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271:愛してるは始まり

         〇  それから、どれくらいの時間が経ったのだろう。  俺は大分前から、そろそろウィズの腕から離れようと試みていたのだが、その俺の意思がウィズによって汲み取られる事はなかった。  故に、俺は未だにウィズに抱きしめられている。しかも、最初と同じくらいの強い力のまま。 「ウィズ、くるしい」 「…………」 「ウィズ、はなして」 「…………」 「ねえ」  そう、俺が何度も何度も声を上げるのだが、ウィズはまるで岩のように動かず、何も言わない。困った。これは非常に困った。いくら俺の世界とは言え、ウィズは外から来ているので、まったく俺の言霊の言う事を聞いてくれない。  俺がどうしたものかと思案していると、俺のすぐ隣から呆れたような声が聞こえてきた。 「ねぇ、もう対岸の愛は十分だよ。そこの岩頭、お前そろそろアウトを離したらどうだい?」  ヴァイスだ。俺は体が動かせない為、その顔を直接確認する事は出来ないが、声で、彼がどれ程の距離に居るか掴んだ。本当に、俺のすぐ真横だ。 「…………」 「え、本当に何言っても反応しないじゃん!死んでるんじゃない!?」  そう言ってヴァイスは、俺を抱き締めるウィズの腕を無理やり引きはがそうとしているようだ。それでも、ウィズの体はピクリとも動かない。 「ううん、生きてるよ。だって息してるし、温かいから」 「……だろうね。ビクともしないもん。コレ、どうするの?アウト」 「どうしよう」  本当にどうしよう。最初は抱きしめられて嬉しかったが、ここまで長時間、そして無言で抱きしめられていると、若干怖い。否、結構怖い。  俺は俺の人生を取り戻した瞬間、ウィズに絞殺されるのではないだろうか。  そう、俺は本気で肝を冷やし始めた時だった。 『アウトが嫌がっている。離れろ』 「っな!」  それまで黙って俺達の一連の流れを見ていた、俺の中のウィズが片手で簡単にウィズを押しのけた。  さすがは俺の中のウィズだ。俺の心が本気で怖いと思った瞬間、スンとした顔で助けに来てくれた。いや、こっちのウィズは言わなくても分かるから、物凄く助かる。 「ありがとう、ウィズ」 『大丈夫か?』 「うん」  この中に閉じこもっていた時の癖で、俺は俺の中のウィズにそっと抱き着いた。あぁ、やっぱりこっちのウィズは落ち着く。苦しくない。 「おいおいおいおいっ!アウト!なんでまだソイツが要るんだ!?なんで、俺が居るのに偽物に抱き着いているんだ!?お前は俺を愛しているんじゃないのか!?」  先程まで泣いていたせいで、ウィズは目を真っ赤にしたまま怒鳴り込んでくる。勢いが凄い。これは、あの時のような雷鳴轟く嵐がウィズの元に来ているようだ。  こわっ。 『アウトが怖がっている。本物、お前はもう少し思慮を持て』 「偽物に説教される言われなどないっ!さっさと消えろ!」 『俺は、アウトが望めばすぐ消える。俺がここに居るということは、アウトが俺を望んでいると思っているという事だ』  心の中のウィズの言葉に、俺はコクリと頷いた。  そう、このウィズは要る。これからも、要る。 「アウトッ!なんでだ!?俺が居るだろう!?」 「心の中にも要るんだ。それに、ずっと要るから、今更居なくなるなんて嫌だし、このウィズは抱きしめていると落ち着くから……」 「俺は落ち着かないとでも言うのか!?」  怒鳴られる。怒鳴られる。あぁ、なんだこのギラギラした勢いは。これはまるで、アズの視線がウィズに向かっている時のセイブ君じゃないか。  何が、太陽王はギラギラして苦手だよ。  ウィズだって十分ギラギラしてるじゃないか! 「ウィズは……ギラギラしてるから」 「ははっ!確かにね!その通りだ!ギラギラしてムラムラして!ギリギリしてる!お前は本当に落ち着きのない男だねぇ!」  隣から発射されるヴァイスからの面白がるような援護射撃は一旦、止めて欲しい。ウィズの顔が物凄い事になっているから。 「アウト!!お前は、俺だけを!愛しているんだろ!?そうなんだろ!?」  考えろ、考えろ。これは、アレだ。ウィズは俺の事をあいしているから、同じ顔のウィズを俺が大切にしているのが嫌なのだ。  きっとそう。だから、コレはウィズの顔をしているけど、違うんだってちゃんと伝えればいい。うん、そうに違いない。 いや、それにしても勢いが凄い。ウィズとはこんなヤツだっただろうか。 「えっと、このウィズは、ウィズというよりは、その。寝る時の、お気に入りのタオルみたいなもので。だから、汚れたからって、勝手に洗われたり、古くなったからって同じものを買い直されたりすると、それは、駄目なんだ。わかるだろ?子供には、そういうタオルが要るんだ。このウィズは……タオルなんだ!」  俺は口にしながら、一体何を言っているのだろうと本気で頭を抱えたくなった。 「っははははははは!」 そして、そんな隣では、俺の決死の説明を聞きながら、ヴァイスが腹を抱えて笑っている。最早「は」をコレだけ連呼する人を、俺は見た事が無いって程、爆笑している。し続けている。  いや、今までヴァイスの笑い声って「ふふ」って感じだったじゃん。ウィズにしてもヴァイスにしても、急に知らない一面を全開にし過ぎだ。 「何がタオルだ!という事は、お前は心の中で、コイツと共に寝ると言う事だろ!?許さん!」 「あっ、心の中の俺は、寝ないよ?俺達は、死ぬときしか寝ないんだ」 「そう言う問題じゃない!」  じゃあ、一体どういう問題なんだ!  「なぜ、どうして分からない!?」とウィズは怒りながら俺に詰め寄ってくるが、逆に俺は心の中にまでウィズが居ないといけない程、ウィズの事を好きなのに、どうしてこんなに怒るんだよと問いただしたかった。  なので、実際問いただした。 「なんでっ!俺は心の中にもウィズが居なきゃ生きられないくらいウィズが好きなのに!なんで俺を愛してるウィズが、それを怒るんだ!?わからない、わからないっ!わからないっ!」 「俺は“俺”以外がお前に触れるのが嫌なんだ!何故わからん!?ソイツは、俺ではないだろうが!?俺であって俺ではない!頼むから分かってくれ!?分かれ!分かれ!分かれ!」  問いただした先から、疾風のように風が勢いよく吹き返す。分かれと言われても分からないし、どうして俺達は互いに“愛している”と分かっているのに、こうも分かり合えないのだろう。  もしかして俺が目的地だと思って必死に辿り着いた「あいしてる」は、ただのスタート地点で、これからが俺達の道のりの始まりとでも言うのだろうか。  そうかもしれない、だって俺の人生はまだまだ道半ば。これからも長いのだから。 「そんなぁ!」  隣から響き続けるヴァイスの笑い声が、まさに俺のその当たり前ともいうべき気付きを「当たり前じゃん」とでも言うように、愉快そうに響く。  まだまだ、これから。ウィズとのこの「分かる」「分からない」の攻防は、きっとこれから一生続くのだ。  そう、俺が到達した半ばウンザリするような気付きの中、ヴァイスの笑い声の隙間を縫って、一つの声が俺の耳に届いた。 『ますたー、ますたー』  これもまた、問題を多いに孕む声の一つである。

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