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第10話

『おはようございます。今日、若菜さんと友人と食事に行くことになりました。お仕事頑張ってください。明日、楽しみにしています』  スマホに届いていたメッセージを見てピタリと箸が止まる。正午の定食チェーン店はザワザワと賑やかく、客の多くが俺と同じようにスマホを友に昼食を胃袋に収めていた。誰も俺を気に留めない賑やかさが気楽でちょうどいい。  今日は早朝会社に寄ったきり、一日現場に詰めることになっていて宮下の顔を見ていない。毎日の人目を盗んでするメモの応酬も、アイコンタクトも職場では『仕方ない』振りはしているけれど結構楽しい。  朝晩律儀に送られてくるメッセージだって、返信をしない事も多いけれど嬉しかったりする。今朝は会えなかったからとメッセージを楽しみにしていただけに、その内容にピキリと凍った。  若菜は中途入社で入って来た二十代後半の女性社員だ。小さくて可愛らしい見た目の割には性格は男勝りで、宮下とはそこそこ気が合うらしく、部署は違うのに時折砕けた様子で話しているのを見かけた。納涼会の時も若菜と宮下が仲良く話しているのを見て誤解し、飲み過ぎたのだ。  そういう気はお互い全く無く単純に友達だと宮下には聞いているけれど、どうしても不安は胸を過る。  ほぼ無意識に『なんで』と打った返信に自分で驚き、あわてて消した。疑って詮索するなんてダメだろ?   ──余裕、余裕、大人の余裕……。  心の中で呟いて、余裕ある大人を演じる。すでに意識しないと余裕あるふりも出来ないなんて余裕のない証だけれど、さて、余裕のある大人だったらどんな返信する? 『お疲れさま。確認しました』って仕事じゃないんだから。 『合コンか?』これは無いな。妬いてるみたいだ。  迷って迷って、何度もメッセージを書いては消す。 『おつかれ。了解です。楽しんで来い。こっちも多分夜は懇親会』  結局無難なメッセージを送り、それからまた悩んで追加した。 『明日、待ってる』  誰に見られるでもないのに、恥ずかしくてすぐに画面を隠して牛丼を一気にかき込む。でも、モヤモヤはなくならない。  会社の皆と行くならまだいい、だけど個人的に、しかもその友人と? それって合コンだよな。  宮下は若いのだし、どんどん行けばいいよ。と、今までならそうしてるし、普通の上司ならそう言うだろう。俺のことを好きだと言ってくれるけれど、宮下の未来を潰したいわけじゃなくて……。  もっと若い、そして出来れば女の人とならわかりやすい幸せを手に入れられる。結婚した友達は、──離婚したやつもいるけれど──、文句を言いながらも幸せそうだ。そういう幸せを宮下から奪う権利はないと、そういう幸せを手にして欲しいと思う自分もいる。  隠さずに伝えるのは宮下の誠意なんだろう。信頼できる男なんだと思う。仕事でも、恋愛でも。  ──でも、知りたくなかったなぁ……。  不安にならないはずがない。情けないけど、女とバイの男は鬼門だ。箸を持つ手が震える。最後のひと口が喉を通らない。  ──キスは何度かしたけれど、まだ宮下とは寝ていない。それなら友達みたいなものじゃないか。  自分でも驚く程動揺した自分に言い訳をする。だけど言い訳は何の役にも立たず、気持ちは凹んだままだ。このままじゃ仕事にもならない。 「ごちそうさまでした」  丼の飯を水で流し込み、戦場の様に忙しそうな厨房に声を掛けて席を立つ。手洗いに寄って勢いよく流した水で顔を洗った。半日で少し汗臭くなった首にかけたままのタオルで顔を拭うと、少しだけスッキリした気がする。  まだ大丈夫だろうか? と、湿ったタオルの匂いを嗅いで苦笑する。  ──そりゃあな、こっちは加齢臭も気になるおっさんだもんなぁ……。  仕方ない、歳をとるのは熟成してきた証だ。一つひとつ積み重ねてきたんだから……。そう言い聞かせて社用車に戻った。 「ついでだから、前やった現場の確認してくるか」  一人で呟いて、休憩時間にも関わらずドライブすることにした。いつもなら日陰に車を止めて昼寝くらいするんだけど、今日は何も考えない時間が怖かった。  午後の仕事も滞りなく終わり、現場にいた中堅作業員や他の業者の数人と『打ち合わせ』と言う名の懇親会に行く。営業活動ではないし必須ではないけれど、時折は腹を割って話した方が仕事はうまく回る。  ちょっとした現場の愚痴を笑って聞きながら、心の中でメモを取る。家族の話、気になる女性の話、パチンコの話……。次々に出てくるたわいない話に相づちを打つ。 「そういえば、加藤さんはいい人いないんですか?」  話を振られて、いつも通りに笑ってごまかす。 「この年になるとさすがに全くないですね」 「あれ? どっかの✕1事務員さんが狙ってるって聞きましたよ」 「情報古いって。あの子、自分とこの年下と付き合ってるらしいぞ」 「あー。若い方が良かったか……。俺なら加藤さん選ぶのになぁ」 「お前じゃ加藤さんが嫌だって言うよ」 「そんなこと言って、俺結構モテるんですよ!」 「……お前じゃあなぁ……。一人のが楽ってもんだろ」 「この前だって、飲み屋のお姉ちゃんに連絡先聞かれて……」 「ばっか! それ営業じゃねーか」  みんなでバカ話に笑う。  そういえば、前に失恋した時は見るに見かねて慰めてくれた同僚に、ポロリと二股されていたとこぼしたけれど、それ以外では自分の色恋沙汰を酒の肴にしたことはない。理由は簡単。相手が男だから、何かの拍子にうっかり喋らないように会社では全部内緒にしてきた。  適当に、女に奥手で積極的になれない草食男子の振り。本当は気に入った相手には自分から積極的に声をかけていたし、好きだったら考える前に行動派だ。  奥さんや恋人の話でデレデレする同僚を羨ましいと思いながら、そういうのは女に奥手という仮面の下に押し込めて全部封印していた。だからだろうか、いつの間にか装っていたはずの『恋に奥手』が本当の自分になったみたいだ。  でも、それはいい、自分の事だから。  人前で酔っ払って恥ずかし気もなくデレデレと惚気る同僚は、うんざりするけど、幸せそうだ。同じように宮下を自慢したくなる。もちろん、出来ないのだけど……。宮下も同じ思いをするのかと思ったら、グッと胸が苦しくなった。 「でもぉ、嫁さんがいても、いくつになっても『いいな』って思う子がいるのがいいんスよね。浮気したいとかじゃないんですけど……。ちょびっとだけ恋してたいっていうか~、トキメキたいんですよ。プラトニックな感じでいいんで! それだけで潤うっていうか……、わかってくれます?」  程々に酔って絡まれ、同意を求められてつい口がすべる。 「……まぁ、トキメキがあると、他にも張り合い出ますよね。仕事も頑張ろうかって気にもなるし……」 「加藤さん、わかってるじゃないですか~。さては、加藤さんも恋してますね?」 「いや、具体的に俺がどうとかじゃなくて……」 「いいんですよ、隠さなくて。加藤さんてば秘密主義なんですね! でもいいんです、秘密でも。トキメキは僕の中にあるので……。嫁さんにもバレません!」 「おいおい、大丈夫かよ」 「プラトニックだから問題ないです!」  自信満々で答えて機嫌よくワハハと笑う酔っぱらいと一緒になって笑いながら宮下のことを考えた。  確かに恋は楽しい。片想いでもいいけど、両想いなら尚更。面倒な仕事すら鼻歌交じりにこなせる気がするんだからすごい。今なら何でも出来そだった。  恋の浮きと沈みを一日に何度も往復する。不安にもなるけど、結局の所、俺はこの恋に夢中だ──。

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