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第6話 ネモフィラ

 音のした方に目をやると、いつからそこにいたのか誰かが立っていた。相手は一人のようだが、暗くてその姿ははっきりと認識出来ない。  声をかけて相手の警戒を解くべきか。それとも僕たちが警戒する側なのか迷った。アサトは僕の迷いを知ってか知らずか、謎の人物の方に足を向ける。 「……アサ、」 「周囲に警戒を怠るなよ」  小さく僕に言い残し、アサトは躊躇なく足早に相手に向かって歩いていった。途端に不安になったが、アサトにべったりというわけにも行かない。一人でなんとか出来るだろうと暗に言われている気がして、待ってくれという言葉を飲み込む。僕はコンテナから持ってきた鉄パイプを握ると、不測の事態に備えた。 「よお、お仲間さんかな?」  気安い声を上げたアサトに、相手はゆらりと首を縦に振ったように見えた。それは肯定の意味なのだろうと安心した、束の間の出来事だった。  それは人間では──なかったのだ。 「……D……」  物凄い勢いで距離を詰めてきた相手は、とても美しく整った顔立ちをした、血の気の通わない存在だった。  すらりと細い華奢な体は、筋肉質のアサトに比べたらとても頼りないものに見えたが、その見かけに騙されてはいけない。  Dはアサトの両腕を軽々と封じると、その手にあったサバイバルナイフを取り上げた。アサトは舌打ちしただけで悲鳴も驚嘆の声も上げなかった。ナイフの金属音が足元に響く。 「……なあ可愛こちゃん、俺はアサト。こんな時になんだが、デルフィニウムという名前のDを知らないか? 或いは君がそうかな?」  一瞬Dの動きが止まった。  アサトが何を考えているのかわからなかったが、Dの油断を誘っているのだろうか?  質問されたDは一瞬戸惑ったものの、端的に答えた。 「私はネモフィラ。デルフィニウムではない」 「知らないという意味か?」 「何を言っているのかわからない」    ──アサトは殺される。  そう思ったが足がすくんで動けなかった。  周囲に警戒を怠るなと僕に言ったのに、あっさり動きを封じられて何を思っているだろう。  僕が助けると信じて、背後を任せたのだろうか。勝手な思い込みかもしれないが、このまま身動きもせずにアサトが殺されてしまうのを見ているのは耐え難かった。  貧弱な僕に何が出来るのか、わからない。  わからないが、鉄パイプを握り締め動かない足を無理やり動かす。緊張で息が苦しくなり、胃はきりきりと痛む。手に汗が浮かび、握った得物が滑り落ちそうになる。  足がもつれるのを必死にこらえて前に走り出すと、ネモフィラと名乗ったDは僕の存在に驚いているように見えた。手の力が抜けたのか、アサトの力が勝ったのかは不明だが、ぶんと勢いよく空を切りネモフィラの体が宙に舞う。  鈍い音がした。  アサトはコンテナを出る時、Dの駆除、と言っていた。  このまま逃げることをせず、本当に駆除する気なのだろうか。僕としてはすぐにでもここを離れたい気持ちでいっぱいだったが、アサトは落ちたサバイバルナイフを素早く拾い上げると、投げ飛ばされたネモフィラに馬乗りになった。 「アサト! 無茶は……」 「無茶なんかじゃねえよ。……さあて、どうするかな」  言いながらポケットにしまってあった結束バンドを取り出すと、ネモフィラの両手の親指を縛り上げ始めた。手慣れたもので次々と体のいたるところを拘束してゆく。  その間ネモフィラは何も言わなかった。  不自然なほど、暴れることもなかった。まるでアサトにそうされるのを待っているかのようにも見えた。

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