1 / 1

とりあえず、泣き止むための、キスをしよう

お笑いの世界では、ボケが旦那で、ツッコミが女房だといわれている。 大勢の観客の前で夫婦でいられることが、どれほど嬉しいことなのか。 そんな想いで 漫才をしていることを、 となりにいることを、 きっと相方は知らない。 「すげー結婚式やったな」 今日は、お笑いスクールからの同期芸人であるフレミングの結婚式だった。 芸人として、売れてない時代から中堅と言われるようになった今でも、 ずっと切磋琢磨してきた戦友の人生の晴れ舞台に、三次会まで飲み倒した。 まだ帰りたくないとだだをこねる相方の蔵田を、「じゃあ俺の家で飲みなおそう」と なだめて、引きずるようにして自宅に連れて帰ったのだった。 最近ではありがたいことにお互い忙しくて、仕事以外で二人になることも少ない。 コンビ芸人なんてそんなもので、出演が終わればスッと帰る。 仲が悪いんじゃなくて、それが普通。 いつも一緒にいたら、むしろエピソードトークが増えない。 だから、俺の家に来るなんて五年以上ぶりじゃないだろうか。 「奥さん、結成当時からの付き合いやって。ヤバイよな」 「蔵田は、そういった彼女はいないの?」 「十八年もくっついてきてくれるような酔狂な女はおらへんよ」 ――十八年で酔狂なら、二十六年も連れ添ってる俺はいったい何になれるんだろう。 勝手なことをいう酔っ払いは、人の家でスーツを脱ぎ散らかして、ソファに寝転がっている。 それでも憎めないのはもう習い性だ。二十六年経っても変わらない部分。 蔵田のスーツと自分の二着分をハンガーにかけて消臭スプレーをかけておく。 まるで嫁みたいだなとこっそりおもっていたら、「嫁みたい」と蔵田も同じことを呟いた。 そこからは亭主関白の旦那とそれに従う貞淑な妻のミニコントが始まる。 ひとしきり笑いながら、やっぱり、こいつの言葉のセンスとか好きだなぁってじんわりする。 目じりをくしゃっとして、腕を組んで笑う癖を、中学生のときからずっと見てきた。 男同士で、ずっと一緒にいようとおもったら、この世で一番いい仕事。それが相方。 蔵田の隣は俺だっていう自信は、誰にも負けない。 もしも、蔵田にアナウンサーだとか女優の恋人ができたとしても、 ともに過ごした時間は裏切らない、そう、信じている。 「変わらへんなぁ、俺ら」 「男前芸人さんは、最近ちょっとおなかタルんだんじゃないですか?」 「俺はまだましやろ。今日の花婿なんかぱんっぱんやったで。昔はシュッとしてたのになぁ」   年齢を考えたら蔵田はカッコいい方だ。 男前芸人と呼ばれ、役者としてのキャリアも重ねていて、 ドラマではバイプレーヤーになりつつある。 役者の人と並んでも見劣りしない相方を、いつもテレビ越しに見ては にやにやしてるなんてことは内緒だが。 冷蔵庫からビールと水の両方を持ってきた。相方の選択はビールだった。 蔵田はソファの上で、自分はその傍の床に腰をおろしながら、ビールを開ける。 呑み足りない気持ちは一緒だった。それはきっと、喜び、感傷、寂しさ。 結婚式では、軌跡として花嫁花婿両方の人生を圧縮したムービーが流れていた。 同期だからこそ、花婿の映像には、俺たちの若い時から今に至るまでの映像があった。 「……俺らもう芸歴十八目年やって。  なんかあっという間だったし、いろいろあったって気もするなぁ」 中学のときに関西からの転校生だった蔵田と出会って、 二人してお笑いが好きだったことから腐れ縁は始まった。 漫才デビューは高校の学園祭。 さえないグループだった自分たちが、初めて拍手喝采を受けた。 そのときの高揚感がずっと忘れられないまま大学に進学した。 就職を考え始める三回生のときに蔵田からお笑いスクールに誘われ、 二つ返事で就活を投げ捨てた。 蔵田はネタを書く技術を上げて、講師からの評価も明るく、 スクールの事務所に所属することになり、 漫才コンビ『ボンゴレロッソ』として、大学在学中にデビューした。 デビューして四年は事務所の劇場でネタを披露するばかりでほとんど仕事がなかった。 あったとしても、ローカル番組や深夜番組でアシスタントで、 蔵田の容姿で依頼された仕事だった。 漫才にかける情熱は人一倍あったのに、 ネタじゃないところで評価されることに蔵田はいらだちを覚えていた。 そして初めての大舞台である全国ネットのゴールデンで行われる漫才グランプリの決勝戦で、 俺たちはフレミングに大差で負けた。 たくさん叩かれた。決勝にいけたのも顔の評価で、顔だけの芸人はやっぱりだめだと。 フレミングと一緒のコント番組も決まったが、おこぼれみたいで悔しさでいっぱいだった。 そこからは、もう、血のにじむ努力で蔵田はネタを書き上げてった。 毎月一つは新作を書き、劇場で試し、改良を加えていく。 集中すると食事も睡眠も削ってしまう蔵田に、ご飯を作るのも俺の役目だった。 蔵田が面白いのは、だれよりも一緒にいた自分が知っているから、 絶対この苦しみは身を結ぶのだと信じて疑わなかった。 だから、ようやく二年後に、 グランプリ歴代最高得点で優勝できたときは、 「お、れは、蔵田を信じてたから、ずっと。  もう。ほんと、一緒になれてほんとよかったぁああ!」 そういって、誇らしげにガッツポーズする蔵田の胸に縋りついて、号泣した。 正直、口を滑らしてしまった感もある。 『一緒になる』それは望んでも叶わない俺だけの片想いで、 でもコンビとして一緒になれた。そして、そこで一番になれた。それがあまりに嬉しくて。 俺が顔をびっしゃびしゃにして泣いている姿はもちろん全国ネットされ、 今でも先輩芸人たちにイジられるネタになっている。 優勝してからは格段とテレビ出演が増え、レギュラー番組も決まった。 そこからが本当の勝負だった。 グランプリで優勝すると、通称バブルと呼ばれる現象が起きる。 一年間は眠る暇がないくらいの番組に引っ張られる。 けど、そこで実績を上げないと、一発屋として消える。 歴代優勝者のなかで、テレビから消えた人もたくさんいた。 フレミングだって、全国テレビのレギュラーは一本を残すだけで、 あとは関西ローカルばかりになっていた。 ネタじゃなくて、テレビの世界での居場所を見つけることに必死だった。 蔵田がイケメンだったおかげで、バラエティ番組以外にも、 情報番組や女性向けの番組にも呼ばれた。 生き残るために必死で、顔で評価されることがいやだなんて尖ったことをいえるわけない。 蔵田のドラマ出演もこの時からだった。最初こそ演技は酷評されていたが、 芸人として現場を盛り上げたり、番宣できることが役者の世界で重宝されて、 ドラマ現場でのエピソードトークができる蔵田は、バラエティでも重宝された。 そうやって経験を積んでいくうちに、演技もトークも板についていった。 いっぽうで自分は、もともと前に出るタイプの性格ではないこともあり、 バラエティでのひな壇やトークであまり印象を残すことはできなかった。 だんだんと、蔵田じゃないほう。なんて呼ばれ、仕事も減り始めた。 片方だけがテレビで生き残って、 ほとんど解散状態になっている先輩コンビの姿に自分を重ねることもあった。 そうはなりたくなかった。蔵田に置いて行かれたくなかった。 仕事もないので先輩芸人の経営する居酒屋を手伝いながら、 蔵田に置いて行かれないためにどうしようか考えた。 なにか自分にできる特技はないか探して、みつからなくて、 家事スキルと料理スキルをめちゃくちゃ上げようと決意した。 深夜のコンビでのラジオ番組で、家事と料理を頑張ってるということを話すと、 「嫁かよ!」と蔵田は笑った。けど、ネタ作成地獄のときに食べた料理はおいしかったと、 覚えていてくれた。 それから毎週、家事や料理の進捗を喋っているうちに、ラジオの中でミニコーナーができた。 実際に作った料理をもっていったら、手料理なんか何年も食ってないという蔵田が おいしいといってくれた。 蔵田はトーク番組でも「相方が仕事なさ過ぎて家事と料理にハマっている」と 随所でネタにしてくれた。自分でも売り込みのために、 作った料理の写真をツイッターで上げたり、家事のコツを呟いたりした。 そこから料理や家事関係の仕事がぽつぽつと入ってくるようになり、 今では『家事芸人』と呼ばれ朝の情報番組で料理コーナー持たせてもらっている。 「ほんと、色々あったねぇ」 「お前が調理師免許取るって言いだしたときはめっちゃ焦ったわ」 「芸人やめると思った?」 「……すこしだけ。このまま先輩の居酒屋に就職すんのかって」 それは、絶対ない。 自分から芸人の肩書は捨てない。 それこそ、蔵田に捨てられるまでは。 「やめないよ。だって芸人好きだし。  まあ最近は料理作ってるほうが多いし、蔵田もドラマのイメージ強いけど。  だから今日、余興で久しぶりに漫才やれたの楽しかったな」 蔵田とやる漫才が好きだ。 漫才の瞬間だけは、世界の誰よりも蔵田に近い気がするから。 言葉のひとつひとつで、会場が笑いに沸いて、それを肩が触れ合うほどの距離で見ている。 楽しかったという俺の言葉に、蔵田の表情がみるみる歪んでいった。 どうして、そんな顔をするのだろうか。 「……せやなぁ。……、ほんま、っお前と、漫才やるの、たのしいわ」 「ちょ、蔵田、なんで泣いてんの」 知らない間に泣き上戸になったのだろうか。 瞼からは蛇口が壊れた水道みたいに、大粒の涙が流れていて、 イケメンは泣いてもカッコいいなぁなんて思いながら、 ティッシュをとってこようとしたら、 「行くな」とばかりに手首を、一際強く、掴まれた。 「いまさら言うのもあれやけど、俺さ、昔っからお前が笑ってんのがうれしくて、  もっと笑わせたくて、そんでそれを仕事にしちゃったんだよな。  エグイぐらい不安でも辛くても、隣でお前がニコニコしてるだけで、  大丈夫やって、思えてたんや。  俺、お前がおらんと、ほんまなんもできへん」 「どうしたん、急に。何か不安なことあったか?」 握られた手首の不意の強さに驚きながらも、慰めるようになだめるように、 蔵田の目元を拭ってやる。 「俺、お前の結婚式なんか絶対に参加せえへんよ。つか、結婚なんかすんな。せんでくれ」 「どんなわがままだよ」 「グランプリで優勝した時、お前が言うたんやで『蔵田と一緒になれてよかった』って。  だから、これ以上望んじゃあかんって、  コンビ組んでこれだけ一緒なんだから、それでええやんって。  プライベートは譲らなあかんって。けど今日改めておもった。  お前の隣に俺以外がいるんは、絶対イヤや。  ……だから、もう人生諦めて俺と一緒にずっとおってくれ」 「…………」 「なんか言えや」 「や、なんか、プロポーズみたいだなって、」 「そんつもりやけども」 蔵田が仏頂面で下唇を嚙んでいる。 これは、照れているときの癖で。だからこれはマジなやつだ。 そう気づいた瞬間、プロポーズされた事実が、ストンと落ちてきて、 泣いちゃダメだっておもってるのに、涙があふれて止まらなかった。 二十六年間ずっと、見つめ続けていたその背中。隣にいられるだけでよかった。 でもどこかでずっと諦めていた。いつか、いつか蔵田に、特定の誰かができることを。 それを恐れて、分かったふりをして、蔵田の隣の女性の姿に耐えるために準備をしてきた。 まっすぐな目をした相方が伝えてくれる。 もう怯えなくてもいいのだと。 蔵田の胸に縋りついて、「ずっと好きだった」と伝えた。 声が震えるし、涙で溺れそうだから、言葉にはなっていなかったかもしれない。 けれど、縋りついた俺を、蔵田は抱きしめてくれた。 優勝した時は俺だけが泣いていたけど、今度は二人で泣いている。 「なぁ、もうすぐ俺ら結成二十周年やん。  だから事務所に頼んで、漫才ツアーやろうや。新ネタも書くよ」 また、蔵田と二人だけの世界をやれる。 しかもそれを舞台の真ん中で、観客に見てもらえる。 恋人になった相方のつくる、新しい世界が、早く見たかった。 「結婚式とかはできないから、これが結婚式兼、新婚旅行やな」 「じゃあ新ネタのタイトルは『新婚』で」 「むっちゃ照れるやん、俺どんな顔して書いたらええの」 蔵田と話す、未来の話にわくわくした。 やっぱり自分は芸人なんだと改めておもう。 でもそれは蔵田も同じだった。目の奥が楽しそうに輝いている。だから。 とりあえず、泣き止むための、キスをしよう。ふたりで。

ともだちにシェアしよう!