1 / 2

プロローグ

『己のごとく、汝の隣人を愛すべし』とイエス・キリストは命じたらしい。 彼は自ら十字架の死によって、真の愛は自己を犠牲にしなければ達成する事ができないと、指し示した。 なんて素晴らしい事なんだ。と、人々は賛同する。それは、まるで発情した家畜のように、今現在ダニール・アダムズの上で夢中になって腰を振っている男も同じだった。 男は数分とも経たぬ間に息を切らすと、汗をボタボタとシーツへ垂らす。 胸元には銀色の十字架がゆらゆらと揺れ動いていて、この模様は近くにある教会のものだったとダニールは思い出した。 今夜の相手はどうやら牧師らしい。 平日は礼拝で説教や聖書の学びを説き、祝日は女子供と讃美歌を歌う。そして夜はバーで踊るドラァグクイーンの男を買って、腰を振る。 時にはイエスの教えを説き、時にはこうして彼らの禁忌を自ら犯す。宗教とは……いや、人間とは、上手くできた生き物のようだ。 ーー同性愛行為に及べば罪となるが、同性愛の欲求を持っているというだけでは罪ではなく、むしろ尊重されるべき。 この男が教会で言っていた言葉。 最近では同性愛について寛容な宗教も増えてきたらしいが、ダニールにはどうにも理解ができなかった。 家族を守るため、夢を叶えるためにしているこの行為が罪だと言われ、“愛の欲求”などという未知の感情が許されるのであれば、自分には許しをこえる居場所など無いのではないか、と思う。そもそも神など信じず赦しを乞いたい相手など、とうの昔からいないのだが。 気づけば男の息遣いが激しくなっているようで、体の重心がダニールへと傾いていた。 ベッドに押し付けるような動きに変わり、そろそろかと察する。 果てそうなっている男をそれを、ダニールは尻の奥深くで思い切り締め付ける。それに気づいた男は、彼の身体が己のモノで喜んでいるのだと勘違いをして、興奮は最高潮に達した。 「気持ちよかった? ……いくらくれる?」 ダニールは、上目遣いで男の顔を覗き込む。 「これでどうかな」息を整えながら、男は2本の指を立てる。 200ドル。それが男の示す数字だった。 普段ならまぁまぁ妥当な額と言ったところか。 「明日弟が2年生になるんだ。だから少し学費がさ」 そうねだる様に甘い声で足を擦り付けると、男は舌打ちをしてダニールを一瞥する。 「『汝の隣人を愛せよ……』でしょ?」 自分を愛するのと同じように、隣人も愛すべき。だから、自分が可愛いなら、黙ってもらう代わりに金を出せ。遠回しにそう言った。 男は自分が牧師であることを隠していたつもりなのだろう、その言葉に一瞬で顔が真っ青になる。 「いくら君が美しくても、30代になったら価値など下がる。そしたらさっさと野垂れ死ぬんだな」 ダニールの身体を見ながら、嫌味を込めた言い方をする。そして、仕方がなさそうに財布から100ドル札を5枚取り出すと、男はそそくさと帰り支度を始めた。 「じゃあ、あんたより金持ちと出会えますように。アーメン」 少し皮肉を込めて祈りのポーズを取ると、男は「この淫売が」と決め台詞のように吐き捨て部屋を出た。 「あんたに心配されなくたって……」いつまでもこんな事を続けていれるはずもない。それは自分が一番よくわかっていた。 ダニールは投げ捨てられた100ドル札を拾い上げポケットへと突っ込むと、ベンジャミン・フランクリン(※100ドル札の肖像画)が、クシャりと音を立てて嗤った。

ともだちにシェアしよう!