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我儘レッスン〜1 9 内緒話
兄のこんな嬉しそうな顔は本当に初めて見た。呆れてしまうくらい、終始嬉しそうにしている。もうこんな笑顔ばかりの様子を見せられたら、誰も「同性じゃないか」なんてくだらないことを言う気になれないだろう。文句も嫌味も言った方が悪者になるくらい、幸福が溢れている。
だから、へそまがりな僕はつい悪者になりたくなってしまうんだ。
「最近、ずっとその顔なので、もう少し引き締めてもらえませんか? ずーっとヘラヘラヘラヘラ」
けれど兄はこれっぽっちも気にしないからいいんだ。たくさん言ったところで兄の幸福な様子なんてこれっぽっちも消えやしない。
「仕方ないだろう? 楽しいんだから」
ほらね?
「す、すみません」
けれど、パートナーである拓馬さんは申し訳ないとキュッと肩を縮めてしまった。
「…………でも、まぁ、いいですけど」
だから今度は少しこちらが申し訳ない気持ちになる。
「幸せボケをしてくれてるので、どんなスケジュールでも楽しそうにこなしてくれますから。あ、そうだ、明日は休みですが、明後日は講演会と雑誌の取材も入ってます。夜には明後日からの展示の準備があるので」
ニコニコ笑顔の兄をよそ目に隣で萎縮させてしまった彼へと視線を向けた。
以前からスケジュールに不満なんて言わない人だったけれど、こんなに楽しそうにハードスケジュールをこなすほどではなかった。
「でも、雪もかなり喜んでるんだぜ? 今日だって、二人が喜びそうなアイスを買うって張り切ってたし。わざわざ遠回りになるのにアイス買いに行ったりして」
「んなっ、環さんっ!」
「あはははは」
もう! なんで、そういうことをバラしてしまうのかな。そうだけれど。だってここのアイスはとても美味しそうだったから。拓馬さんが甘いのを好きだと言っていたからいいかなって思ったんだ。きっと甘くて美味しいものを食べてる時の彼はとても愛らしいだろうと思って。
「なんだ。そうなのか? ありがとう。あとで四人で食べよう」
何をどう言っても、どう不機嫌な顔をして見せても、ちっともダメージを受けそうにない。世界中のご馳走をいっぺんに口の中に頬張ったようなその笑顔をちくりと攻撃してみたかったけれど、僕のただのへそ曲がりのような言葉も気にせず、ずっと笑顔のままだった。
学生の頃、あれは中等部の頃だった。兄とその隣にいる環さんのツーショットに学校中の女子たちが大騒ぎをしてた。いつもの光景ではあったけれど、その時、偶然、僕の隣に座っていた女子がその二人のどちらかを好きだったみたいで、学校の行事なんかでそのツーショットを見かけた後は、よく隣で女子と色々話してたっけ。その女子は学校で一番可愛いって言われている子で、ファッションモデルの仕事もたまにしてるって言ってた。
彼女の好きな人が兄ならいいのに、そう思っていたけれど、そんなことを思う時は大概、僕の「なって欲しくない」方になるんだ。
彼女が好きなのは環さんだった。
しばらくして、彼女は環さんとよく話をしているのを見かけるようになった。
そして、僕は彼女のことが嫌いになって、そんなふうに自分勝手に誰かを嫌いになる自分も嫌いになったっけ。
だから、いつだってあの二人が並ぶと僕の胸を焦がすんだ。めざとく誰かが二人を見つけて、キャーキャー騒ぎ立てるから。
「この日本酒美味いな」
「あぁ、それ、美味いだろう? ずいぶん前だが出張した先で飲んで、それ以来、日本酒はそればかりだ」
「へぇ」
「これも美味いよ。ワインセラーで冷やしてる」
「ワインセラーで?」
「あぁ、あるんだ。日本酒も保存できるのが」
かっこいいと騒がれる二人を眺めながら、絶対に彼に手を伸ばしてはいけないことに胸を締め付けられてたっけ。
「学校では女子が大騒ぎでしたよ」
「え? 二人に?」
「えぇ」
手に入ることの決してない人だった。
「よく一緒にいると悲鳴のような声が上がって。だからすぐに居場所がわかるんです」
「そんなのって本当にあるんですね……」
願ったところで絶対に叶うことのない願いは胸に留めておくだけでも、虚しさを感じてた。世界中に笑われそうだって思った。だって、叶わないのだから。
「そ、その頃から、環さんとお付き合いされてたんですか?」
「は? な、何言ってるんですか!」
「だって、すごくお似合いだし、その」
「そんなわけないじゃないですか」
「え? そうなんですか?」
「僕の片想いに決まってるでしょう?」
そう、それでも、ずっと好きだった。世界中に叶わないのにと笑われようが、虚しかろうが、諦められなかったんだ。
「すごい、ずっと好きだったんですか?」
「!」
かっこいいよね、素敵、そう噂する女子を恨めしそうに眺めるばかりだったっけ。愚かだなぁって自分に呆れながら、それでもずっと好きだった。
「もう……酔っ払ってるのかな」
「あ、内緒……なんですか?」
内緒に決まってるでしょう?
「じゃあ、絶対に話しませんから」
「絶対にですよ?」
「はい」
こんな滑稽な片想い。
「絶対に、誰にも言わないでください」
「もちろんです」
「言ったら」
「ひぇえ!」
でも、僕の怖い顔にも怯まず世界中に身分違いだと笑われようとも兄を好きだと告白した彼なら、きっと僕のこの滑稽だった長い長い片想いの話にも付き合ってくれるかもしれないって思うんだ。
「でも……好きになっちゃいますよね」
「……」
「かっこいいですもん」
あの時、教室で好きな人の話を楽しそうにしていた子たちみたいに。
「兄は置いておいて、環さんはかっこいいですよ。今も昔も」
「えー? 敦之さんの方が優しそうでかっこいいです」
「はい? 環さん、優しいですよ」
「敦之さんの方がたまに可愛いです」
「それはただ浮かれてるんですよ。貴方のことずっと大事にしてたから」
酔ってるのかな。
「貴方は知らないでしょうけど、最初の頃なんて、毎日テンション上がったり下がったり、見てて飽きなかったですよ」
「お、俺のせいで?」
「えぇ、貴方のせいで」
酔っていることにしよう。
「あ、あの、どのくらい、そのテンションが」
ねえねぇって、教室で羨ましいとこっそり思っていた「内緒話」がね。
「そりゃ、もう……」
今、彼とできるのが、楽しくて楽しくて。
ついなんでも話してしまうくらい楽しくて仕方ないんだ。
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