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4. 凸凹コンビの出発(後編)
メニューを消化し、今日はこれで終わりだと告げようとした時、翔琉 は自分から質問してきた。
「あの、滝沢 さん。術後一か月経ったら、スクワットしても良いって聞いたんですけど」
「岡田 さんは良いですよ。経過が順調なので」
「ちょっと今からやってみますんで、姿勢とか、チェックしてもらえませんか?」
重々しい態度を装い、樹生 は頷く。翔琉はおもむろにスクワットを始めた。少し離れたところから眺め、改めて彼の肉体美に圧倒される。無駄のない体躯のライン。半ズボンから覗いている膝回りの腿やふくらはぎの筋が動くさますら、機能的で美しい。
「岡田さんは、手術した左膝の回復は勿論、実戦に向けて、右膝周りも含めて鍛え直していくんですよね?」
「はい。少しでも早く試合に出たいっス」
彼の目元と口元に少し悔しそうな色が滲 んだ。これほど真面目でストイックな選手だ。試合に出場できないのは辛いだろうと、改めて樹生の胸は同情に痛む。
「まだ移植した腱が弱い時期なので、今はこれくらいが良いと思います。もう少し回復したら、負荷を上げるために膝の位置を下げましょう。それと、膝を曲げた時、膝が前に出すぎてるし、外を向いてます。正しい向き・角度は、……これくらいですかね」
鏡の前で身体の向きを変えながら手を添え、正しい姿勢を確認させた。鏡に見入る翔琉の真剣な表情に、樹生は一瞬目を奪われた。
「滝沢さん、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げた翔琉の目には、素直な敬意と感謝が浮かんでいた。ゆっくり遠ざかる大きな背中を見ながら、彼の真っ直ぐな眼差しを思い出し、樹生は内心独 り言 ちた。
(岡田さん、ぶっきらぼうだけど、ホントにバスケが大好きなんだな……)
翔琉を見送った後の休憩室で、無意識のうちに彼の身体に触れた両の掌を、そっと自分の胸に押し当てていたことに気付き、樹生はテーブルに突っ伏した。
(なっ、何やってんだ、僕は……。べ、別に、あの胸に抱き締められたいとか、そんなこと思ってないし!)
休憩室で赤くなったり青くなったり、一人百面相をしている樹生を、同僚たちは不思議そうな目で見ていた。
「岡田さん。術後四か月までは、レッグカールで膝を真っ直ぐ伸ばさないでくださいね。腱への負荷が高すぎますから」
「分かりました。滝沢さん、これ聖加病院のウェブサイトに載ってた、サッカー選手向けの膝前十字靭帯再建後のリハビリプログラムなんですけど。片脚立ちとか片脚スクワット、メニューに入れるのって、どうスかね?」
リハビリが終わっても翔琉はすぐに帰らない。クリニック以外でのリハビリやトレーニングも含めて、樹生と会話を交わすのが常だ。
「あぁ、これは良いですね。リハビリメニューってすごくバリエーションがあるんです。クリニックでは時間が限られるので、その中の幾つかをピックアップしてるんですけど、希望があれば言ってください」
「あざっす。……バスケも、切り返しとかジャンプの踏み込みとか、片脚だけでプレイする場面は多いんで。片脚で運動する感覚も、無理ない範囲で戻していきたいんですよね」
「……なるほど。じゃあ、クリニックでのメニューもその観点で少し見直してみますか」
「すんません。よろしくお願いします。
あーあ……。怪我する前なら何十秒でも片足で立っていられたし、片足ジャンプも余裕だったのにな。今は左足に体重掛けることすら怖くて。全然ダメっす」
軽く口を尖らせた翔琉は、いじけたようにマットの縫い目をしつこく弄っている。試合中の無表情や、初対面の時のふてぶてしい態度とは打って変わり、すっかり翔琉は樹生に懐いている。まるで構ってくれと言わんばかりの子どもみたいな振る舞いに内心苦笑しながら、樹生は優しく宥める。
「まだリハビリ開始して二か月目でしょ? 岡田さんは、十二分に頑張ってますよ。これ以上頑張ったら、逆に身体痛めちゃうからね」
やって良いこと・ダメなことは明確にし、根拠も説明する。そうすると、翔琉は素直に聞き入れ、樹生の助言に従うことが分かった。加えて、不安や焦る心情に積極的に共感を示すと表情が和らぎ、たまには泣き言を言って甘える素振りを見せることもある。三歳年上の樹生には、彼も甘えやすいのだろう。
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