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喫煙所にて
煙草の値上げに飲食店の禁煙化。
最近、喫煙者の肩身は狭すぎる。
社内にも煙草を吸う人が少なくなって、喫煙所はいつもガラガラだった。
だけど俺は、本当はそれが少し嬉しい。
ガラスの箱のような作りの喫煙所に足を踏み入れると、一人の先客が新しい煙草のパッケージを開けているところだった。
良かった。今日も二人きりだ。
「……よう」
「ああ」
いつものように、短く声をかけ合う。真ん中に大きな吸煙装置と灰皿を挟んで、向かい合う位置で壁に凭れた。
「久しぶりだな、島原。アメリカ行ってたんだっけ?」
「あー。まあな、クソみてぇな専務の荷物持ちだ」
「いいじゃん。アメリカ、行きたいな俺も」
「良かねぇよ。国内の方がいい。……ほら、浅間。先月お前と出張行った長野は良かった」
「んー、はは、そうだな。楽しかった。空き時間で、上田行ってさ」
そんな無駄口を叩きながら、島原はパッケージの底を叩いて、煙草を一本引き抜く。長い指先が、細い煙草を摘んだ。それを口元に運ぶと、薄い唇に咥える。
島原の少し目付きの悪い険のある顔立は、煙草を咥えるとよく映える。いかにも、ワルっぽくなるのだ。
「そうだ、浅間。オレ、結婚しようと思っててな」
その言葉に、俺の思考は一瞬凍り付く。視界がチカチカと明滅して、呼吸すら止まりそうだった。だが、なんとか「へぇ」っと興味なさそうな声を絞り出す。
「彼女居たのか。知らなかったな。式はいつだ?」
「式なんざしねぇよ。くだらねぇ……つーか、まだプロポーズしてねぇしな。これからだ」
「へぇ、そっか。なんて言うんだ?もう決めてるのか?」
本当は、聞きたくなんかなかった。だが、聞かなければ。悲しんでいるのがバレたなら、俺のこの邪 まな感情もきっとバレてしまう。
俺はずっと……島原の事が、好きだった。もう、三年になるかな。島原がうちの営業部に引き抜きで転職してきて、すぐの頃からだ。
元々煙草なんか吸わなかったのに、俺は少しでも島原と話をしたい一心で、30過ぎた今更になって煙草を覚えたんだ。毎日島原を追いかけてこの喫煙所を訪れていたら、今では本当に煙草が癖になってしまった。
それくらい、好きだったんだ。
「なんて言うか、ねぇ」
「何か、サプライズするのか?フラッシュモブとか」
「馬鹿じゃねぇの。んな事やるか……もっとシンプルだよ」
煙草の先にライターで火を付け一吸いすると、先端で赤い火が燻って、ふわりと島原の煙草の匂いした。火のついた煙草を咥えたまま、島原はついっと口角を釣り上げる。
「煙草一本、吸い終わるまでには言い終わる」
その表情が雄臭くて、ドキドキした。島原にプロポーズされる彼女が羨ましい。
でも、わざと仏頂面を作って見せた。
「大事な話の最中に、煙草なんか吸うなよ」
「そいつは、オレが煙草吸う時の面が好きなんだ」
俺だって、島原の煙草を吸う時の顔が好きだ。節だった太い指の間に煙草を挟んで口元に持って行く仕草も、煙を吸い込む時に旨そうに目を細める表情も、紫煙を吐き出す薄くて形のいい唇も。
全部、大好きだ。
でも……その顔を、俺よりもっと好きな人が居たんだ。
「へぇ……彼女、その。俺の知ってる人?」
「さあな」
「さあなって、隠すなよ。なあ、どんな子だよ、教えろって」
「……どんなって言われても、馬鹿だとしか言えねぇ」
「ば……彼女にそういう言い方……あれか?うちの愚妻がみたいな謙遜なら、今時流行らないぞ」
「っるせぇ。馬鹿は馬鹿なんだよ」
鬱陶しそうに、島原は俺の顔に煙草の煙を吐きかけてきた。思わず咳き込みながらも、そんな事がちょっと嬉しい。
こうやって煙草を一本吸い終わるまでの数分間、二人でたわいも無い話をして、時々島原が俺に意地悪をしてきて。そんな関係が心地良かったのに。
だけど、結婚するなら……もう、俺はここには来ない。
惚気なんか聞かされたら、死んでしまう。
「そいつはな。オレに惚れてやがる癖に、ずっと黙ってやがったんだ」
「へ、へぇ」
半分くらいになった煙草が、島原の唇の端で燃える赤い光を放っている。これが早く短くなるように、早く火が消えるように願うのは初めてだ。
聞きたく無い。
俺と同じように島原に片想いして、彼を射止めた女の話なんて。
「そいつ、毎日毎日熱い目で見てきやがって。バレバレだってんだ。そのうち告白してくるかと思ってたのに、何も言ってきやがらねぇ」
「え?でも、付き合ってんだろ?」
「付き合ってねぇよ」
「はあー?だって、結婚するって」
「あー、だから。付き合おうぜをすっ飛ばしてプロポーズすんだよ。まどろっこしいから」
「ゲェッ」
し、島原らしいというか何というか。
島原がこう言うからには、絶対に振られない、確実に結婚するって自信があるんだろう。
甘酸っぱいお付き合いの期間をすっ飛ばされるなんて、彼女には少し同情する。
「断られたり、したらどうすんだよ」
「……ハッ、絶対にねぇな」
自信満々の島原は、スーツの内ポケットに手を入れた。そこから、茶封筒を取り出す。
何かな……島原の事だから、興信所にでも彼女の事を調べさせて、その調査結果とか。
まさかな。
「断られるようなヘマをするかよ。結婚だぜ?一生そいつを、俺の側から離れねぇようにするんだ。入念に下準備したに決まってんだろ」
「……………いや、普通に付き合えよ……」
「付き合う気だってあったが、そいつが告白してこねぇから仕方ないだろ。オレから普通に言うなんて、癪だ」
「なあ!まずな、島原その子のこと好きなのかよ!」
「好きだぜ、当然だろうが」
いや、全く愛を感じないんだが。
かなり彼女が不憫に思えて来た。癪だなんて理由で……。
パサッと、島原が床に茶封筒を投げた。そこから、数枚の紙が零れ落ち床に散らばる。
そこに視線を落とし……俺は、石のように固まった。
それは、写真だった。
写っているのは。
「早く拾えよ。人が来たらどうする」
俺の頭は事態が理解出来ず、混乱しきっていた。足元の写真から、視線を外すことも、屈んで写真を拾う事も出来ない。ただ呆然と立ち尽くして、島原の含み笑いを聞いているしかない。
「よく撮れてるだろ。それは、長野で撮った奴だ」
その写真には、俺が写っていた。
一糸纏わぬ姿で。
ぱかりと足を開いた俺は、涙でぐちゃぐちゃな顔を真っ赤に紅潮させ、だらし無く唇から涎を垂らしている。
足の間には……これは、なんだ。知識では知ってるが、実物なんか見た事がなかった、アナル用のバイブが転がっている。
俺の尻の穴は真っ赤になって、ぱくりと口を開けていた。肉色の腸壁まで見えている。
勃起した俺の性器と下腹は、先走りらしい粘液と精子でベタベタで、散々嬲られた後なんだって分かった。
「………し、……まば、ら」
「あー、二年くらい前からかな。お前と泊まりの出張行く度に酒に睡眠薬混ぜてこうしてた。時間かかったけど充分開発したから、多分もうオレのちん×挿れても痛くねぇだろうな」
「……な、……え………」
「はじめは、指一本でもキツかったが……今はもう緩んで、バイブ突っ込んだだけで喜んでイっちまうようになった。最近はな、お前、もう射精無しでイクんだぜ。知らなかっただろ、自分が雌にされてるなんて。寝言でオレの名前呼びながら、女みたいにイってたんだぜ。動画もあるから、見せてやるよ。本当はな、オレだってこんなやり方したかねぇんだぜ?だがな、馬鹿な意地張って、いつまでも告白してきやがらねぇからだ。仕置だ仕置。でも、もうオレも限界だ。幾ら何でも最後まで意識ねぇ内に勝手にするのは気が引ける。ちゃんと、抱きたいから」
まるで現実感がない。
頭がふわふわしたまま、俺は茶封筒を拾った。中には、写真がどっさり入っている。
全部、俺だ。
島原は全く写ってない。
島原が言う通り、島原自身が俺の身体を使って性処理してたとかじゃないみたいだ。
俺だけが陰部を晒して、尻に玩具を入れられていたり、性器から白濁を垂らしてベッドの上でのたうっていたりしていた。
床の写真も集めて、封筒の中に片付ける。
「な、んで、だよ、こんな」
「だから……分かるだろ」
何故か島原は、今更少し照れ臭そうに目元を赤らめた。そして、すっかり短くなった煙草を、指先で摘む。
それを、指先で軽く左右に振って、俺に見せつけてきた。
「もう、吸い終わる。これがオレのプロポーズだ、浅間。返事はイエスだよな」
島原が灰皿の中にそれを捨てると、中に入っていた水で火が消える、ジュッという音がした。
煙草の残り香を嗅ぎながら、俺は島原の形のいい指先を見ている。
この手が、俺の知らない内に、俺を……。
「なあ、浅間……お前気付いてねぇのか。煙草吸い忘れてるぜ」
嘲笑う声に、顔を上げる。
島原は壁に凭れて腕組みをして、にやにやと勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「一本吸い終わるまでは、返事待ってやるから」
分かりきった答えを先送りにする為に、俺は震える手で煙草を一本取り出す。
怒りと、恐怖と、驚愕と……身震いするような歓喜に包まれて、俺は甘い煙を吸い込んだ。
全部、島原の計算通りなんだろうな。
この鬼畜な男との結婚生活は、甘いものにはならなそうだった。
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