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第2話
八月十五日、正午。
皆がラジオの放送員の音頭に合わせて起立をし雑音の混じった君が代を聴く。しばらくすると天皇陛下の歪んだ声がラジオから流れた。
いったい何を言っているのか、正直分からない。ただ、すべてが終わったのだと悟ったのは、大尉殿が頭を地面に擦り付けて泣きはじめた時だった。
その後また君が代が流れたあとに放送員が先ほどの放送の解説をはじめ、我が日本国は負けたのだと理解した。
放送が終わり、大尉をはじめ数名は自決をすると言い、さっそく同志を募りはじめる。
俺もと手を挙げようとした瞬間、からだが金縛りにあったように動けなくなった。声も出ない。ただ、朝方にかいだ汗のにおいがそばで香る。
ああ、これは橘の匂いだ。
大尉殿はなにも言わない俺を見て「石田少尉、気にするな。貴様は若い……生きろ」と笑って去っていった。
自決組は基地へ残り、自決を選ばなかった者たちは各々荷物をまとめはじめる。俺もほとんどない荷物を雑嚢の中に適当に入れていく。
わずかに残っていた食い物はみんなで分けて、自決組が見送るなか集団で基地をあとにした。
ある程度進むと今度は地元が同じ者同士に分かれて進む。
歩き進むと田舎などは変わらなかったが、都会に進めば進むほど焼けた町を目にする。廣島は壊滅しているからと迂回して進んだ。満員の汽車に乗りこめばまた一人、また一人と仲間と散り散りになる。
気がつけばひとりになっていた。
汽車が停まり人が降りていく。
少し余裕のできた汽車の床に座りこみ、なにか食糧が残っていなかったかと雑嚢の中を漁る。
もう食糧はひとつも残っていなかったが、雑嚢の底に入れた覚えのないものが入っていた。
表紙が少し焦げた日本語ではない文字が書いてある本。
見覚えはある。最後に橘と手に入れた本だ。
「だから、俺にはなんて書いてるか読めねえんだよ。貴様が読んでくれや……橘」
ふと赤ん坊の泣く声がやけに耳につく。泣き声の方へ顔を向けると母親が必死に赤ん坊をあやしている。
真っ赤な顔で泣くあの赤ん坊は生きているのだ。
俺はもう生きるあてもないが、あの赤ん坊は生きている。
痩せた母親は震える声で「お乳がでない」と言っていた。
あの母親が死ねば、あの赤ん坊は死ぬ。あの母親の乳が出なくても、あの赤ん坊は死ぬのだ。
橘がいない俺は死んだも同然ではないか。
地元の福岡へたどり着いても、親のいない俺はひとりだ。
まださっきの赤ん坊は泣いている。泣く気力もない俺の代わりに泣いてくれているみたいだ。
汽車を降りて橘から流れ込んだ感情を噛み締めて歩く。
橘も俺と同じ思いを持っていたことが嬉しくもあり、悲しくもある。
汽車を降りてから何度か野宿をしたが、あの日以来橘は夢に出てこない。
数日間歩き進めば次第に所々焼け焦げた町が見えてきた。
機関銃の跡が残る建物をすり抜けて歩き進む。
橘のいないこの国はまるでごみ溜めだ。
俺はこのごみ溜めの中でひとり生きていかねばならない。
この焼けた町と同じように俺の想いも焼けたのだから。
おわり
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