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― 春、それから ⑥

舞踏会は独身貴族たちの出会いの場である。 そんな場にしばらく鳴りを潜めていた次代の領主がやってきたのだ。 高い地位を持っているイリアスに女たちが色めき立っているのがわかる。 内心ため息を吐いていると、弦楽器の調べが流れ始めた。 舞踏会開始の合図だ。 イリアスは場内をさっと見回した。誰が来ているか確認する。 会食が主である夜会には出ているので、貴族の顔は大体覚えており、知らない顔はなかった。 そしてこの場で最も高い家格の貴族は自分だった。 公爵家の息子が来ていれば彼に譲ることもできたのだが、そう思い通りにはいかなかった。 イリアスはルヴェン子爵夫人の元にゆっくり歩いていった。 その横には若い娘がいた。 子爵夫人に目を遣ると、夫人は上擦った声で言った。 「娘のリエンヌです。舞踏会は今夜が初めてでございます」 イリアスはリエンヌに軽く礼をし、少し屈んで右腕を出した。 リエンヌは明らかに戸惑っていた。 母親である夫人にそっと背中を押され、ようやく腕を取った。 踊るためにホールの中央にエスコートする。 場内の視線を一斉に集めた。 舞踏会にはルールがある。 一番最初に踊るのは主催者の家の女性と招待客の中で最も家格の高い男だ。 今夜はリエンヌとイリアスがそうだっただけで、特別な意味はない。 それでもサラディール家に招待状を出しても、なしのつぶてだった男が出てきたのだ。 リエンヌに気があるのかと邪推したのだろう。 女たちは嫉妬と羨望の入り混じった眼差しをリエンヌに向けていた。 二人が踊り始めてしばらくすると、男たちは女たちに声をかけ、踊り出した。 彼らの中には意中の相手もいたりする。 そうして夜通し相手を変えながら、時に気に入った女には再び声をかけ、仲を深めていく。 彼女たちは声がかかるのを待ち続ける。 イリアスはこの場にいる女たち全員と踊るつもりでいた。 次に踊る相手は、女の中で一番家格の高い者。 次は二番目、そうやって一回ずつ踊ってから退散する。 誰に目を掛けたなどと言われないようにするためだ。 リエンヌは最初こそ戸惑っていたが、踊り始めると堂々としていた。 二か月前に辺境警備隊の駐屯地まで単身でやって来た変わり者だが、カイトが慌てふためくような美少女だ。 淡いピンクのドレスを着て、薄く化粧をしたリエンヌはあの時より格段に可愛く、男の目を惹きつけている。 イリアスはリエンヌと会話をする気はなく、無言無表情を通していたが、彼女は果敢にも話しかけてきた。 「サラディール様」 イリアスの胸の辺りくらいしか身長のないリエンヌが上目遣いで見てきた。 「あの御方はご一緒ではないのですか」 「誰のことだ」 わかっていて冷たく言ったが、リエンヌは怯まなかった。 「黒い髪の御方のことです」 今夜が初の舞踏会ということは、彼女は十五歳になったばかりだろう。 成人しているものの幼さは残っていた。 だが、立派に女の目をしている。 「彼が気になるのか」 「……はい」 自分と踊りながら、よく他の男の話ができるものだと呆れてしまう。 相手に失礼だとわかっていてリエンヌが訊いてきたのだとすれば、大した玉だ。 「どこが気に入った」 問うと、リエンヌは頬を赤く染めた。 「至宝のような黒い瞳とお優しそうなお顔が忘れられません」 彼女は恥ずかしそうにうつむいた。 イリアスは苛ついた。 ダンスのステップに託けて、彼女の腰を引き寄せる。 笑みを浮かべると、リエンヌは真っ赤になった。 この顔が女受けをすることは知っている。 彼女が釘付けになったところで、耳元でそっとささやいた。 するとリエンヌの動きが止まった。薄く唇が開かれる。 カイトに近付かせない一言が効いたようだ。 頃合いよく、音楽も一曲終わる。 イリアスはさっと体を離し、目を見開いている彼女を残して、次の相手の元へ向かった。

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