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親友に叶わない恋をしている
俺はノートを開いた。
学校帰りに駅前のコンビニに二人で寄った。
柘榴 はコーヒー牛乳を買っていた。いつも思うけどコーヒー牛乳っていうチョイスが可愛い。
背が高くて気怠い目をしていて髪は伸びかけでちょっと長くて、紺色のカーディガンがよく似合っている。かっこいい。いっそ抱かれたい。
さすがにそれをノートに記しておくのはキモいかと思ったので二十線を引いて消しておいた。
ノートの一ページ目から、読み返す。
少し伸びかけの髪が好きだ。
その髪を時々後ろでくくってるのも好きだ。
気怠げな目も好きだ。
落ち着いたトーンの声も好きだ。
ゲームに誘ってくれるのは嬉しい。ゲーマーなところも好きだ。
背が高いのは純粋に羨ましい。でも好きだ。
俺のこと、あだ名で呼んでくれるのも好きだ。
要するに、俺は三山柘榴のことが好きだ。
爽やかな日差しが差し込む五月の教室。窓越しに見える校庭では体育の授業でサッカーが行われている。今この教室で行われている現代文の授業よりよっぽど楽しそうだ。教室内は寝てる奴、こっそりスマホいじるやつ、真面目に授業受けてる奴、あと授業なんか聞かないで人間観察してる俺みたいな奴がいる。
人間観察、というのも少し違うかもしれない。俺が授業中に教室内を観察しているのはついでと言うのが正しいかもしれない。
俺が本当に観察しているのは、前の席に座る三山柘榴のこと。伸びかけの髪を今日はシンプルな黒いヘアゴムでくくっている。そのヘアゴム自分で買ってるのかなとか、家族のを借りているのかなとか、買ってるとしたら自分でヘアゴム持ってレジに行くんだろうなそれって可愛くないか? なんて。ヘアゴムひとつでいくらでも想像できる。もうブレザーはやめて紺色のカーディガンを着ているけど、俺的には真夏にシャツを腕捲りしてる格好がいちばん好きだとか、柘榴のことを考えていると退屈な授業もあっという間に過ぎる。
柘榴のことを考えているとその柘榴からプリントが回ってきた。俺はいちばん後ろの席なのでそれを受け取るのみ。柘榴、後ろを一切見ないで腕だけを後ろにやってプリントを回すから顔が見えないのはちょっと惜しい。でも面倒くさがりな柘榴らしいと言えばその通りで、そこも可愛く思えてくるから不思議だ。
配られたのは簡単な文章問題だった。文章を読めば解けるような、十分とかからない難易度の問題。さっさと終わらせて柘榴の観察に戻る。柘榴は頬杖をついて右手でシャーペンをカチカチと鳴らしている。柘榴、現代文苦手だもんな。
「せんせー、ヒント!」
廊下側の席に座るお調子者の田中が手を挙げてそう発言する。教室内は既に騒がしくなりかけており、答えの教えあいが横行している。そんな状況下だしヒントぐらい出しても良いと思うが、現代文の柏崎は「自分で考えなさい」としか言わない。この騒々しさに何も言わないぐらいだし、誰かに教えてもらえってことだと思うけど。
「ナル、出来てる?」
突然、柘榴が体を捻って俺に話しかけてくるものだから色んな意味で心臓が跳ね上がった。
「出来てるよ」
「問三、これなに」
「あぁ、それはちょっとややこしいけど後半のこの部分……冒頭と同じ文章だからわかりにくいだけで」
プリントを指し示しながらそう説明すると真剣に聞いてくれる。長い前髪で顔が隠れるのが惜しい。身長と比例した大きな手が邪魔な髪の毛を耳にかける仕草が良い。気怠げな目がまっすぐプリントを見つめる。
「あぁ、わかった。さんきゅ」
一瞬だけ俺の顔をみて自分の机へ向き直っていく。それと同時に柏崎が答え合わせを始めたけど赤いマルをつけるだけで終わってしまう。そして同時に鳴ったチャイムで午前の授業が終わりを告げた。
昼休みは食堂に人が流れるので教室の中は程々に空いていて過ごしやすい。少し開いた窓から吹き込む風も心地よく、このまま昼寝でもしてしまいたいぐらいだ。午後の授業で寝てしまう人が多いのも頷ける。
俺は母さんが作ってくれた弁当とコンビニで買ったお茶。柘榴はコンビニの袋から菓子パン二つと紙パックのコーヒー牛乳を取り出していた。
「ナル、放課後暇?」
紙パックの片側を開いてストローをさしながら柘榴が尋ねる。
「暇だけど」
もちろん暇だ。俺の放課後は柘榴にいつ誘われてもいいように存在しているようなものだ。
実際バイトもしていないし柘榴以外に仲の良い相手がいる訳でもないので毎日、柘榴に誘われない限りは暇をしている。
「俺ん家来ない。ゲーム買ったから」
「行く。あれ、なんだっけあのゲームでしょ、買うって言ってたやつ」
柘榴はゲームが好きで、時折こうしてゲームをやるために俺を家に招いてくれる。昨今はオンラインゲームも多いが生憎俺はゲームを遊ぶためのハードを何一つ所持していない。柘榴と遊ぶために買おうかと悩んだけど、そうすると家に招いて貰えなくなりそうなので購入には至っていない。
「ん、それ」
柘榴とここまでの人間関係を構築してきたのも、俺のただならぬ努力の成果だった。
最初はこんな目で柘榴のことを見ていなかった。ただの仲の良い友達だった。休み時間に話したり、放課後駄弁ったりするような。それがいつからか、俺は柘榴に対して恋愛感情を抱いていたし、気がつけば頭のなかは柘榴のことで埋まっていた。毎日ノートに今日の柘榴の様子や会話の内容を記すほどに。
今だって、コーヒー牛乳の紙パックにささったストローを咥えているのがたまらなく可愛い。外見はどちらかといえばかっこいいに振りきっているけど、俺からすれば行動や仕草なんかが可愛くみえてしまう。
誰かが言っていた。「好きな人のことをかっこいいではなく可愛いと思い始めたら終わり」だと。
まさに終わりだ。もし、俺がこんな気持ちを抱いていると知られたら、一貫の終わり。軽蔑されて二度と話すことすらできなくなってしまうだろう。だから、この気持ちは秘密。俺だけが密かに抱いて、そのうち封じ込める。絶対に、バレてはいけない。
好きだとはっきりと自覚したのは去年の秋頃だった。恋に落ちるきっかけなんてものは案外単純なものだと聞く。
その時、俺は柘榴に勉強を教えていた。
「わかんない」
「えーと、そうしたら……」
人に勉強を教えるというのは案外難しいもので、自分が理解している公式を、自分の持つ知識で説明しようにも、理解していない相手からすればちんぷんかんぷんなようだ。どうすれば柘榴に伝わるか、それに頭を悩ませてどうにかこうにかわかりやすいように説明を重ねた。
「多分……こう」
柘榴がシャープペンを紙の上に走らせて書いた答えは正解。俺は柘榴が理解してくれたことが嬉しくて大袈裟に誉めたし、喜んだ。そのくらい嬉しかった。なんなら教師を志す人の気持ちがわかったとまで豪語して柘榴に冷めた態度を取られた。
その日の帰り道。いつものようにふたりで地下鉄に乗り込んだ。この時間はやや混んでいるので、いつものようにつり革に掴まって揺れに身を任せていた。しばらく乗っていると柘榴が降りる駅に停車する。いつものようにじゃあなと声をかけた。
いつもなら柘榴はそれに片手を軽くあげて応えてくれるが、その日は違った。
「勉強。ありがと」
そんな言葉足らずなお礼と共に、俺の頭に手のひらをぽんと乗せた。
柘榴が降りて、地下鉄の扉がしまる。
柘榴はとっくに降りているのに、手のひらが乗せられた箇所だけが熱を持ったように火照っている。様々な感情が入り乱れてぐちゃぐちゃになった挙げ句それらが爆発して表面に出てきたような。その場にしゃがみこんでしまいたかった。
男に頭撫でられて恋に落ちるとかきもいだろって。わかる、でも落ちてしまった事実には抗えない。
勘違いなんかじゃない。これは明確な恋だ。
つまり、そんな些細なことがきっかけだった。本当に、そんなことで? と他人に言われそうなものだが、そんなことで俺は恋に落ちた。それ以降、ただの友達として柘榴をみることが出来なくなってしまったのだから。
放課後。学校の最寄り駅から地下鉄に揺られて十五分。もはや通い慣れた三山家までの道のりだった。
柘榴の両親は共働きでいないしお姉さんも大学が遅くまであるのでいない。完全な二人きりだ。好きな人と、好きな人の家で二人きり。少女マンガならば何かイベントが起きてもおかしくはない状況だが、悲しいかな男同士ではそのようなイベントは発生しない。
駅から徒歩五分ちょっと。近くにコンビニのある、住宅街の中に建っているのが柘榴の家だ。家の前に置いてある土しか入っていない植木鉢の下に合鍵がある。隠し場所がベタすぎるとずっと思っている。
「お邪魔しまーす」
誰もいないけど。でも、挨拶って大事な気がする。
玄関の目の前にある階段を登って奥の部屋が柘榴の部屋だ。柘榴に続いて階段を上がると目の前には柘榴の広い背中。結構、細い方だと思う。この背中に抱きつきたいと頻繁に思っているが、当然実現などしない。
柘榴の部屋はベッドと机とテレビ、あと据え置き型のゲーム機。それに白いカラーボックスがひとつあるシンプルな部屋だ。いつ来ても大体は片付いているが、たまにベッドの上に寝巻きが脱ぎ捨てられていたりする。すごく正直に言えば匂いとか嗅ぎたい。いや、実は一回だけ嗅いだ。柘榴がトイレに行って、俺がひとりで先に柘榴の部屋に来たときに。あったから、目の前に。いい匂いだった。
柘榴が買ったゲームは所謂オンライン対戦がメインのゲームで、交互にコントローラーを使ってたっぷり二時間は遊んだ。もう少しすれば柘榴のお母さんが帰ってくる頃だろう。
「じゃあそろそろ帰るよ」
いつまでもいられない。また明日も会えるし、名残惜しいけれど今日はもう家に帰って今日のぶんの記録をつけないと。
「あのさ」
立ち上がって帰ろうとすると柘榴が何かを言いたそうに口を開いた。
「これ、ナルにしか言えないんだけど」
「ん?」
俺にしか言えない。その響きの良さに顔がにやけそうになったが、真剣な場面なので必死に平常時の顔を保つ。そんな改めて何かを話そうとする柘榴は初めてで、何か大変な悩みごとでもあるのかと思いを巡らせる。
「告られた」
え? と聞き返さなかった俺を誉めてほしい。でも一瞬だけ俺の目は点になっていたように思う。
告白する。略して告る。そんなのは知っている。じゃあ、誰に? かっこ可愛い柘榴のことだからそんな相手はきっと星の数ほどいうだろうしちぎっては投げることだって容易いに違いない。
でも、告白? されたの? 本当に?
「あ、そうなんだ」
俺は立ち上がり、胡座で座ったままの柘榴の肩を、やったじゃんの激励の意味合いを兼ねて軽く押した。
「詳しい話は明日聞かせろよ」
笑顔を張り付けたまま退室。階段を降りる。かかとがちょっとつぶれている靴を履く。ドアを閉める。そして駅までの道のりを歩く。歩く。歩く。歩く。
「柘榴に彼女が……?」
帰り道、俺はあまりの衝撃にパニックを起こして帰宅途中のコンビニで何故か駄菓子のマシュマロを大量買いした。
昨夜はあまりよく眠ることができなかった。
記録ノートもまともに書くことができず『告白』の二文字だけを書いて終わりにした。
恐れていたことが現実になってしまった。柘榴に彼女が出来る……正確にはまだ出来ていないけど、でもきっと付き合うに違いない。花の高校生だ。彼女くらい作らなくてどうする。
いやしかし、付き合わないという可能性も。でも昨日の感じだと振る空気じゃなかったよな。わざわざ俺に報告してきたぐらいだし。
「はよ。何食ってんの?」
チャイムが鳴る五分前。柘榴が登校してくる。今日は髪の毛を結んでない。前髪が目にかかっているのが可愛い。
今俺はお前のことで頭がいっぱいだよ、とも言えず、口の中にあるマシュマロをぐちゃぐちゃにして飲み込みながらただ「おはよ」といつものように挨拶を返した。
「なんでこんな大量にあんの」
朝は気怠そうな目が更にぼうっとしていて可愛い。一時間目はいつもあくびをしているのもだ。でも今はそれどころではなくて、昨日の告白について詳細を尋ねないといけない。
「昨日無性に食いたくなって」
「買いすぎじゃね」
「食いきれないから食っていいよ」
「ん、じゃあもらう」
俺の錯乱した結果のマシュマロだったが、マシュマロを食べる柘榴の姿を拝めるたのは不幸中の幸いというヤツだった。ほっぺが膨らんでるのは可愛い。
マシュマロと好きな人の親和性。
昼休み。例の件について問いただすべく俺は食堂の端の方の席へと柘榴を誘った。今日に限って教室に人が多かった。ちなみにこういう話しをするのは屋上がセオリーかもしれないが生憎うちの高校の屋上は立ち入り禁止だ。
「で、告られたというのは」
直球に且つシンプルに。友達という立場上、回りくどいことはできないししたくない。
俺は今から自分が傷つくのを覚悟の上でこの話題を切り出している。それも友達だから。友達なら、友達の恋路は応援しないといけないから。
「そのままだけど」
言葉少なな柘榴らしい返答だった。何かの間違いじゃない。柘榴は誰かに告白された。そりゃあこんな可愛くてかっこいい柘榴が放っておかれるわけないと思うけど。
「お前女子と交流あったの。え、まずどこで知り合った? どんな子?」
「んー、可愛い子? 中学の同級生」
ぎりぎりと自分の首が絞められていくのを感じる。その一言を聞くだけでもう充分だった。
可愛い子。その答えがすべてだった。自分の興味のない相手を『可愛い』と評したりしないだろう。中学の同級生ということは俺よりも付き合いが長くて、きっと俺の知らない柘榴を知っているに違いない。
負けた。性別も、付き合いの長さも。なにもかも。
「そっか、頑張れよ。やっぱモテるんだな」
「ん」
いつもの表情が読めない顔のまま右手で作られたグッドサイン。
「自信満々かよ」
無理に作った笑顔に、気づかれていませんように。
「付き合うってなったらまず俺に報告な」
「ん、りょ」
なんで俺こんなこと言ってんだろ。
もし、もし俺が女だったらこのタイミングで柘榴を引き留めていただろうか? 女だったら、まずこんな友達ポジションにすらなれていないだろうけど。でも、そんなものは言い訳で。男だろうと女だろうと、好きな人を引き留める権利はある訳で。
そこを引き留めずに、ただの友達を装って応援してる俺が結局は弱いだけだ。たったそれだけのこと。
「……つか、もう返事したの?」
馬鹿以外の何者でもない。
「土曜に会うから、そのとき」
「すぐじゃん」
今日が木曜日だから、もうすぐだ。
今週が終わったら、もう次に会うときは柘榴に彼女ができている。来週から俺はどんな顔して柘榴に会えば良いんだろう。彼女のこと聞かないわけにはいかないし。放課後だって一緒にゲームできなくなるかもしれない。いや、できなくなるだろうな。今後は何かと彼女が優先になるだろうから。
考えれば考えるだけ、生ぬるい涙がじわじわと沸き上がってくるのを感じた。
「…………ちょっとトイレ行ってくる」
「てら」
カッコ悪いけど堪えられそうになかった。
その後。柘榴には何回か彼女ができては別れてを繰り返して気がつけば二年が経って俺たちは大学生になっていた。
俺は相変わらず柘榴への片想いを続けていて、記録ノートももう十冊を越えた。柘榴のちょっと長かっただけの髪はすっかり伸びて今ではポニーテールにしている姿をよくみる。
随分と時間が経ったんだなとその長い髪を見るたびに思う。
慣れとは恐ろしいもので、今ではもう柘榴に彼女が出来てもそれほどショックを受けなくなっていた。柘榴に初めて彼女が出来たときの自分の動揺っぷりが可笑しく思える程だ。
晴れて同じ大学に進学してからというもの、やっぱり俺と柘榴は友人関係を続けていた。
食堂の一角に腰を落ち着けて空きコマの時間を潰すのも日常茶飯事で、今日も例に漏れず四人掛けの席を二人で占領して時間潰しをしていた。
「バイト先で映画の割引券貰ったけどいる?」
「いらない」
「デートで行かないの?」
「別れた」
「は!? また?」
大学に入って二度目だった。高二の時の、最初の彼女とは確か半年ぐらい。その後はどんどん別れるペースが早くなっている気がする。それも毎回彼女に振られているのだから不思議だ。柘榴のどこに欠点があるのかわからない。
「なんで?」
「さぁ……」
「何したの?」
「何もしてない」
いつものパターンだった。柘榴の場合、何もしなさすぎて別れているんじゃないかと思う。俺だったらありのままの柘榴を受け入れるのに、と思うときゅっと喉が狭まるのを感じる。
「思い当たることは?」
「あるにはあるけど」
「んじゃ、それ直そう」
「頑張りはする」
直す気ないな。ただ正直なところ彼女と別れるたびにほっとする自分もいる。また新しく彼女ができるとその度にゆるやかに傷がつく。思いきって柘榴と縁を切らない限りこの気持ちの淀みは続くのだと思う。でも離れたくなかった。好きな人の傍にいたいというのはごく当たり前の感情で。
「つーか」
「ん?」
「ナルは彼女つくんねーの」
「できねーの」
事実でもあり、嘘でもある。彼女なんて作る気はない。例えそういうチャンスが巡ってきたとしてもだ。
「バイト先とか」
「うちのバイト先、男ばっかだって」
小さな個人経営の居酒屋でバイトをしているけど、バイト仲間は男ばかりだ。三人ほど女性もいるけど彼女たちの内訳は既婚者、彼氏持ち、彼氏持ちだ。大学でも女子と交流がないわけじゃないけど、それでもいつも隣に柘榴がいたらいくら可愛い女の子がいても霞む訳で。
「今日バイト?」
「んや、今日は休みだけど」
「俺ん家来ない。今日、俺以外みんな旅行行ってる」
「行く。なんか久しぶりな気ぃする」
久しぶりなのは、柘榴に彼女がいたから。何も予定がなかったら普通は彼女と過ごすだろう。俺はこの二年の間、柘榴の交遊関係において優先順位二位だった。彼女のいない期間だけ一位に繰り上がる事が出来る。むなしい気持ちをいつも抱えていた。
好きな人の家で、家族は誰もいなくて、しかも夜。家に誘われる度にもし自分が女の子だったら、きっと家でゲームをしたり喋ったりするだけじゃないと舞い上がるのに。ただの友達である俺はゲームしたり喋ったりするだけで終わる。悲しいかな、親友なのだからそれが全てだ。
お菓子とかジュースとか買って(まだ未成年なので酒は買わない)久しぶりな柘榴の家へ。合鍵の場所はやっぱり変わっていない。部屋も全然変わっていなかった。高校生だった時以来、久しぶりにふたりでゲームをして、腹が減ってきたらカップ麺食べて、適当に動画でも流しながら雑談をした。懐かしいなこの感じ。
でもそろそろ帰らないと、と柘榴に切り出した時だった。
「泊まってかないの」
「んぇ」
爆弾発言に喉が勝手に変な声を発した。
「や、何も準備してないし……」
「部屋着貸す。あ、下着はない」
部屋着。柘榴の。
俺は欲求に忠実だった。
「じゃあ泊まろっかな」
途端、柘榴の部屋着を着れることや風呂上がりの柘榴を拝めること、寝顔や寝起きの顔を見れたりこの先朝まで一緒にいれる時間の長さを計算したりと俺の脳は今までにないくらいフル回転した。
頭から煙とか、出てもおかしくはない。
曰く、髪を洗うのと乾かすのに時間がかかるからと俺が先にシャワーを借りて、柘榴の部屋着に袖を通した。予想通り、大きい。俺よりも十センチは柘榴の方が背が高いから当たり前といえば当たり前だけど。柔軟剤の、というか柘榴の匂いがして洗面所でひとり悶えたのは言うまでもない。
柘榴がシャワーを浴び終えるのを待つ間、ゲームをやって良いと許可を貰い俺はひたすらに勇者のレベル上げに興じた。心頭滅却、現実逃避。勇者に感情移入しろ。
そんなこんなでひたすらにゲームに集中し、次のボスを楽々倒せる程度にレベルが上がった頃、下から聞こえるドライヤーの音で柘榴がシャワーを終えたことを知る。
風呂上がり、風呂上がりだ……! と、どぎまぎしたがあの長い髪を乾かすのに時間がかかるだろうしここはぐっと堪えてもう少しレベル上げに集中すべきだと思った。まだ心頭滅却はできていない。今まで培ってきた友達としての振るまいを今夜は徹底しなくてはいけない。間違っても今ごろ洗濯機の中にある柘榴の使用済み下着に手を伸ばさないように。
「ゲーム進んだ」
ドライヤーの音が止んで、階段を上がる音がして、ドアが開いた。
風呂上がりの柘榴。さっき想像しかけていた姿。そっちを向いてはいけない気がして俺はゲームの画面を見たまま。
「レベル上げだけしといたよ」
「別に進めても良かったのに」
「それは悪いかなって……」
セーブをしてコントローラーを置こうとしたそのとき。
「なんでこっちみないの」
いつもより低いその声に心臓が高鳴った。
二本の腕が、俺を包んで交差する。長い黒髪が首筋に下りてくる。人の体温。あとシャンプーの匂い。何が起きているのか一瞬わけがわからなかった。
一体何が。何がって、ひとつしかないけど。後ろから抱きしめられている。
「え、な、なに?」
「だから。なんでこっちみないの」
すり、と肩に額が擦り付けられた。
何が起こっているのか。
柘榴が、俺のことを抱き締めている、のはわかる。わかるけどどうして。心臓が早鐘を打つ。顔に熱が集まるのを感じる。熱い。だめだ。
何やってんだよって笑いながら、払い除けないと……。
「む、向けないだろ。はな、離せよ」
「離していいの。ナル、耳真っ赤だけど」
「ひぇ、あ」
あろうことか、耳のふちを指先でなぞられて、今度こそ明確に変な声が口から漏れでた。
もうだめだ。終わった。今更冗談だって言われても誤魔化せない。引かれる。
「気づいてないとでも思ったの」
「なに、が……」
頭が真っ白になった。まさか俺が柘榴のことを好きなことが、ばれていたのか。
気持ちが悪い。吐きそうだ。いつから? 気づいた上で、どう思われていたんだ。いや、そんなのひとつだ。
軽蔑、されたに違いない。嫌だ、どうして。
視界が歪む。気づかれないように、拭わないと。これ以上、嫌われたくない。
「あの、ごめ」
「なんで謝んの」
「いや、あの、だか……っ」
ぐわん、と視界が回った。背中がラグにぶつかる。
思わず瞑ってしまった目を開ければ、柘榴と天井が視界に映る。長い黒髪が落ちてきて、頬に当たってこそばゆい。
それ以上に。真剣な目をした柘榴と目があってしまい、逸らせない。
「すぐ振られる原因、直せって言ったの、ナルだから」
目は逸らせない。
その、気怠げな目がぐっと近づいて、至近距離で目があった。そう気がついた時にはもう、唇が重なっていた。大好きなはずのその瞳が、至近距離で俺を見つめてる。それ以前に、キスしてる。なんで、どうして。柘榴が俺にキスする理由なんかないのに。
「んぇ、ん!?」
ぬる、と何かが唇を割って入ってきた。何かって、舌だけど。いやそういうことじゃない。
必死に柘榴の肩を押した。びくともしない。抵抗を試みるも逆に体重をかけられ両手で顔を挟み込まれてしまう。
「ん、む」
嬉しいとか、そういう感情はもう頭の片隅で縮こまっていて、何がどうしてこうなっているのかという疑問と混乱が大部分を支配する。自分のものじゃない舌が自分の口内をかき乱している事実にもうパンク寸前。ようやく柘榴の顔が離れた頃にはもう息も絶え絶えだった。
「なに、なにほんと……」
「ナルが、直せっていうから」
「だから、わかるように言え!」
頭が爆発寸前で、恐らく顔が真っ赤な俺とは対照的に柘榴はいつも通り涼しい顔をしていた。俺ばかりこんな慌てふためいているのが滑稽なくらい。柘榴はなにもなかったかのように、俺の腰のあたりに跨がったまま俺のことを見下ろしている。
「彼女とすぐ別れる原因。直せって言った」
「だから、それが俺とキ、キスするのと何が関係あんの」
「だって、ナルといる方が楽しいし」
「は?」
「彼女といてもナルといる方が楽しいって思うから。誰と付き合ってもそう思うし、ならナルと付き合う? って思ったけど」
「け、けど?」
「男同士とか、よくわかんないし」
爆発寸前だった頭は疑問符で埋め尽くされた。
柘榴が口数少なくて、その上言っていることがわかりにくいのはいつものことだけど、こうも遠回しに話をされると推測と理解が追い付かない。
「キスできればその先も平気だろうし。ナルも別に嫌がってなかったから」
「ちょ、っと待て。そもそもの確認だけど」
「ん」
「ざ、柘榴は俺のこと、好きなの?」
上半身を起こしてそう尋ねれば、柘榴は首を捻ってからじっと俺の目をみた。そこから、一秒。二秒。三秒と長い時間が経ちふたたび柘榴は首を捻る。
「…………多分?」
ここまでしておいて。
そこまで考えて出た答えが『多分』。
柘榴らしいと言えば柘榴らしい。
「でも、ナルは俺のこと好きなんでしょ」
「え!?」
そうだ、キスとかその他諸々ですっかり忘れていた。
気づいている。柘榴が、俺の気持ちに。穴があったら入りたかった。勿論、柘榴に動きを封じられているので例え穴があったところで逃げ込めないけど。
「いつも顔に出てた」
「そ、そんな分かりやすかった?」
「すごく」
本格的に、穴がないなら掘ってでもそこへ逃げ込みたかった。
友達に徹してきたここ二、三年の間は一体なんだったのか。バレバレだったなんて恥ずかしすぎる。早いとこあの記録ノートを処分しなければとこんな状況なのにそんなことまで考える。いや、こんな状況だからだろうけど。
「顔赤い」
「だ……! って、そりゃ、そう、なる」
もうこっちを見ないでほしい。思わず手で自分の顔を隠したが、それも柘榴に捕らえられる。
「鳴海 」
「………………はい」
ずるい。名前でちゃんと呼ばれたの、初めてだ。
「鳴海のこと、可愛いなって思うんだけど。これって、恋だと思う?」
誰かが言っていた。
相手のことを、可愛いと思い始めたらそれは恋だと。
「俺に、聞くなよ……」
「じゃあキスしていいの」
そんなの。
「するね」
もう一度。唇がふれて、そのままふたりで床に転がった。
キスされるのも、抱きしめられるのも、そのぜんぶが優しくて。俺とそんなことして気持ち悪くないのかよって、むしろ気持ち良さそうで。それは俺もなんだけど……ともかく、柘榴のなかでも俺のなかでも答えはとっくにでていた。
翌朝、カーテンから差し込む光で目が覚めて、すぐ隣にいた柘榴がふと優しく笑ってくれたのは言うまでもなかった。
今日の出来事を、俺はノートに記して生涯大切に閉まっておくのだろう。
ここでノートは閉じられている。
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