1 / 18

第1話 ロボ赤ちゃんが来ましたよ

 ピンポーン。  チャイムが鳴ると同時に僕はインターホンに飛びついた。 「千尋(ちひろ)?」洗面所の方から駿(しゅん)が呼ぶ。「ベル、鳴ったか?」  ドアの外を映した液晶画面にはスーツ姿の男女が映っていて、僕は洗面所とインターホンに交互に顔を向けて答えた。「ドアのとこまで来てるよ!――はい、すぐ開けます、お待ちください!」  駿はまだ洗面所にいて、隙間からシェーバーの音が響いている。三時間前に起きて活動していた僕とちがい、ついさっきベッドを出たばかりなのだ。これじゃ昨夜さんざん確認した予定とちがう。ふたりそろって玄関で出迎えるって、あれほど話したのに。 「駿、まだ?」 「ちょっと待って」 「もうそこに来てるんだって!」 「とりあえず千尋出てくれ」  ああ、なんてこった。僕は深呼吸する。大丈夫大丈夫。3LDKの部屋はいつもの十倍はきれいだ。掃除機はかけたし、ゴミも片付いているし、他人に見られて困るものは表には出ていない。赤ん坊を迎え入れるためにあけた部屋にはVRデバイス、ヘルメスが充電されて待機している。  ここ数日というもの、今日の準備にあたふたしていた僕に駿が呆れていたのはわかってる。でも三十代の男ふたりが暮らすマンションを他人がどう思うかなんてわからないし、僕は物事を悪い方向に予想するのが大得意だ。  いや、今回は悪い予想は当たらないはず。用意した部屋はもともとVRのために使っていたもので、今ドアの外で待っている赤ん坊の性質を思えばこれがいちばん自然なはず(ぼくらの寝室よりずっとここがいいはずだ)。だいたい今日に至るまでに僕らのあいだにあったことを考えてみろよ。ドアの外の到来者なんてたいしたことじゃない。  僕は自分の服を見下ろす。アイロンをかけた綿のスラックスに半袖シャツ、どちらも清潔、指さし確認完了、よし。  玄関ドアを開けるとカメラに映っていた通りの男女が立っていた。リアルの人物が前に立つと僕の喉はヒュッと鳴りそうになる。 「こ、こんにちは」 「こんにちは。久保駿さん――ですか?」 「あ、僕は杉浦の方です。杉浦千尋」 「これは失礼しました。データアース・ロボティクス・コーポレーションの斉藤と申します」  紺色のスーツを着た男性が名乗り、隣の女性が「コーディネーターの田崎です」と続いた。斉藤さんは僕や駿と同じくらい、つまり三十歳から三十二歳というところで、田崎さんの方はよくわからない。僕は生身の男なら服を着ていてもいなくても年を当てるのが得意だけれど、女の人はまったくの専門外だし、いまは余計なことを考えている場合じゃない。 「は、はいっ、今日はよろしくお願いします。その……中に……」 「はい、ではさっそく、コクーンを運ばせていただきます」 「狭くてすみませんっ、どうぞっ」  コーディネーターの田崎さんが先に玄関へ入り、斉藤さんがあとからスーツケースのような銀色のカートを引いた。そのまま床へあげるかと思いきや、ウィーンと軽い音が鳴り、銀色に光るカートの箱の部分だけが上に持ち上がる。田崎さんが触れるとパカッと蓋が開いた。中には両腕で抱きかかえられるくらいの大きさの、ニワトリの卵のような形をした白い容器が入っている。田崎さんは両手でその容器を捧げ持った。 「ベッドはどちらに置かれました?」 「こっちです」  僕はうやうやしい身振りで田崎さんを奥へ案内する。田崎さんは僕よりずっと落ち着いている。痩せ型ではなく、靴を脱いでも僕と同じくらいの身長がある。両手に卵を抱いた様子は堂々としたものだ。僕らの部屋をさっと見回して「いい部屋ですね」といった。僕は先生の点検に通ったような気分になったが、その時やっと駿があらわれた。 「お世話になります。久保です」 「こんにちは。斉藤と申します」  挨拶をしているふたりを尻目に、田崎さんは部屋の中央に安置したベビーベッドの、丸くなった隅のところに卵を立てるようにして置いた。ベッドはデータアースロボティクス(DERが略称です)から三日前に届いたものだ。いつのまにか僕の隣に駿が、斉藤さんが田崎さんの斜め後ろに控えるように立っている。 「杉浦さん、久保さん、よろしいですか?」  田崎さんが厳かな口調でたずね、僕はうなずく。 「では、開けますね」  かすかな機械音とともに、白い卵の全面がパカッと開いた。あらわれたのは、目をつぶり、背中をまるめて、横顔をこっちにみせている、銀色の肌の赤ん坊―― 「うわぁ、ほんとに赤ちゃんだ……」  僕は声をもらし、思わず駿の手を握った。 「みて、すごい」 「ああ、うん」  斉藤さんが田崎さんにサングラスのようなデバイスを渡し、僕らふたりにいった。 「MRモードで誕生・命名の儀式を行います。お二人ともヘルメスをつけていただけますか?」 「は、はいっ」  僕と駿は同時に返事をしてヘルメスを装着する。VRデバイスはここ数年の改良が目覚ましい。VRデバイスの「ヘルメス」は目をぴったり覆うゴーグルとケープがセットになっていて、どちらも普通の服やサングラスと同じくらいの重さしかない。ケープは仮想現実空間内の身体を制御したり、リアルな感覚を与えるものだ。  視界の隅で緑色のランプが点滅した。セキュアなMRモードでネットに接続したのだ。ゴーグルを通して僕は自分の部屋を見ている。部屋自体に変わったところはない。それに僕も駿も、田崎さんも斉藤さんも、VRデバイスをつけていない素の顔でそこに立っている。  白状すると、ヘルメスを使い始めたのは昨日今日のことではないのに、複合現実(MR)モードを使ったのは初めてだ。MRでは現実の空間上に仮想空間のような情報処理が直接加えられる。もちろん、このモードに対応している機器が必要で、それはつまり家とか、この僕らの前にあるベビーベッドとか。  ベビーベッドは白く光っていた。卵の中で、赤ちゃんの銀色の肌も光っているようにみえる。田崎さんがベッドにかがみ、卵からそっと赤ん坊を取り出して、中央のくぼみへ寝かせた。 「生まれます」  赤ん坊のとじたまぶたが動いた。一度横に潰れたように広がり、皺が何本か寄って、薄くひらく。口も丸く、つぎに横にひらき、小さな体が揺れた。 「フギャ…ギャ……オギャアーー!!!!」  僕はぽかんと口をあけ、赤ん坊が手足をバタバタさせるのをみつめていた。田崎さんが慣れた手つきでベッドの上でパタパタしている赤ちゃんの頭を撫でる。 「よし、ちゃんと生まれましたね。ではパパとママ――じゃない、パパたちに自分の名前をつけてもらわないとね。名前は決まっていますか?」 「あ、はい……」  僕はまだぼうっとしていた。こんなにリアルにみえるのはもちろん、今の僕が半分VR空間に入っているせいだ。でもこれじゃ、ほんとにほんとの、赤ん坊みたいで……。 「名前は秋人。アキトです」  僕の横で駿が落ちついた声でいった。 「アキト君ね。ではお二人とも、赤ちゃんの正面にまわって名前を呼んでください」  赤ん坊は静かになり、手足をパタパタさせながら僕らの方をみていた。今回も駿の方が動くのが早かった。銀色の赤ん坊の上にかがみこんで「アキト」とささやく。赤ん坊の目が細くなって、笑ったようにみえた。駿はふくふくした腕をつついた。 「うわ、なんか、すご……」 「僕も!」  僕は駿を押しのけるようにして赤ん坊の真上に顔を近づける。 「アキト!」  アキトの小さな、丸まったような手にそっと指を差し出す。か、か、か、可愛い。頭の中ではこの子がロボット、つまり機械だと十分理解しているし、実際見た目は人間の赤ちゃんそっくりじゃない――なにせ銀色なんだから。でもこれじゃ、まるで……。 「この赤ちゃん、アキト君はゲノムエンジンによって生成されたデジタル生命です。この子の体はロボット、つまり機械ですが、いまお二人が命名したときから『アキト』のデジタル生命としての時間がはじまりました」  田崎さんがふたたび厳かな声でいった。ほんとうに女神様みたいだった。僕は思わず拍手をし、駿にじろりと見られたが、斉藤さんがニコニコしてこっちをみたのでほっとした。 「杉浦さん、久保さん。今回お申込みいただいた新生児育児体験プログラムのあいだ、お二人には親となって世話をしていただきます」  斉藤さんの口調はどちらかというと児童相談所や認定NPOの職員のようだった。「たった二週間のことですが、赤ちゃんがご家庭に来るってこんな感じなんだなあ、というのを理解してもらうのがこのプログラムの趣旨です。本物の赤ちゃんの予行演習だと思って、よろしくお願いしますね」  本物の赤ちゃんの予行演習。  そう聞いたとたん駿がわずかに緊張したのがわかった。  それとも僕の考えすぎだろうか? 子供をめぐるあれこれでここ二年ほど、僕らはちょっとばかり――いや、かなり問題を抱えていた。でも斉藤さんはこのプログラムに参加したすべての夫婦やカップルに同じ内容を話しているのだろうし、本物の赤ちゃん、という言葉に深い意味はないにちがいない。 「ではアキト君におむつをつけて、最初の授乳をやってみましょうか。ヘルメスをつけていればよりリアルな体験になりますが、つけていなくてもかまいません。ではまず――」  こうしてアキトは僕と駿のところへやってきた。

ともだちにシェアしよう!