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第8話 花の蜜

 切り落としたネモフィラの首を、アサトは予備のビニール袋に入れた。それから当初の目的どおりに食料を調達してから、来たのと同じ道を二人で帰った。道中誰ともすれ違わなかった。人は、いないのだろうか。 「アサト……このD、何か言いたいのかな。僕をじっと見るんだけど……」  ずっと意味深に、ネモフィラがこちらを見つめていたのが気にかかっていた。何か伝えたいことがあるのだろうか? 「気にするな、気のせいだ」 「いや、めちゃくちゃ目が合う。……僕は待ってくれと言ったのに、どうして首を切ったんだよ」 「あ? 俺が悪いのか?」 「そうは言ってないけど」 「危険だからだ。言うまでもない」  確かにその通りだった。  ビニール袋の底には流れ出た体液が溜まり、強烈に甘い匂いを発していた。花の蜜にも思える匂い。とするとDは植物? 植物があんな形態を取るだろうか。この匂いにつられて、遅かれ早かれ虫や何かが寄ってくるだろう。湿った地下道に入る前に、ネモフィラの首は遺棄した。  最初はコンテナまで持ち帰るのかと思っていたが、冷蔵庫から出てきた別のDと同じ扱いはしないらしい。どういう違いがあるのか不明だが、聞くのも面倒だった。  わざわざ途中まで持ってきたのは、恐らく体の傍に置いておいたら復活してしまう可能性があるからだろう。けれど一体のDを倒したところで、焼け石に水だ。どうなると言うのか。 「そういえば……ネモフィラって花の名前だったっけ」 「んあ、そうだったか」 「──さっき、デルフィニウムがどうこう言ってたけど、あれは何」  デルフィニウムも確か花の名前だったと思う。アサトはその名前を持つDを探しているのだろうか? だとしたらなんの為に? 「別に。単なる時間稼ぎ」  アサトは雑にはぐらかして、その話は終わりになった。 「あー今日は疲れたなあ。帰ったら飯食って、それからだな」 「──何が」  やけに明るいアサトの声に、僕はどんよりとした対応をする。もしかしたら何も出来なくて落ち込んでいる僕に対して、わざと明るく振舞っているのかもしれなかったが、付き合ってやる気力はない。 「来る時に行ったろう。生きて帰れたら、生首を交えて楽しもうぜって。忘れたのか?」 「嫌だよ。冗談じゃない」 「何故? 俺、大活躍。Dは仕留めたし食料と服ゲット。少しは労わってくれてもいいんじゃないのか。ミチル精一杯のご奉仕をさ。……じゃないと俺は」  言葉尻を切ったアサトは、ふと真面目な顔になった。暗闇でもわかる表情の変化に、僕は戸惑う。あまりこんな顔は見せない男だ。いつもどこかふざけていて、大体下品だ。 「俺だって命を懸けてる」 「……ああ」 「今日はミチルも頑張ってくれたよな。ちゃんと俺の背後を守ってくれたろ」 「何も出来ていないよ、僕は。ただ鉄パイプ持って走っただけで、Dが勝手に自爆しただけだ」  実際何も出来なかった。何の役にも立ってはいないのだ。あの時僕を見て何故か驚いたように見えたが、それは貧弱な僕が向かってくるとは思っていなかったからだ。弱っちいのが勇気を出して攻撃してきたら、びっくりもするだろう。 「いやぁ……まあ。実は俺一人だといつもぎりぎりだ」 「は?」 「ミチルがいたから、今日は楽勝だった。お礼は体で返すかぁ」 「今日はそんな気分にはなれない」 「だったら俺はどの穴にブチ込めばいいんだよ」 「……アサトのそういうとこ、ほんと苦手」  もっと言い方があるだろうと思ったが、結局その夜僕はアサトに抱かれた。信じられないことに、本当にベッドにDの生首を連れ込んでだ。  Dの不思議そうな視線を浴びて、息もつけないほどの激しさでアサトにこの身を食らわれながら、僕はまるで別のことを考えていた。  脳裏に張り付いて忘れられない、ネモフィラの姿。  僕を呼んだ、あの声を。

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