イン!』 『…………』  今日は久々にフロムもニアも居ないというのに。  久々に二人だけだっていうのに!  あの日を境に、僕とインは二人きりで遊ぶ時間がグンと減った。なにせ、フロムは毎日やって来るし、それに加えてニアもやって来るようになった。  しかも、それだけではない。たまに、ニアが友達の子供達まで連れてくるようになったから、もう大変だ。  僕は小さな子供達から【ものがたりのおにいさん】なんて呼ばれるようになって、子供達を前にお話を披露する羽目になったのだ。  そのお陰か、僕は村人から嫌われるような状況は大分なくなった。今では気にせず村にも出入りできるし、なんなら色んな人から声までかけられるようになった。  けれど、それが良かったなんて僕には素直に思えない。  そのせいで、僕がインと二人で過ごせる時間は各段に減ったのだ。会わない日はない。  けれども、最初のように二人だけで並んで過ごす時間は皆無なのだ。  そもそも最初のように、と言ったって僕は初めインを毛嫌いしていたせいで、共に過ごしていたと言っても、あんなのは僕の望む二人の姿ではない。  あぁ、なんて僕は愚かだったのだろう。今では望んでも手に入らない貴重な時間を、苦も無く手にしていたというのに! 『イン……ねぇ、イン』  インの集中力は凄まじい。  インはこの第3巻に出てくる“大人の国”の話が気に入ったらしく、僕が他の子にお話をしてあげている間も、ずっとその話ばかりを読んでいる。  まぁ、お話の披露のせいで、僕が第4巻の続きを読んであげられていないから、というのもあるのだろうが。  けれど、それにしたって酷いと思うんだ!  今日は本当に、本当に貴重な二人だけの日なのに!  そう、僕が苛立ちの中に少しだけ泣きそうな気持を混じらせた時だ。 『ねぇ、オブ?』 『っ!イン?』 『あのね、オレ。良いこと思いついたよ!』  急にインは本から顔を上げると、パッと表情を明るくして僕の方へグッと顔を近づけてきた。急に目の前いっぱいに現れたインの姿に、僕の心臓は驚く程跳ね上がった。  これは、インを前にすると最近よく起こるモノだ。僕の心臓はインのせいで、いつも早鐘のように鳴り響く。  あぁ、僕、今にも死んでしまいそう。 『オブはいつかこの領地を出て都のお家に帰らなきゃ行けないって言ってたよね?』 『……そう、だね』  急にインの口から放たれた未来の恐ろしい予定に、僕の早まっていた心臓が、今度は嫌な音を立てる。  そう、そうなのだ。僕はこの領地には療養と、勉強の為に来ているのであって、いつかは都へと帰らなければならない。そうなると必然的にインとは会えなくなる。  そんな恐ろしい未来、死んでも迎えたくない。そんな事になる位なら、僕はここで死んだ方がマシだ。  だから、僕は最近毎日インと共に居られる方法を考えている。すぐに連れて帰られる訳ではない事は分かっている。  けれど、確実にいつかは連れて帰される日が来るのだ。だから、それまでに、僕は考えないと。 『最近、フロムはニアにゆびわを買う為に、都に行くって言ってるんだ。都で騎士になるって。それでニアに一番高い指輪を買って、結婚を申し込むんだって』 『言ってるねぇ』  インの言葉に、僕は最近必死に体を鍛え始めたフロムを思った。そう、僕の言葉をきっかけにフロムは家を継ぐ事を止め、都で騎士として一旗揚げると言い出したのだ。  もちろんその時にはニアも連れていく、と。  きっと、親や周りの大人は子供の戯言だと思って相手にしていないだろう。けれど、僕には分かる。フロムのあの目は本気だ。フロムは本気で、この村から出て都で騎士になるつもりなのだ。    そして、何故だか僕には分かる。  フロムがそれをやり遂げるであろう未来が。 『ニアはまだよく分かっていないみたいだけど、都にはたくさん綺麗なモノがあるってオブに聞いてから、ニアもフロムに付いて行くって言って聞かないし』 『あぁ、ごめん。僕、余計な事言ったかな?』 『ううん。そんなのは別にいいんだ。けどさ、そうするとオレこの村で一人になっちゃうでしょ?』  そう、僕から目を逸らし、どこか遠くを見つめ始めたインに、僕は心臓がキュッと縮こまるような感覚に陥った。思わず、あの日、木から落ちてしまった日のように心臓の部分の服をギュッと掴む。  インを一人にしてはいけない。インに、こんな顔をさせたまま人生を歩ませるなんて、僕が絶対にさせない。 『イン、そんなの僕が、』 『だから、オレ!考えたんだ!』  しかし、次の瞬間。  あの寂し気な表情を一気に塗り替え、僕の目にはキラキラと目を輝かせ顔を真っ赤にするインの姿があった。 『オレも、この大人の国の酒場を都に開くことにする!騎士は……無理だけど、こんな風にお店をするよ!それに、この村のレイゾンはお酒になる為に都に出されるらしいんだ!オレの店が都で有名になって繁盛したら、きっとこの村の助けにもなるしウチも裕福になれるかも!』 -------そしたら、オブともずっと一緒に居られるよね?  そう言って笑うインに、僕は余りにも予想外で、どう答えたらよいのか分からなかった。  目の前には【きみとぼくのぼうけん】の中で美しく描かれる、大人の酒場の頁。たくさんの大人達が笑顔で酒を飲む中、姿だけ大人になった主人公、きょろきょろと店の中を探検している。 『うん、うん。そうだね。そしたら、僕達もずっと一緒に居られるね』 『でしょう?村も助かるし、フロム達とも離れずに済むし、ニアの面倒もみれるし、それにオブとも毎日一緒に居られるよ!』  あぁ、もう。イン、君はいつだって僕を幸福にする天才だよ。  僕だけが悩んでいると思っていた。僕だけの不安だと感じていた。  けれど、違った。インもこの先の未来、僕と一緒に居る為に、ずっとずっと考えていたんだ。 『イン一人だと大変かもしれないから、お店の難しい事は僕も出来るように勉強しようかな』 『いいの!?』 『うん、僕は頭が良いからね。なんだって出来るさ』 『確かに!そしたら安心だ!よかったぁ!オブが一緒にしてくれるなら、オレ、やれそうな気がする!このお話の中の酒場みたいなのにしたいんだけど、どうやったら出来るかな?』  そう言って酒場の絵の頁を広げて僕に見せてくるインに、僕は『経営学も授業に加えてもらわないとな』と心の中で計画を練った。 『じゃあ、イン。これから二人の時は作戦会議しようか?』 『うん!そうしよう!あ、でも最近二人になれる日が少ないからなぁ』  同じ喜び、同じ不満、同じ、未来。  僕達は別々の人間に産まれたけれど、この身に感じる全てのモノは同じなんじゃないだろうか。  そんなバカげた事を本気で思える程、今の僕はインとピッタリだった。別々に生まれたからこそ、こうして話せるけれど、いつかは一つになれれたらいい。  もう離れ離れになる事を心配しないで良いくらい、一つに。 『そうだ!オブ!あのね。僕だけの秘密の場所があるんだけどね!二人でそこに集合しよう!毎日は無理でも、ちょっとだけ。約束した日はそこで二人で過ごすんだよ!』 『っいいね!その秘密の場所ってどこ?今すぐ案内して!』 『分かった!オブ!付いて来て!』  そう言って、勢いよく駆け出したインに、僕は絶対に後れをとるまいと共に駆け出した。    二人だけの秘密の場所。誰にも触れない二人だけの国。今はバラバラだけど、最後は絶対に一つになれるように、僕はそれだけの為に、 生きる。

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