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5.大迫の励まし
女性社員と顔を合わせたくなくて、男子トイレの個室に入った。
「はぁ~っ…」
まさかこんなことになるなんて。
俺は両手で顔を覆った。
俺はただ、会社のため…桐谷のためにと思って真面目に働いてきたのに。
Ωだけどきちんと勉強もしてきたから夫の役に立てると思っていた。
一生懸命仕事を覚えて部下や上司や同期ともそれなりに関係を築けていたと思っていた。
だけどそれは幻想だったようだ。
女性社員やΩ社員は特に俺のことを尊敬してくれていたし、αやβの社員も実力を認めてくれていたと思ってた。
だけど次期社長の婚約者だからちやほやしてくれてただけだったんだ…
役に立てると思って頑張ってきたのに、結局あんな女が支持されて俺は悪者扱いか…
不妊が発覚した途端にマンションを追い出され、実家に居ても肩身が狭くて気が休まらない。
しかも気づかぬうちに会社にも俺の居場所は無くなってしまっていたんだ。
「………ぅっ」
悔しい。悔しい。悔しい…
あんなくだらない嫌がらせに屈して泣くなんて!
しかも何が一番悔しいって、俺は桐谷のことなんて好きじゃないと言いながら結局桐谷が選んだのが俺じゃなくて悲しんでることなんだ。
「ふ…ぅっ……」
いや…30歳を超えたから涙もろくなっただけだ。そんなにショックを受けたわけじゃない。
大丈夫…大丈夫だ…俺はまだやれる。仕事をしないと……
俺は顔を上げて紙で涙を雑に拭った。
手を洗おうとして鏡を見たらすごい顔をしている。
「これが最上級Ωの顔か?まったく情けない…」
泣いたせいで目の周りが赤くなって、鼻の頭まで赤い。みっともなくて笑えてくる。
俺は冷たい水でバシャバシャと顔を洗った。この俺がトイレで泣いたなんて誰にも知られたくない。
そろそろ目元の赤みも引いたかな?と顔を上げると、目の前にハンカチが差し出されてギクッとした。
水音でトイレ内に人が入ってきたのに気づかなかったのだ。
横を向くと、無表情な大迫と目があった。
「お前か…ありがとう」
俺はハンカチを受け取って顔を拭いた。
「もう俺の付き人じゃないんだからこんなことする必要ないだろう」
大迫は桐谷家が雇っている護衛で、社会人になってからずっと俺の付き人をしてくれていた男だ。一応俺が大企業の御曹司の婚約者で、Ωなので何かあってはいけないと運転手を兼ねて付けられていたのだ。
しかしその関係も婚約破棄によって終了し、しばらく大迫とは顔を合わせていなかった。
「それに…俺に親切にしたのがバレたらお前の立場がまずくなるぞ。もう話しかけるな」
俺は濡れたハンカチをどうしようか思案していたが、手元からさっと奪い取られた。
俺はトイレを出ようと扉を開けた。
「光様は間違った判断をされたと私は思っています」
長身の筋肉質な男は、見た目通りの堅い声で断言した。
「そんなこと言ったらクビになるぞ」
「かまいません」
「…じゃあな」
俺はドアを閉じた。
大迫は仕事ができる男で、一切無駄口をたたかない寡黙な男だ。
それがわざわざあんなことを言いに来たのか。
俺の周りにもまだまともな人間がいるとわかっただけで救われる気がした。
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