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第1話
俺がこの動物園に配属されて二年。二か月前からペンギンの担当となった。
ちょうどその頃、五年ほど付き合っていた彼女から、突然別れを告げられて少し落ち込んでいる時期だった。
深緑のつなぎ服に黒の長靴という格好でペンギンハウスへ行くと、そこには6羽のペンギンたちがいて、俺は先輩の飼育係の人に教えてもらいながらハウスの掃除やペンギンたちとの接し方を覚えていった。
その中で、たった一羽のペンギンがある日から俺の側を離れなくなっていた。
ハウスに入ると、どれだけ遠くにいても一目散に駆け寄ってきて、足元へとまとわりついてくる。俺が歩けば、一緒になって同じ方向へと移動する。いつの間にかそんな日常が当たり前になっていた。
ある日、いつものようにハウスへ入ると、駆け寄ってくるはずのリクがいつまで経っても現れない。不思議に思った俺は、ハウスの一番奥にある石段の影へと足を進めた。
「リク!」
体調が悪いのか、横になったまま起き上がって来ない。表情も苦しそうで、近づいて耳を口元に持っていくと、呼吸が荒くなっていた。
そっと体に触れてみる。
「うわっ、あっつ…」
ハウスの中は常に快適に過ごせるように温度調節されているから、俺たち人間には寒いくらいのこの場所で、リクの体はとても熱かった。
ふんわりと包み込むように優しく抱き上げると、俺はそのまま救護室へと向かう。でも、俺にできるのはここまでで、あとはプロの先生たちに任せるしかない。
俺がしてやれることといえば、いつも通りにハウスの掃除と、リクがいつ帰ってきてもいいように変わらない環境を保ってやることくらいだ。
様子が気になりながらも、俺は自分のやるべきことをするために、ハウスへと戻り、そこに残っているペンギンたちの世話をする。
だけど、そこにいるべきはずのリクはいなくて、いつだって俺の足元をペタペタとついてくる足音は聞こえなくて、胸の奥がぽっかりと空いてしまったような感覚になってしまう。
いつの間にか側にいるのが当たり前で、常に足元に気を配りながらの作業に慣れてしまっていて、ガツンとタワシが何かにぶつかれば、「リク、ごめん」と足元を確認している自分に正直驚いた。
自分の日常の中で、こんなにも大きくなっている存在。それは人間と動物であっても、同じなんだ。
仕事が片付いて、外はもうすっかり暗くなった頃、俺はふとディスクから立ち上がり、救護室へと向かった。電気がほとんど消えた救護室から、うっすらともれている灯り。
ートントンー
俺は小さくドアをノックした。しばらくすると、ゆっくりと扉が開き、中から男の人が出てきた。
「お疲れさまです。リクの様子はどうですか?」
「食欲はまだありませんが、熱はだいぶ下がりましたよ」
「そうですか…。少しだけ顔を見ても?」
「どうぞ。奥の部屋にいます」
「ありがとうございます。失礼します」
中に入り、男の人の案内で奥の部屋へ行くと、ゲージの中で丸くなり眠っているリクの姿を見つける。
俺はそっと近づいて、その姿を眺めていた。苦しそうだった表情は穏やかになり、スヤスヤと寝息をたてている。
小さなゲージの穴から人差し指をのばして、優しく頭を撫でてやると、くすぐったかったのかきゅっとさらに体を丸めてしまう。
「良かったな、熱が下がって…。早く元気になって戻っておいで」
そう言って、もう一度指先で体を撫でると、丸まっていた体の力が抜けて、安心したように笑った気がした。
きっと、もう大丈夫。
また、元気に俺の足元にまとわりついてくれるはず。
「おやすみリク。ゆっくり眠りな」
それだけ伝えると、俺は「ありがとうございました」と男の人にお礼を告げて救護室を後にした。
それから2日後。
いつもと同じ時間にハウスの扉を開いて中へ入ると、ペタペタペタと近づいてくる足音。俺はその場にしゃがみ、ふんわりとリクを抱きしめる。
「おかえり、リク」
嬉しそうに手をバタバタさせているリクを抱き上げて視線を合わせると、「これからもヨロシクな」とニッコリ笑った。
それからも、ハウスに入れば一目散に駆けてきて、俺の側から離れずに追いかけてくる。
そんな不思議な関係は、いつしかこの動物園の話題となっていた。
だけど、ほんのちょっとだけ他のペンギンよりも可愛いと思うのは、俺の胸の中にしまっておこう。
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