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第1話

ー春、この良き日、これから始まる新しい学校生活がここにいる全ての人にとって最高の日々であり、思い出となるように心より願います。そして、それを見守ってくれる先生方や全ての大人の方たちに心より感謝します。入学生代表、()(もり)()()ー 高校の入学式で代表として挨拶をした田森理久。俺とは正反対の空気を持つそいつが放つ優等生っぷりがどうも気に入らなかった。幼馴染みの田辺篤史が田森と同じクラスということあり、何となくクラスへ足を運ぶといつも机に座って読書をしている田森の姿が目に留まる。クラスの奴らに混ざることもなく自分だけの世界観で生きているみたいでやっぱり気に入らない。 眼鏡を掛けて学ランをピシッと着こなし、真面目で何でも卒無くこなす。言われたことには決してNOとは言わない。見たままの優等生。これはあくまで俺の勝手なイメージだったりするわけだけど、学ランをダボッと着こなし、髪の色も明るく伸びきって邪魔すぎる部分はゴムで軽くまとめて上げている俺とは、見た目も違いすぎて似ても似つかない。 だから、俺たちが近づく日が来るなんて思ってもいなかった。 「よう、篤史」 「(かける)、どうした?」 「悪い、英語の辞書貸して」 「辞書って、俺が持ってるわけないじゃん」 「マジかよ。やっべ」 「何で? いつも持ってないんじゃないの?」 「今日は忘れんなって()()()の奴に釘刺されてたの忘れてて。さっき思い出した」 「あーあ、最悪じゃん」 「ついてねぇ…」 窓越しに篤史と会話していると、スーッと英語の辞書が目の前に差し出され、驚きのあまり顔をその辞書の先にいる人物へやると、 「田森理久…」 「佐久間くん、これ僕のだけど良かったら使って」 「何で…?」 「ないと困るんだよね? どうぞ」 「ああ…、悪い。じゃあ、借りてく」 更に辞書を近づけて来るから思わず手を伸ばしてそれを受け取ると、田森理久は特に反応もせずに自分の席へと戻って行った。 「ラッキーじゃん。田森が翔に自分の辞書貸すなんてレアじゃない?」 「どういう意味だよ」 「だって、どう見たって関わりたい相手じゃなさそうだし」 「うるせぇ…」 そんなことは、俺だって同じだ。 こんなきっかけがない限り、意気がっているだけのこの俺と学年一レベルの優等生の田森理久が話すことなんてあり得ない。 「じゃあ、俺行くわ」 「おう、授業頑張れ」 「はーい」 辞書を持った手を挙げ答えると、自分の教室へと戻って行く。 正直、助かった。あのまま英語の辞書が借りられなければ、俺は危うく英語の単位を落としていたかもしれない。さすがに毎回忘れていることに痺れを切らせた八反田なりの優しい忘れ物をしないようにという警告だったのだろう。 教室に戻り、英語の辞書を机の上に見えるようにあからさまに置く。 こうしておけば、八反田も文句は言わないはずだ。 授業が始まると、満足そうに俺の机の上に乗っている辞書を見ながら何度も隣を素通りしていく。 わっかりやすすぎだろ… 単純な奴…なんて思いながら、俺はよせばいいのに何となく英語の辞書を箱から取り出すと、ペラペラと捲っていく。 こっちはこっちでわかりやすいぐらい辞書に折り目が着いてたり、要点をマーカーしたりしている。 ーどんだけガリ勉なんだよー 心の中で呟きながらページを捲っていくと、ある単語に差し掛かったところで全ての神経が持ってかれた。 時間が止まったように目が離せない…。 まさか…、嘘だろ? 結局、授業なんて一切頭に入って来なかった。 というよりも、そのページから動くことさえ出来ずにいた。 HRが終わって辞書を返しに行こうと、田森理久のクラスへ向かう。 いつもは篤史に会いに行ってたようなもんだから特に何も考える必要なんかなかったけど、今回はそうもいかない。 田森理久を廊下の窓から呼ぶなんてこと…、目立って仕方ない。 そうこう考えてるうちに、教室の前まで来てしまった。 「翔、帰ろうぜ」 俺の姿を見つけるなり、篤史がいつものように窓側までやって来て声を掛けてくるけど、俺は田森理久の姿を探していた。 「田森は?」 「えっ? あっ、辞書か。うーんと…」 篤史も教室内をぐるりと見渡して田森理久の姿を探してくれているけど、見当たらないようだ。 「あいつ、いないの?」 「っぽいね。あっ、もしかしたら水やりかも…」 「水やり?」 「そう。田森のやつ、学級委員と植物の水やり係してて、放課後よく水やりしてるから」 「へえ…。じゃあ、俺ちょっと行ってくるわ」 「おい、机に置いとけばいいじゃん」 「そういうわけにはいかねーし。借りたもんは、ちゃんと返さなきゃ。悪いけど、先帰ってて」 呼び止める篤史を横目に、俺は田森理久が水やりをしている場所もわからないまま校内を歩き出す。 途中で自動販売機を見つけて、制服のパンツのポケットから小銭を取り出すと、お金を入れてスポーツドリンクを押した。 ーガコンッー ペットボトルが落ちてきてそれを手に取る。 「はっ、何だよ! カルピスウォーターって…。この暑っついのにっ」 ダンッと思いっきり自動販売機を殴りつけてみたけど、ビクリともしない。 仕方なくそれを持って、再び田森理久を探し始める。 すると、教室の裏側へ差し掛かった時に何となく水の音が聞こえてきた。 俺は引き寄せられるようにそっちへ向かって足を進めていく。 「おっ、いた…」 ようやく姿を見つけて声を掛けようとしたけど、花壇に水やりをしている水しぶきと太陽の反射で、田森理久がキラキラと眩しく見えた。 田森のやつ、ただのガリ勉のくせに… ゆっくり近づこうとした瞬間、足元がカサッと音を鳴らして、田森理久が振り返る。 「佐久間くん?」 「よう。こんなところで水やり?」 「まあね。佐久間くんは?」 「俺は、ほらっ、借りてた辞書を返しに…」 「ああ。机に置いといてくれれば良かったのに…」 「いやいや、ちゃんと返さなきゃって思って。助かったよ、サンキュッ」 持っていた辞書を差し出すと、水やりをしていた手を止めてホースを置き、それを受け取りに近づいてくる。 俺は何故かその場から動くことができずに、田森が近づいてくるのを目で追っていた。 「それから、これ」 「カルピスウォーター?」 「やる!」 「何でまたこのチョイス…?」 「知らねぇし…。俺はスポーツドリンク押したのに、これが出てきたんだよ」 「へえ…。でも、ありがたく頂くよ」 そう言って、俺の差し出した辞書とカルピスウォーターを受け取ると、花壇の縁を囲っているレンガの上に、そっと置いた。 「言っとくけど、これで貸しなしだからな」 「別に、貸しとか気にしなくていいのに…」 「そうはいかない」 「佐久間くんって意外と律儀だね」 「意外とって…、おい」 「あっ、ゴメン。褒めたつもりだったんだけど…」 顔色ひとつ変えずに会話をしていた田森理久が、少し気まずそうに鼻の頭を掻きながら言う。 そして、汗を拭くためにいつも掛けている眼鏡を外すと、ポケットから取り出したハンカチで汗を拭った。 俺は、何故かそのしぐさにドキッとした。 「じゃ、じゃあな…」 「あっ、うん…」 「暑いから、ちゃんとそれ飲めよ」 「わかった。ありがとう」 再び眼鏡を掛けて去り際の俺にお礼を言う表情が無表情じゃない少し柔らかな表情になっていて、俺の胸がまたドクンと脈を打つ。 田森理久の眼鏡外したところを初めて見たけど、あいつ眼鏡ない方がモテそうなのに…。 「って、俺…何考えてんだろ…?」 目の前に浮かんできた田森理久の残像をかき消すかのように頭をブンブン振りながら独り言のように呟くと、俺はさっきの自動販売機で、今度は自らカルピスウォーターを押した。

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