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第37話
「くっ……」
爛々とぎらつく目で隙をつけ狙う。
サングラスが異様に似合う強面と老成した物腰が奇妙に溶け合う、年齢どころか人種さえ判別のつかぬ男が道路の真ん中に仁王立つ。
対する大志はシルバーアクセサリーで飾り立てた黒い革ジャン、光沢を出した革パンとハードブーツのパンクファッションでキめ、しなやかな躍動感漲るその姿はよく光る目も相俟って若々しい反抗精神に充ちた猫科の猛獣のようだ。
腰に巻きつけた極太チェーンが体重を移動させるつどじゃらつく。
「重心が低すぎる。体重を膝で支えるんじゃない、下半身全体で支えろ。その姿勢じゃ皿を割られたらもろとも沈む」
「余裕ぶっこいてアドバイスか?お優しいね」
血の混じった唾を吐き、犬歯を剥いて獰猛に笑う。
尖りきった眼光をぶつけて気迫を削り合う。
固い靴底でアスファルトを蹴って急接近、音速で飛来する弾丸のイメージで頭を低め突進、加速に次ぐ加速でぎりぎりまで撓めた腕を正中線に狙い定め振り抜く。
大志が放った渾身の右ストレートを翳した手のひらで易々受け止める。
「筋は悪くないのに、惜しい」
謎めいた呟きの真意を問う暇もなく凄まじい衝撃が襲う。
「!がはっ、」
もろに膝蹴りを喰らう。
アンディの反応速度はずばぬけている。
極限まで高められた動体視力で大志の拳を見切り、回避し、最小限の動きで切れの良いパンチや蹴りを加え体力を削り取っていく。
調子が狂い舌を打つ。
一体こいつは何者だ。どうして邪魔をする。
つまらない足止めをくってるひまはない、戦いながらも心の大半を悦巳の行方が占めている。早く追わなければまた見失う、悦巳が今頃どうしてるか何を話してるか考えただけで気が狂いそうになる。
様子がおかしいことには気付いていた。
決定打はマンションから一組の親子が出てきた時だ。
おそらく、あれが誠一。
悦巳と数ヶ月間ともに暮らした男、漫画喫茶を寝泊まり歩いて追っ手を巻き続けた悦巳を車で拉致し脅迫じみた契約を迫った男、悦巳を横からかっさらっていった男。
聞いた話から想像してたよりまともそうに見えた。
俳優じみて彫り深く端正な容貌、スーツがよく似合う成熟した大人の男というのが第一印象。
悦巳が誠一に惹かれているのは一目でわかった。
大志は十数年間悦巳と一緒だった、一番近くで悦巳を見てきた、幼馴染の心が誰に移ったかわからないほど間抜けでも鈍感でもない。
自動ドアが開きヤツが出てきたとたん悦巳の顔色が豹変した。
希望と絶望が錯綜する驚愕の表情、今すぐに駆け出したい衝動と逃げ去りたい衝動とがせめぎあう葛藤の表情。
あいつがあんな顔をしたのはいつぶりだろう。
いつだったか、あれと同じ顔を見た記憶がある。
暗い部屋の片隅、膝を抱いて嗚咽する少年の姿がぼんやり浮かぶ。
二段ベッドが一対並んだ狭い部屋、その隅に避難してぐすぐす泣く悦巳。涙と鼻水でぐしゃぐしゃに崩れた情けない顔、何度もくりかえし鼻水を拭いた袖はかぴかぴに糊付けされ光沢をだす。制服を着替えもせず、夕飯の時間になっても食堂に姿を見せず、電気を消した部屋でべそかく悦巳をいちばんに見つけるのは決まって大志だった。
声をかけるとびくりとし、見上げる顔にばつの悪さと安堵が浮かぶ。
ああ、思い出した。
誠一を見る眼差しは、かつてともに逃げようと手を差し伸べた大志に向けた憧憬の眼差しと同じもの。
胸がひどく騒ぐ。
悦巳を行かせるべきじゃなかった、力づくでも引き止めるべきだった。
どうせまた傷付くんだ、傷付くだけだ、泣きっ面でとぼとぼ帰ってくるに決まってる。あいつはバカだから何度人に騙されたってこりない、優しい言葉や態度にころっと騙されてしっぽをふってついていく、そうやってまた俺のそばからいなくなる、離れていく。
ダメージを隠して邪険に言う。
「とっととそこどけよ、おっさん。あんたに付き合ってる暇ねーんだよ、こっちは」
「俺は秘書兼ボディーガードだ。社長に危害を加えるおそれのある人間を通すわけにはいかん」
アンディの意志は固い。
いきりたつ大志に噛み含めるように言う。
「社長と瑞原悦巳は現在重要な話し合いを行っている。お前はここで待て」
「俺が話し合いをぶち壊すって?」
「そうだ」
「女子供は行かせたくせにか」
「お二人は社長のご身内だ。話し合いに参加し意志表明する権利がある」
「部外者はお呼びじゃねえってか。そういう自分はどうなんだよ、てめえだって赤の他人のくせに」
「そうだ。他人だ」
乾いた寂寥を含む声色で独白。
「だからここにいる」
それ即ち悦巳を家族に準じる存在と認めたという意志証明。
現場に居残ったのは大志の足止めだけが理由じゃない、己の分を弁えて随行を辞退したのだ。
大志は話し合いをぶち壊す。
誠一と悦巳を引き裂く。
だからこそアンディはここにいる。
怒り狂った大志を体を張って止める為に、邂逅を手助けする為に、悦巳ならばきっと社長の心を溶かしてくれると希望を託し、上司の命令ではなく個人の判断と信念に基づきこの場を死守する姿は全身に矢を浴びながら立ち塞がる益荒男のそれ。
「どけよ」
「どかん」
「殺すぞ」
「俺の屍を越えていけ」
挑発に乗る。
ダメージが回復するのを待って再接近、短く呼気吐き蜂の一刺しに似たフックを放つも余裕をもってこれを回避、一歩後退し間合いから退却、迅速に体勢を立て直す。
どうして当たらない?間合いを読み間違えた?まさか。
焦りと怒りに駆り立てられ振れ幅大きく軸のブレが目立つ荒削りなパンチを乱れ打つ大志の未熟さを嘆き、恬淡とした表情で呟く。
「所詮は戦場を知らん素人だな」
「戦場戦場ってわけわかんねーこと言いやがって……どこの国からきたんだよ」
「戦闘スタイルは自己流か」
人の話を聞かない。
「それがどうした」
不敵に笑んで啖呵を切る大志をうっそり見返す。
「……踏み込みが甘い。まるでなってない。振り幅が大きすぎる。隙だらけだ」
「……でくが余裕かましやがって」
がりっと奥歯を噛む。
体格でひけをとる相手にだって負けた試しはなかった、どんな不利な状況でも互角以上の善戦を演じてきた自信が最大の脅威の出現によって根底から揺らぐ。
『こちらベータ、こちらベータ、状況報告を乞う』
「こちらアルファ。現在マンション玄関前にて接敵、戦況は膠着。社長のそばを一時離脱、代わりに警護を頼む」
『敵?重火器、および銃器は所有してるのか』
「否……手ぶらだ」
『応援は?』
「俺一人で十分だ」
『健闘を祈る。通信アウト』
通信が途切れ、張り詰めた静寂が支配する。
サングラスの奥の銃口の瞳からドライアイスに似て氷結した誰何の視線を撃ちだす。
「少年、名は」
「ひとに聞く前にてめえが名乗れ」
「俺に名はない。社長は安藤とよぶ」
「矛盾してねえか?」
「名前など戦場においては識別の記号にすぎん。知人に貰った名はアンディだ」
「アンディ……アンディ・ラウか?」
「おそらく」
「たしかに、ちょっと似てるよ。あっちのがだんぜん男前だけど」
「そうか」
「アンディ・ラウは……俺が好きな俳優だよ……最高のアクションスターだ」
手は痺れて感覚がない。
スーツに隠れた腹筋は分厚い鉄板を仕込んだように固く、殴りつけるつど拳が擦り剥けひりつく。
「お前が大志か」
顔を上げる。
「瑞原悦巳が酔っ払うたび話していた。なんでもできて頼りになる最高の親友だそうだな」
「はっ……」
「喧嘩が強く料理が上手い。短気なのがたまに瑕だが根はいいヤツだと、正義感が強くいじめっ子を懲らしめてくれたと、お前の作るカレーは最高だと、誇らしげに照れくさげに笑いながら自慢していた」
「気色わりい」
「お前の事を信頼していた」
「だから?」
「……お前の事を話すとき本当に嬉しそうな顔をしていた」
「あいつはいっつもそうだ、ガキの頃から変わってねえ。大志大志ってしつこくあとついてまわってなんかあるっつーとすぐ人の背中隠れやがって、こっちの都合なんかおかまいなしに、おかげでどんだけ……」
「何故足を引っ張る?」
虚をつかれ反応が遅れる。
「なぜ瑞原悦巳をどん底にひきずりこもうとする。むりやりつれもどしたところで詐欺に手を染めた人間を待つのは破滅だ」
「……うるせえ」
「道連れに破滅するつもりか?あいつひとりしあわせになるのは許せないか?おいてかれるのが怖いか?」
「黙れ」
「寂しがり屋か」
「んだと?」
「ひとりになるのが怖いんだろう」
「御影さんが……俺の兄貴分にあたる人が悦巳に戻ってきてほしがってんだ」
弱みを晒すことへの抵抗をバネに悪態をつく。
「あいつにゃまだまだ使い道があるからな。バカでグズでどうしようもねえけどふしぎと年寄り受けだきゃいいんだ、むかしっから。振り込め詐欺は天職だよ。あいつだってさんざんいい思いしてきたのに今さら自分だけ逃げようたってそうはいかねえ、首までどっぷりつかっちまってんだ。やんなったからってはいそうですかっていちぬけできっか。せっかく御影さんが即戦力として必要としてくれてんだから……」
「利用の間違いだろう」
激発。
「うるせえ!!」
右、左、ストレート、続く上段蹴り、拳を振るうごと論理的な思考が剥がれ野性の本能が活性化、大志が繰り出すパンチを片っ端から受け止め弾きねじ伏せ瞳孔を絞って軌道を追尾、風切る唸りを上げ首を刈り取りにきた回し蹴りをバネ仕掛けの背筋で仰け反り回避、逃げ遅れた前髪がちりっと焦げきな臭い匂いが鼻腔を突く。
アドレナリン全開で脳内麻薬が拡散、神経に火が走り導線と化す。
「おらおらおらおらッさっきまでの勢いはどーした少しは反撃してみろ、でけー図体しやがってもうスタミネ切れかよ脳筋野郎が、えらっそうにひとに説教してる暇あんならゲロマズプロテイン補給しとけ!!」
頭の芯に生のアルコールを塗り込めたような暴力の熱狂に酔い躁的な哄笑を上げる大志を巧みに受け流し、経験を積んだ傭兵の勘でもって実力を判定する。
できる。
が……つめが甘い。
「俺はまだ本気出してないだけ……」
サングラスの向こうでカッと目を見開く。
―「だッッッ!!!!」―
闘争心が覚醒する。
「!?っ、」
アンディの本気の一端を垣間見て軌道が狂い、顔の中心に炸裂し鼻っ柱をへし折るはずだった拳が耳の上を掠ってサングラスを吹っ飛ばす。
後方に弾けとんだサングラスが地面にかしゃんと跳ね、フレームがへし折れる。
サングラスの残骸。
砕け散る魂。
硬直するアンディ。
「―……顔を見たな」
外気に晒された素顔。
瞳の色素は薄く、虹彩は明るい灰色。おそらく異国の血が混じっているのだろう。
戦場の経験が爪痕を刻む顔を引き締め、沸点まで達した怒りを冷却。
「あのサングラスは採用が決まった折社長に頂戴したものだ」
「へえ?だっせーな」
大志が嘲笑う。
漂白された顔に氷点下の炎が揺らめき立つ。
「覚悟はいいか、少年。地獄を見せてやろう」
戦慄。
「覇ッ!!」
速い。
見切れない。
残像すら掴めない。
瞬発的な膂力を練り上げ引き出し音速に迫る速度で拳を打ちこむ、右左右左右左正拳突き、同時多発的に怒涛を打つ拳の砲弾が体表の広範囲に痛恨のダメージを与える。
圧縮された闘気が物理的波動に変じ帯電したかのように体を叩いてビリビリ痺れを生み、烈風まとい飛来した拳が頬の薄皮を削ぐ。
「あん、た、戦車かよ!」
「かつては人間戦車と二つ名をとった」
「人として無茶苦茶だ!!」
ガードしようと腕を掲げるも遅い間に合わない。
アンディのスピードは大志を凌駕する。
その男、不死身につき。
アンディの真髄は肉弾戦でこそ発揮される。
今のアンディは破壊の権化、天衣無縫のクラッシャーであると同時に戦闘の中で進化が加速する国士無双のクラップラー、無限のポテンシャルを秘めたその肉体は敵と拳を交えるごと野生の本能を目覚めさせ障害物を根こそぎ薙ぎ倒す戦車と化して驀進する。
殲滅の意志を具現した拳はそれ自体重加速した鉄球に等しい破壊力の凶器と化し、非情の拳を振るうごとその顔は焼きを入れた鉄に似て強靭に研ぎ澄まされ精悍さを増していく。
バーサークモードに突入したアンディに押しまくられ防戦一辺倒に回らざるを得ずダメージが浸透していく。
「人は骨と血と糞便の詰まった皮袋にすぎん」
「あがっ、ぐ、がほ!」
「退け、少年。臓物をぶちまけたいか」
「やな、こった!」
降伏を促すアンディに憎悪剥き出しの形相で咆哮、爆心地に荒れ狂う風がめちゃくちゃに髪をかきまぜ羽織った革ジャンが激しくはためく。
「―!!がっ、」
鳩尾に鉄拳が炸裂、背中まで衝撃が貫通する。
白目を剥き痙攣する大志に留めの一発をくれようと再び拳を振り上げ、とまる。
腹を抱えて喘ぐ大志、そのシャツが捲れて下腹部が露出。
鍛え抜かれ引き締まった腹筋から胸にかけての広範囲に古い火傷のあとが散らばってる。
煙草をおしつけられたあと。痛々しい虐待の痕跡。
「!っ……」
はだけたシャツを直し手で庇う。
恥辱と情けなさで顔が熱を持つ。
攻撃がやんだ隙をつき膝を沈め足を払うも、アンディは前もって予期してかわし片腕一本でもって胸ぐらを引き立てる。
疲労困憊の様相を呈しながらも決して目の力を失わず、しぶとくふてぶてしくガンを飛ばす大志と向き合い、表情に乏しい顔に感嘆の波紋を広げる。
「根性があるな。俺の部隊に欲しい」
「どうして、邪魔するんだ。関係ねえだろ……ひっこんでろ……」
逆立てた髪が崩れ、脂汗で湿った額に一筋二筋まとわりつく。
苦しげにもがく大志にぎりぎりまで顔を寄せ、重々しく呟く。
「関係は、ある」
「はあ?」
灰色の瞳が柔和に凪ぐ。
冷徹な殺人機械から一人の人間へともどり、答える。
「瑞原悦巳は俺の名づけ親だ。あいつに貰った名前が一番気に入ってる」
「………意味わかんね、イカレてんのか」
「あいつは俺をアンディとよぶ。友を呼ぶように、アンディと」
自らの内側に芽生えた心のありかを探るように目を閉じ、開く。
再び目を開いた時、そこには一抹の感慨が込められていた。
「あいつが作ったカレーを食べたか、大志」
「食ってねえよ」
「ならば食え。懐かしい味がする。真心の味だ」
「てめえ……悦巳の何を知ってんだよ」
「逆に問う。お前はあいつの、瑞原悦巳が社長やみはな様と暮らした数ヶ月の何を知っている?この数ヶ月で悦巳にどんな変化があったか、どれほど成長したか、それさえ認めず否定するのか?瑞原悦巳は自分の子分だと、自分は上で悦巳は下だと、一方的に守られ庇護される存在だという幻想に固執し続けるのか?」
「んなの知りたくもねえよ!!」
ブーツの底でしこたま脛を蹴りつける。
「てめえに何がわかる……」
頭が沸騰する。
屈折した眼差しでアンディを睨み、独占欲が高じた嫉妬と悦巳が離れていくかもしれない不安とにぐちゃぐちゃに苛まれ、駄々をこねるように暴れ狂い、血が出るほど唇を噛み締め、吠える。
「わかったふうな口きくんじゃねえよ、あいつの何を知ってんだよ!」
寡黙なアンディに遠目に見た誠一を重ね、脛を砕かんとブーツの踵を振り上げる。
「ずっとあいつと一緒だった、ガキの頃からずっと助けてやった、なんとかして大志って泣きつくたんび尻拭いしてやったの誰だと思ってる、悦巳はバカでグズでお人よしのべそっかきで俺がいなきゃ何もできねーんだ、俺がついててやんなきゃ飯ひとつまともに作れねーカップラーメンの火薬を入れる順番だってめちゃくちゃで麺をふやかしちまうんだ悦巳は、たった数ヶ月一緒に暮らしたくらいで勝った気になんじゃねえぞ!」
悦巳を守るのは俺の役目、俺の存在意義。
「あいつが作った借り回収するまで放さねーぞ!」
なのに何で、
「あいつは俺がいなきゃだめなんだよ!!」
どうしてそっちを選ぶ?
「そう思いたがってるだけだろう」
「な………」
「俺は見てきたことしか知らん、語らん」
そう前置きし、口を開く。
「瑞原悦巳はお世辞にも器用とは言えん。料理上手とよべば語弊がある。最初の頃はよく洗剤の量を間違え周囲を泡だらけにした、みはな様に日の丸弁当を持たしたことさえあった、カレーのじゃがいもは大きすぎ皮の剃り残しが目立ちにんじんはずらずら繋がっていた、里芋の煮っ転がしはべちゃっと煮崩れて酷いものだった」
大志が面食らう。
気にせず続ける。
「頼んでもないのに差し入れと称し俺に飯を運んだ、毎日毎日飽きもせず作りすぎて余らしたと下手な言い訳までして表に立つ俺のもとへ飯を届けた、寒い日はホッカイロをこっそり差し入れた、立ちっぱなしは疲れるだろうとみはな様愛用の座高の低い椅子を持ってきた、俺や部下に振る舞おうとパーティーの残り物をタッパーに入れて持ち帰ろうとした。ある日いつものようにやってきてお仕事お疲れさまとご褒美をくれた」
「ご褒美……?」
「チロルチョコだ」
大志の顔に驚きが走る。
「ポケットに入ってたチロルチョコを一個、手のひらにのせてくれた。糖分補給だと……甘いもの食べて元気をだせと……ほぼ一日中、自分を監視する人間を激励して……どこまでお人よしなんだとあきれた」
チロルチョコ。
遠足帰りのバスの中で、腹を空かせた悦巳に大志が渡したのと同じ。
覚えていたのか。
「とんでもないお節介だ」
一呼吸おく。
「俺がこの半年見てきた瑞原悦巳は不慣れな家事に一生懸命取り組む努力家で、みはな様を愛し、誠一さまを立て、人の為になる事に心の底から喜びを感じ、彼らに必要とされる事に生き甲斐を感じていた。過去の自分と訣別し、罪を償い、新しい人生を歩もうとしていた。彼らと家族になりたがっていた」
「はっ……他人同士の家族かよ、笑わえるぜ。血が繋がってたって上手くいかねーのにさ……家族ごっこなんざ糞喰らえだ」
「いつまであいつに依存してる気だ」
息も絶え絶えにもがく大志の顔を至近距離でのぞきこみ、教え諭す。
「あいつのカレーは美味い。真実だ。保証する」
「俺のカレーのが美味い!!」
悔しげに吠え返す大志を灰色の瞳で見つめ、ごくかすかに微笑む。
「どうして食ってやらない?」
「………っ、……」
「変化を認めるのが怖いか?」
そんなの、うまかったら癪だからに決まってる。
顔を背け答えを拒否する大志。
そのいきがりを過酷な人生を乗り越えた先達の包容力滲む顔で見守り、傷つきやさぐれた若者に道を指し示す。
「あいつのカレーは美味い。そして具が大きい。きっとお前に食わせたがってる、感想を聞きたがってる」
「冗談じゃねえ……」
「そう言わず食ってみろ。癖になる味だ。社長だってきっと」
最後まで言い終えることができなかった。
スリップして突っ込んだ車がアンディに衝突、その体を乱暴に薙ぎ払う。
巨体が錐揉み空を舞いボンネットでもんどりうつや弾みをつけて地面に落下、生々しいタイヤ痕を刻むアスファルトの上をごろごろ転がる。
助手席の窓が下がり、顔を突き出した悦巳が騒ぐ。
「アンディ!アンディ!」
「的がでっかくて助かった」
「なんで轢くんですか御影さん何考えてんすか正気っすか、しっかりしてアンディ、大丈夫っすか、早く病院に」
「つーことで乗れ、大志。とっととずらかろうぜ」
飛び降りようとドアがちゃつかせる悦巳とうつぶせたアンディを見比べ、葛藤にけりをつける。大志が後部シートに転がり込むのを待って車が急発進、アンディを掠めて颯爽と走り去る。
「アンディ!アンディ!アンディ―――!!」
あとにはただ、たなびく排気ガスの煙と悦巳の絶叫だけが残った。
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