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我儘レッスン〜1 7 恋人の特権

 今日はミーティングの後に環さんと待ち合わせて……そうだ、引っ越し祝いはお酒でいいのかな。でもお酒ならもう用意されてるだろうし。兄さんが環さんの好きそうな日本酒がって言ってたから。でも、あまりじっくり選んでいる時間もないし。  環さんと選ぼうと思ってたけれど、お互いに時間が合わなくて当日になってしまったから。  新居で使えそうなものって言っても、趣味が違っていたら困るし。  うーん……何がいいだろう。 「どうかされましたか? 雪隆さん」 「! あ、失礼しました」 「いえ。ここに……皺が」  ミーティグが終わって、立ち上がった拍子に加奈子さんがひょっこりと視界に飛び込んできた。そして、自身の眉間を白く儚げな指先でキュッと押し上げて、僕がしかめっ面、だったんだろう表情の真似をして見せる。  指摘されて慌てて眉間の辺りを手で覆い隠すと、クスッと笑って肩をすくめた。 「せっかく明日はお休みなのに、なんだか難しそうな顔をしてらっしゃるから」 「ぁ……その」 「恋人の成田さんと喧嘩でもされたのかと」 「いえ、そんなことは」 「まぁ、即答だなんて素敵」 「! あ、いえ、えっと」  またクスッと笑っている。  可憐な人だなと思う。当時、彼女の結婚相手になるのだろうと勘違いをしていた時は、そんなこと気がつく余裕なんてなかったけれど。そしてとても話しやすい。こんな人が上条の花の仕事をこれから一緒にしていってくれるんだなと思うと、心強いし、それに嬉しいとも思った。こういう人には素直に憧れる。兄もそうだけれど、周囲の人を惹きつける魅力がある人。周囲にいるだけで気持ちが和らぐような、そんな人。  僕は、そういうのがとても難しくて苦手だから。 「兄が……引っ越しをしたんです」 「まぁ、そうなんですか? あ! まさか!」 「えぇ、パートナーの方と一緒に暮らすことに」 「素敵っ」 「それで、今日、招かれてるんですけれど……何をお祝いに持って行こうかなって」  なるほど、と言って、加奈子さんは腕を組み、うーん、とさっきの僕のように唸って見せた。 「忙しくて買いに行く時間が取れなかったんです。だから当日になってしまって。こういうのって不慣れなので。兄のパートナーの方は甘いものが好きなようなんです。兄が、美味しそうなスイーツを見ると、彼が好きそうだってよく仕事の合間に買っているので。ちょうど美味しそうなアイスのお店をこの間、生徒さんから伺ったので、そこもいいなぁと。すごく美味しいらしいんです。だから」  一人でペラペラと話し過ぎてしまった。彼女はとても話しやすい人だったから、つい。 「失礼しました。その、そんなにたくさん話されても、ですよね」  彼女はじっと僕を見つめて、それからふわりと微笑んだ。癖なんだろうか。よく、肩をすくめて首を傾げる。その仕草がとても愛らしい。 「いえ、私、すごいなぁっていつも思うんです」 「?」 「雪隆さんって、常に人のことを思いやれる方で。引っ越しのお祝いのことでそんなふうに真剣に考えて下さるのもすごく素敵です。私が引っ越しをした側なら、もうそのお気持ちだけでも充分なプレゼントって思いますもの。ほら、私なんてとっても身勝手で、自分のためにばかり動くものだから。尊敬してるんです」 「そんなことはっ」  自分からは縁遠い言葉ばかりで慌てふためいてしまう。すごいなぁ、なんて、素敵、尊敬、だなんて、自分にはあまりにも似合わない言葉たちをたくさん向けてもらえて、どうしたらいいのかと。 「だから、どんなふうなのかしらと考えてました」 「?」 「雪隆さんが我儘を言ったりするのって」  その時、フッと、自然に環さんのあの得意気な笑顔を思い出した。 「きっと、そんな雪隆さんを見られる人は特別ですね。だから、自慢したくなっちゃうと思って」  僕はあの人にだけ我儘を言ってしまうから。どんどん言えと言ってもらえて図々しくも本当に我儘を言ってばかりで。 「あ、お引っ越しのお祝い、お菓子、いいと思います。アイス! 大好きです!」  彼女はそう元気にアドバイスをしてくれて、また、にっこりと笑いながら首を傾げていた。  我儘なんて、言ったら嫌われてしまうでしょう? 普通は。  この前の看病だって、もしかしたら邪魔なんじゃないかってほんの少し躊躇ったもの。それでも彼の声がとても苦しそうだったから、邪魔でもなんでも、とにかく手助けしたかった。  特別、なんてそんな大層なものじゃない。僕は――。 「すまない。待たせたな」 「……いえ」  駅で待ち合わせたんだ。さっき連絡があって、もうすぐ着くと環さんが言っていた。少し仕事が長引いたって。とっても忙しそう。  だから、会うのはまた一週間ぶりになってしまったんだ。  ―― そんな雪隆さんを見られる人は特別ですね。だから、自慢したくなっちゃう。 「行くか。雪、」 「……」  早く会って顔が見たいって思いながら、ここで待っていた。見たら……。 「雪?」  見たら、触れたくなってしまって、つい、この人の服をキュッと掴んでしまった。 「そんな可愛い顔すんなよ」  言われて、慌てて手を離した。 「襲いたくなるだろ」  けれど、その手を今度は掴まれて、引き寄せられて、そして。 「……」  人の往来など気にもしない僕の大好きな人がキスの直前、とても不敵に微笑んでいた。

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