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第1話

 高校最後の夏。お互いにとってこの夏が高校生活で一番の思い出になるだろう。毎日、この日のために休みなくがむしゃらに練習を続けてきた。  大丈夫、きっと思いは届くから…。 「背番号1、(いそ)(がい)(こう)(へい)」 「はい」  野球部の監督に名前を呼ばれて大きく返事をし、監督の元へと駆け足で進むと向かい合わせで足を止める。『背番号1』と書かれたゼッケンを監督に手渡され、「ありがとうございます」と震える手でそれを受け取った。込み上げてくる涙を隠すことも出来ずに、奥歯を噛みながらゼッケンを持つ手にグッと力が入る。選抜メンバーが発表され、夏の大会に向けて本格的に動き出した。  練習が終わり、俺は一目散に今一番この思いを伝えたい人物の元へと全力で走っている。真っ暗になった校庭にしっかりと聞こえてくるトランペットの音。その音がだんだんと近づいてくる。 ーガラーッー  勢いよく音楽室のドアを開くと、そこには親友の()(ざき)(よう)(すけ)介の姿があった。俺は振り返った陽介に、『背番号1』を思いっきり高く挙げて見せる。 「おーっ、やったじゃん!」 「マジ、俺、すっげぇ嬉しくて! 陽介に一番に伝えたいって思って走ってきた」 「それはかなり嬉しいな。航平は、このために一生懸命頑張ってたもんな」 「絶対に取りたかったからな。でっ、陽介は?」 「もちろん 、俺もメンバー入り。これで、航平の応援もばっちり」 「やったー!」  二人でハイタッチをして健闘を喜ぶ。俺は野球部のエースを、陽介は吹奏楽部のメンバー入りを目指して頑張ってきた。その思いがこうして報われたのだ。  形は違っても、目標に向かって頑張っている気持ちが同じということもあって、気がつくと俺たちは自然と一緒に過ごすことが多くなっていた。言葉に出さなくても、自分が頑張ることでお互いを刺激し合える仲だと思っていた。 「最高の夏にしような!」 「もちろん」  ガシッとお互いの手を取って、胸の前で握るとニカッと笑った。その顔がやけに眩しくて、胸の奥がとくんと鳴ったことに気づきながらも、俺は気づかない振りをした。 ー陽介sideー  高校に入学してすぐの頃、どこからか吹奏楽部に入っていることを聞きつけた航平が目の前に現れた。 「なあ江崎、お前って吹奏楽部なの?」 「そうだけど…」 「吹奏楽部って全力で野球部の応援のために演奏してくれるって聞いたんだけど、マジ?」 「そうらしいね。伝統みたい」 「だったら、俺は全力で野球部のエースを目指すから、江崎も全力で応援してよ」 「えっ?」 「決まり! 俺たち最強のコンビな」 「ちょっと…」 「じゃあな」  突然目の前に現れて言いたいことだけ言うと、あっという間に去って行った。これが航平との出会い。第一印象は正直…、変なやつ。だけどその出会いが俺の楽器と向き合う気持ちを大きく変えた。  音楽室で練習をしていた時に窓の外から聞こえてくる野球部の掛け声。何となく気になって窓の外へ目をやると、探した訳でもないのに目に飛び込んできた航平の姿に、俺は一瞬で視線を奪われた。誰よりも声を出し、 ボールを追いかけている。  あいつは、本気でエースを目指してるんだ…  それが伝わってきて、持っていたトランペットを握る手にグッと力が入った。  静かになったグラウンドから聞こえてく"スパン、スパン"と響いてくる音。この音は、航平の自主練する音だということを知った。航平の投げた球が、キャッチャーである吉岡のミットに入る音。これが何十球も続く。練習が終わってヘトヘトなはずなのに、それを感じさせないような規則正しい投球練習の音が、しっかりと俺の耳に届いていた。  それを知った俺は、ただ吹くだけじゃなく真剣に演奏することから始めた。あいつが真剣に向き合っているなら、自分も真剣に向き合って応援したいという思いが大きくなっていったからだ。あいつに恥じないようにちゃんとやり遂げたい。何の目標もなく続けてきたトランペットが、いつしか確かな目標のために続けているトランペットへと変わっていった。 ーある日ー 「やっちまった…」 「おい、どうしたんだよ?」 「先輩が打ったボール、取り損ねて折れた」 「マジかよ…」 「けど、まだ二年だし。こんなの早く治して復帰するから」  二年の夏、航平は練習中に先輩の打ったピッチャーライナーを取ろうとして腕に思いっきり当たり左腕を骨折した。何でもない様な振りをしていても、投げることの出来ない日々は辛かったはずだ。それでも練習を休むことはなく、毎日できる範囲で球拾いをしたり、ティーバッティングのボール投げをしたり、人一倍声を出したりして練習に参加していた。  誰にも知られないように一人残って走り込んでいたことも知っているそんな姿を見ていたら、俺だって同じくらい練習しなきゃ意味がない。気がつけば、夢中でトランペット吹いていた。 「いつもさ、練習中に陽介のトランペットの音が聞こえてくるんだよ。陽介が頑張ってるんだって思ったら、俺も頑張らなきゃって思えるんだ」 「それはお互い様じゃない? 俺だって航平が頑張ってるから頑張ろうって思えるし」 「おっ、やっぱり俺たちって最強のコンビじゃん」 「だな」  俺たちが初めて出会った日に交わした約束。一方的だったそれは、いつの間にか二人の中で確実なものになっている。  俺は怪我をした航平に何もしてやれないけど、トランペットを吹くことで力になれるなら、精一杯吹くだけだ。そうすることでしか、自分の気持ちは伝えることが出来ないから。 ー航平sideー  怪我をした瞬間、正直目の前が真っ暗になった。この時期の怪我は選抜メンバー入りにかなりの影響が出る。何としてでも早く怪我を治して復帰しなければ他のメンバーに遅れを取るからだ。必死だった。全力で練習に取り組めない分、自分に出来ることを出来る限りやることでなるべく遅れないようにしようと無我夢中にボールを追いかけた。 「磯谷、ちょっといいか?」 「はい」 「このままじゃ治るものも治らないかもしれない。しばらく練習を休むのも大切だぞ」 「だけど僕…」 「もしも本気で来年の選抜を考えているなら、まずはきちんと怪我を治すこと。そうしなきゃ選抜に入れなくなるかもしれない」 「わかりました。失礼します」  怪我をしてから三週間後のことだった。監督に呼ばれて告げられたのは、もっともらしい言葉。分かりきっていたことなのに、面と向かって言われると現実を受け入れないわけにはいかない。悔しくてどうしようもなかった。誰もいなくなった部室で、誰にも気づかれないように声を殺して泣くことしか出来なかった。  そんな時に聞こえてきたトランペットの音…  その音が、ふと俺の中に入り込んできて、苦しい胸の奥にやんわりと包み込むような感覚が広がっていく。  そうだ…  俺は陽介と一緒に戦うって決めたんだ。中途半端じゃなく、最高の状態で戦わなきゃ意味がない。完璧な自分でマウンドに上がらなきゃ、意味がない。休もう…。完全に治してそこからまた頑張ればいい。陽介と同じ場所に立てるように、きちんと怪我と向き合おう。そう思えた。  そこからの三ヶ月は本当に長かった。動かない分、お母さんが食事に気を遣ってくれたり、負担が掛からないように座ったままで足の運動をしたり、出来る範囲でやれることをやった。 「もう大丈夫でしょう。骨もしっかりくっついてますし、これだけ動かせれば問題ないですね」 「じゃあ先生、明日から練習復帰してもいい?」 「良いですよ。よく頑張りました」 「よっし! ありがとうございました」  ようやく野球が出来る。それだけで体がウズウズする。投げたい。思いっきり投げたい。吉岡のミット目掛けて全力投球したい。  けどその前に…  まずは一番伝えたい人に連絡をする。スマホを手に通話ボタンを押して、耳に当てる。コール音がなる度にドキドキと胸が騒ぐ。 「はい」 「あっ、俺…」 「うん。どうした?」 「腕、やっと治った。明日から練習していいって」 「おーっ、やったじゃん!」 「やっとだよ。でさっ、今からちょっと出てこれる?」 「いいけど…」 「じゃあさ、近くの公園で待ってる」 「了解。すぐ向かう」 「またあとで」  電話を終えると、俺は待ち合わせの公園で陽介を待っていた。その手には、二組のグローブと野球のボールが一つ。陽介はキャッチボールをしてくれるだろうか? 何をどう伝えたらいいか分からないけど、ボールに乗せて想いが届くと信じたい。 「航平!」 「おっ、来たな。ほらっ」 「おっと…」  近づいてくる陽介に向かってグローブをやんわり投げると、何だかんだでしっかりそれをキャッチした。 「復帰記念に、キャッチボールしない?」 「別にいいけど…」 「三ヶ月ぶりだから、ウォーミングアップがてらに」 「わかった」  どちらからともなく距離を取り、グローブをはめると俺は持っていたボールを陽介に向かって投げた。 ースパンー  静かな公園に鳴り響いたボールをキャッチする音。久しぶりの感覚だ。今度は陽介から俺に向かってボールが返ってくる。 ースパンー  左手のグローブに、ボールがしっかりと収まる音が響いた。 「陽介、コントロールいいじゃん」 「そりゃ、人並みにキャッチボールくらいなら出来るよ」 「もっと早く知ってたら、たまに付き合ってもらえたのに」 「いやいや、航平は休みの日も練習あるし。俺なんかとやるより、野球部の人たちとやる方がいいに決まってる」 「まあね。でも、今日はどうしても陽介とキャッチボールがしたかったんだ」 「うん」  会話をしながらしばらくキャッチボールを続けていた手を、一度止める。 「俺、必ず背番号1取るから」 「当たり前じゃん。そのために、練習も我慢してたんだろ?」  陽介の問いかけに、静かに頷く。 「前に言ったこと覚えてる?」 「んっ?」 「練習中に聞こえてくるトランペットの音。あのおかげで俺、怪我をちゃんと治そうって思えたから。サンキューな」 「おう」  最後に思いっきりボールを投げると、「いってぇ」と言いながらも笑顔でボールを投げ返してくる陽介。もう一度この笑顔を見るために、俺は明日からまた野球のグラウンドに戻るんだ。 ー夏の大会ー  俺たちは、高校最後の大会の舞台へ上がる。三塁側の応援席には吹奏楽部も演奏のために着々と準備を進めている。その横で軽く吉岡とキャッチボールを始めて、体が温まってきたところで、マウンド投球練習へと切り替えた。  怪我が治ってからここまで来るのは本当に大変だった。休んでいた分、走り込みも投球練習もウエイトも無理のない範囲でやっていた。吉岡も練習が終わった後に俺に付き合ってミットを構えてくれた。そんな日々が報われて、ようやくこの場所に立てるんだ。 ープレイボールー  審判の掛け声で、試合が始まる。  俺はマウンドの上で「行くぞー」というキャプテンの声に「おー」と腕を上げた。  第一球、振り被って投げた。 「ストライク!」  審判の掛け声に、会場からワーッと歓声が上がる。今日はすこぶる調子が良いらしい。応援席では、攻撃の回に吹奏楽部の応援歌が鳴り響く。その音はしっかりと届いていた。 ー陽介sideー  マウンドに立つ航平の姿は、本当に眩しかった。一球一球を大切に力強く思いを乗せて投げているのが見ていて伝わってくる。仲間を信じて全力で戦う姿は、今まで見てきた中で一番だ。だから俺も精一杯トランペットを吹いた。この想いがちゃんと伝わって欲しい。誰よりも俺はお前を応援しているんだという思いを音に込めた。  最後の一球…  振り被って投げた。 「ストライク! バッターアウト」  高校最後の夏。結果は1ー0で負けた。それでも打たれたのはホームランの一本だけだ。航平は、応援席の前へ駆けてくると、最高の笑顔を見せていた。その笑顔を、俺はきっと忘れない。 「俺らの夏、終わったな」 「そうだな」 「ほらっ、これ」 「ああ、サンキュー」  帰りの道中で並んで歩いていると、ふいに航平がペットボトルを差し出してきた。水滴をつけたカルピスウォーターを受け取ると、あるパッケージが目に留まる。 「ははっ、これすごいな」 「んっ、どうした?」 「何か、俺の気持ちを代弁してるみたい」  ペットボトルを見ようと航平の顔がグッと近づいてきて、心臓がドクッと音を立てる。 「ちゃんと伝わってたよ」 「えっ?」 「頑張れって伝わってた。だから、悔いなし!」 「俺も!」  二人で空に向かって大きく手を挙げてジャンプする。俺たちの高校三年の夏は終わったけど、これからも変わらずに一番近くで見つめていたい。ずっとエールを送り続けるから…。

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