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― 春、それから ④

佐井賀に手紙を書いたのは一か月以上前のことだ。 イリアスに情事の意思表示をしたにも関わらず、相手にしてもらえなかった。 悲しかったが、次第に不満になっていき、誰かに聞いてもらいたかった。 直接的なことは書いていない。ただ、竜の瞳はまだ見れておらず、本人もその気はないみたいです、というくらいだ。 こんなことを言える相手は佐井賀くらいである。 日本語で書けばうっかり見られても問題もなく、佐井賀は同郷だという親近感があった。 だが、勢いで書いて出してしまい、後で後悔した。 なぜなら、イリアスに抱いてもらえるほどの色気と魅力がないといっているようなものだからだ。 海人がうずくまったままでいると「大方、察しはつくが」と言われ、察しないでほしいと胸中突っ込む。 ユリウスは穏やかに言った。 「弟に女の影があるわけではないのだろう?」 それは感じたことはない。海人は顔を埋めたまま、うなずいた。 「それなら待ってやってくれ。あいつも思うところがあるのだろう」 それきりユリウスは黙ってしまった。彼はどこまで佐井賀から話を聞いているのだろうか。 海人がそっと顔を上げると、目を閉じていた。 眠っているのように見える。 海人は体を横にして寝転んだ。 ユリウスのそばにいると不思議と安心する。 王宮にいたときは、彼がそばにいると落ち着かなかったが、半日街を共に歩いて、いい人だと思ったら、途端、居心地が良くなった。 イリアスの隣にいるときも安心するが、好きという気持ちが先行してしまい、一挙一動に見惚れたり、胸が高鳴ったりする。 なにより、彼に触れてほしくなる。 翻って、ユリウスにそんな衝動は起きない。 十年後のイリアスだと思うとドキドキするが、それ以外の感情はない。兄というのはこんな感じなのだろうか。 近くにいても苦にならず、自然な存在で頼りになる。 弟の相談に駆け付けてくれ、周りへの気配りもする。 海人はひとりっ子だったので、ユリウスはまさに理想の兄だった。 イリアスに似たその横顔を見ながら、海人もしだいに瞼を閉じていった。  ****** 遠くで話し声が聞こえた。 海人は覚醒する前のぼんやりした頭で会話を耳にしていた。 「……妬くなよ」 ユリウスの声だ。 「……カイトのそばは心地よいですか」 これはイリアスの声だ。近くにいる。 「妬くなと言っているだろう。おまえもディーテとよく一緒にいただろうが」 ユリウスが語気を強めた。瞬間、頭がはっきりした。 眠っていたようだ。 海人は完全に目覚めたが、目は開けずに寝たふりをした。 ユリウスの声が続く。 「気づくといつも二人でいるのが気にくわんかったが、やっとわかった。確かに居心地がいい。恋慕などなくてもな」 どきりとした。 ユリウスのそばが心地いいのは、兄のようだからではないのか。 イリアスは何も言わなかった。 イリアスと佐井賀が共に過ごした日々は海人よりも長い。 この感覚を佐井賀に対して感じているのかと思ったら、胸が疼いた。 「我らは神の意志に背いているんだろうな」 ユリウスは厳かな声で言った。 「本来なら、ディーテの相手はおまえで、私の相手はこの子だ」 海人は目を開けられなかった。ユリウスは一呼吸置いた。 「だが、私たちは神の思惑とは別の相手を選んだ。我々の心は自由だ。ゆえに不安もあろうから、よくよく話をしろ。おまえは言葉が少なすぎる」 ぽんと肩を触られ、驚いて目を開けた。 起きるタイミングをくれたかのようだった。 地べたで寝こけていたので、体がガチガチに固まっている。 起き上がろうとして、びっくりした。 地に着いていたユリウスの手を握っていたからだ。 「すみません……!」 慌てて手を離した。 寝ている間に無造作に握ったようだ。 子供みたいなことをしていて、恥ずかしくなった。 立ち上がり、イリアスに向き合う。 「もう練習はいいの?」 「……ああ。これから出かける」 イリアスは兄に背を向け、屋敷に向かって歩き出したので、海人もそのあとを追った。

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