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― 街での暮らし ③

カイトが(さら)われる一部始終を物陰から見ていた少年がいた。肉屋の少年ロイだった。  ロイは口を押えてうずくまっていた。恐ろしかった。出ていけば、殺されるかもしれないと思った。  心臓の音が耳元で聞こえる。膝がガクガクして、言うことをきいてくれなかったが、恐ろしいと思う心を叱咤して、なんとか駆け出した。 (隊長さんに知らせなきゃ……!)  足がもつれてしまい、何度か転びながら辺境警備隊にやって来た。息を切らしてやってきたロイに、門番はどうしたのか訊く。 「隊長さんに、会わせてください!」  門番は怪訝な顔をした。 「坊主、どうしたんだ。なんで隊長に会いたいんだ?」  ロイはじれったくなって叫んだ。 「兄ちゃんが(さら)われたんだ!」  必死に訴えるが門番には伝わらず、のんびりした調子で訊かれた。 「兄ちゃんって誰のことだ? おまえの兄ちゃんか?」  早くしないと、殺されてしまうかもしれない。  ロイは地団太を踏みながら、もう一度、叫ぶ。 「違うよ! 隊長さんが連れてた、黒い髪の兄ちゃんだよ!」 「なんだって⁉」  門番は驚いた。どういうことかと訊かれ、ロイは男たちがカイトを袋詰めにして連れて行ったと早口で伝えた。  目と口を大きく開いた門番はロイの手を取り、隊舎の入口に向かうと、 「誰か来てくれ!」  門番の大声に、近くの部屋から隊員が二人、やって来た。 「カイトが(さら)われたらしい。この子が教えに来てくれた」  居合わせた隊員たちが一斉に驚きの声を上げた。ざわめきは隊舎内を巡り、異変を感じたのか、徐々に人が集まってくる。 「とにかく、隊長のところに」 「いま、どこにいる?」 「隊長なら部屋にいるはずだ。俺が連れて行こう」  そこで門番は手を離し、別の隊員に肩を抱かれた。 「一緒に来てくれるか」  ロイは大きく頷いた。隊員は急ぎ足で廊下を進み、階段を上る。体の小さいロイは駆け足でついて行った。三階まで上がり、奥の一室に辿り着く。 「隊長!」  隊員は扉を開けながら叫んだ。 「カイトが(さら)われたそうです!」  隊員が声を上げるその後ろで、ロイは机に向かっている金髪の人を見た。驚いたように立ち上がり、机から離れる。  リンデを治めるサラディール伯爵家の若君様。次代の領主であり、辺境警備隊の隊長もしている。黒髪の人は、その御方の大切なお客人。お客人が誰なのか詮索してはならないが、サラディール様は怖い方ではないよ、と店のおやじから聞かされていた。  隊員はロイの背中を押しながら、部屋の中に促した。 「この子が知らせに来てくれました」  おそろしく端整な顔が無表情で見下ろしてきた。 「ロイだったな。カイトが(さら)われたというが、どういうことだ」    周囲が大慌てしている中で、至って冷静な声で訊かれた。動じていないこの人を見て、動転していた自分も少し落ち着けた。首をめいっぱい上げて伝える。  ロイはそのとき、肉屋の親父から頼まれた配達の帰りだった。民家の隙間を通るという子供ならではの近道をし、路地に出たときだ。男二人に挟まれたカイトを目撃する。物騒な雰囲気に危険を感じ、咄嗟(とっさ)に身を隠した。 「兄ちゃん、殴られてて……おれ、怖くて……」  今しがたの情景が甦り、恐怖が戻ってきた。それと同時に、隠れていたことが恥ずかしくなった。ロイは肩を震わせて俯いた。すると若君は視線を合わせるように、ロイの前で屈んだ。 「すぐに知らせに来てくれたことに感謝する」  ロイは下唇を噛んだまま、こくりと頷いた。 「何か会話を聞かなかったか」  尋ねられ、思い出す。 「黒髪は珍しいって言ってて、ちょうしゃ? は、みんな黒髪なんだ、って」  ロイは声を震わせた。 「それで全部か? 他に何か見たものや、聞いたことはないか」  念を押され、ロイは必死で記憶を辿った。 「そういえば、ルンダの森に現れたな……って、兄ちゃんに言ってたような……」 「その者たちがどちらの方向に行ったかわかるか」  ロイは首を振った。その先は見ていない。足が震えて動けなかったからだ。  若君は口に手を当て、立ち上がった。 「この少年を労ってやってくれ」  ロイを案内してくれた隊員が部屋の外に促す。扉を出ると、入れ違いに二人の隊員がやって来た。一人は知っている。茶色い髪をした陽気な人で、たまに昼時にモンテの肉サンドを買いに来てくれる。カイトと一緒に来てくれたこともある。そのとき彼が黒髪の人を『カイト』と呼んでいたが、当人の名前は知らない。もうひとりは見覚えがない。年配で髭面、怖い顔をしていた。  二人が部屋に入る。ロイは振り返って、閉じられた扉を見た。カイトが無事に見つかるように祈った。 ***  イリアスが(さら)われたカイトの行き先を推測しようとしたとき、ダグラスとシモンが執務室に入ってきた。このわずかな時間にカイトが(さら)われたことは、隊舎内に知れ渡ったようだ。二人はそれぞれが確認してきたことを報告した。  ダグラスは門番にカイトが表門を使っていないことを、シモンは厨房でカイトにお使いを頼み、誰も付いて行っていないことを調べてきていた。  カイトはひとりで出掛けたことがわかった。警備隊の誰かがやられたというわけではない。  ロイが見た限りでは、騒ぎも起きていない。おそらく、人通りのない細い路地に誘い込まれたのだろう。  カイトが異世界から来た跳躍者だと気づいた者が、ひとりのときを狙ったとしか考えられない。では、一体誰が。 「見られてたってことですかね」  ダグラスが口にした。  カイトが現れたのはルンダの森。イリアスがシモンと二人でいるときだった。 「けどあのとき、人の気配はありませんでした」  シモンは記憶を辿るように言ったが、イリアスは否定した。 「密偵かもしれない。偶然見た可能性がある。隠密行動中だったら私にもわからないからな」  人の気配に敏感なイリアスも気配を消されてしまっては、さすがに無理である。  油断したわけではないが、そこまで気を配る余裕は、あのときはなかった。  ダグラスは海人の行き先を考えていた。 「跳躍者の存在を知っている者が王宮に売るつもりで(さら)ったか、それとも別の意図を持つ他国の仕業か」  金のため、王宮に売られるならまだいい。彼らは言い値を出し、そこでカイトは王宮で保護されるだろう。厄介なのは他国が拉致した場合である。  跳躍者は何もルテアニア王国にだけ現れるわけではない。古くからこの王国と隣国に現れるのだと聞かされていた。  隣国、アルミルト法国。  イリアスは小さく頷いた。 「アルミルトは竜のいる国。竜と戦うためにも跳躍者の力は欲しいだろうな」  竜は魔獣の頂点に立つ存在。狡猾で獰猛。竜が人に及ぼす被害は大きいと聞き及んでいる。  イリアスは最悪の可能性を示唆した。 「隣国の仕業なら、相手はすぐにこの街を離れるだろう。アルミルト法国に向かうにしても、どこを経由するかわからん。関所のある三方面に使いを出し、荷を検めろ。ダグラス、任せていいか」 「わかりました。隊長はどうされますか」  イリアスは棚に掛けてあった剣を取った。 「私はルンダの森に行く。あそこはアルミルトに入るのに一番近いからな。魔獣が多いから避けられやすいが、道はある。一刻も早くルテアニアから出たかったら、危険を冒してでも森を抜けるかもしれん。アルミルトに入られてしまってはカイトを取り戻せなくなる」  帯剣し、扉に向かう。 「シモン、ついて来い」  カイトが(さら)われてすでに四半刻。森を通るかどうか、馬車に追いつけるかどうかは賭けだった。

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