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Just the beginning ㉖
翌日。朝早く尚人がホテルまでやってきた。一通り簡単に事情を説明する。途中からニヤニヤと、章良の災難を喜ぶような笑顔を浮かべて話を聞いていた尚人を、軽くどついた。
黒崎と顔を合わすことも嫌だったので、尚人に部屋へと行ってもらい、涼と共に事後処理を済ませてもらった。前夜にきっぱりはっきりと依頼を降りることを有栖に伝えてあったせいか、向こうからは抗議もなく、あっけないほどあっさりと終焉を迎えた。
それから数日が経ち、章良にも平穏な日々が戻ってきた。警護をキャンセルしたことでぽっかりと空いてしまったスケジュールを、章良は久しぶりにジョギングや武術の稽古などに当てた。
黒崎のことはすっかり忘れたつもりでいたが。ふと、空白の時間ができると、黒崎と過ごしたあの1日の記憶が頭にちらついた。傍若無人な黒崎の言動を思い出しては、再び怒りがこみ上げてくる。あんなに振り回されて良いことなんて1つもなかったように思えるのに。
悔しいことに、黒崎のあの、章良の体を優しく這った手の感触は、今まで関係を持ったどの男たちよりも最高だったと認めざるを得なかった。
そしてもう1つ。
『アキちゃん』
そう章良に呼びかけて、子供のように無邪気に笑う顔だけは、思い出す度、章良の心を揺さぶった。どこか懐かしくなるあの感覚が再び蘇る。それと同時に、章良の中で一度はあり得ないと掻き消した小さな疑惑も頭をよぎる。
黒崎のあの声。夢の中の少年とはもちろん声音は違うのに。話し方や間の取り方。そしてなにより雰囲気。それがとても似ているように思えるのは気のせいだろうか。それとも、あの少年のことを気にするあまりにそう思い込んでいるだけなのか。
もし黒埼があの少年だったら。黒崎が昔の自分の愛称を知っていたのも、懐かしい感じがするのも、一応説明はつく。しかし、本当にそんな可能性があるだろうか。
うだうだと考えていると、今度は黒崎のニヤけた顔が脳裏に浮かんだ。その途端、再び黒崎に対する怒りが込み上げてきて、章良は、いやいや、もう関係ねぇし、とその小さな疑惑を頭から追いやった。そんなことを繰り返しながら過ごしていた。
「章良くん、コーヒー飲む?」
「飲む」
尚人が自室から出てきてキッチンへ向かう際に、リビングで小説を読んでいた章良に声をかけてきた。ちなみに涼は、一夜を共にする女の子を求め出かけていて、今夜は不在だった。
そう言えばさぁ、とキッチンから尚人が話しかけてくる。
「何?」
「この前のクライアントの……黒崎って人」
「ああ……うん、何?」
「凄い男前だったね。綺麗な顔した人だったからびっくりした」
「そうか?」
「うん。あの人、どストライクじゃない? 章良くんの好みに」
「……んなことない」
「いや、そうだって。顔だけで言ったらドンピシャじゃん。章良くん、イケメン好きだし」
「…………」
「残念だったね、章良くん。性格最悪だったんでしょ?」
「まあな」
「それにしても……ちょっと気になるよね」
「何が?」
「いくら章良くんに惚れてたって言ってもさぁ。少なくとも、10年以上は章良くんの追っかけしてたんでしょ? ちょっと、普通じゃないよね」
「だろ? なんか……裏があるような気もしたんだけどさ。関わらないほうが身のためな気もするしな」
「……そうだね……。まあ、今回のことで懲りて章良くんのことは諦めるんじゃない? 俺が会ったときも酷くしょんぼりしてたよ」
「……そうか」
尚人が章良用のコーヒーカップをリビングテーブルに置いたとき。部屋の中にチャイムの音が響いた。滅多に客が来ない家だったので、尚人と顔を見合わせる。尚人がモニターへと対応に向かった。
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