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みはなさく
届きそうで届かない何かがあった。
透明人間の背い比べのあとみたいに、しるしを刻んだそばからあやふやになってくカタチのない何か。
俺はずっとそんな物が欲しくて欲しくてたまらないガキだった。
「みはなさん撮りますよーハイチーズ」
「ズ」
春うららかに桜咲き散る校門前。
新品の赤いランドセルを背負い、清楚な白に可憐なレースをあしらったワンピースでおしゃれしたみはなが面映ゆげに微笑み、周囲の人だかりを気にして小さくVサインをする。
折り目正しい背広を着こみ、せいぜいが就活生にしか見えない誠一は浮足立ってスマホを掲げてみはなの晴れ姿を撮りまくり、すれ違う人々の微笑ましげな笑いを誘っていた。
「えっちゃんもういいですから……」
「イケズ言わずにもう一枚だけ!今度はアングルを変えて、ちょこっと首傾げて歯あみせて」
「他の人が待ってますしわがまま言っちゃだめです。みんなに迷惑かけるえっちゃんは嫌いです」
「えっ……」
おっかない顔でたしめられ、スマホを力なくおろした悦巳が途端にしょげ返る。みはなの「嫌い」は悦巳をどん底に叩き落とす切り札だ。
「そうだぞ悦巳、少しはしゃぎすぎだ。時と場所と年を考えろ、お前のせいで目立ちまくくってるじゃないか」
父親そっくりの顔で怒るみはなの隣、現役の若社長だけあり背広の着こなしがさすがに様になる誠一が苦言を呈せば、悦巳が情けない顔で反論する。
「固いこと言わないでくださいっす、今日位いいじゃないっすか、記念すべきみはなちゃんの入学式っすよ」
「大体なんだそのザマははしゃぎすぎて恥ずかしい。笑える位スーツが似合わないぞ」
誠一が仏頂面で諫めれば、悦巳が眉を逆立てて、自身の背広を摘まんで抗議を申し立てる。
「誠一さんのお下がり着てんだからケチ付けんなら自分のファッションセンスにしてくださいっス」
「なんだと?俺のセンスが悪いというのか、フリーター上がりの就活生にしか見えないのはお前の生活態度がだらしないからだろ」
「誠一さんと俺じゃタッパも肩幅も違うんだから同じの着せようって発想がムリなんすよ」
「丈は詰めてやったじゃないか」
「袖と裾はいいんスよ、問題は肩幅っす!もー見てくださいぶかぶかっすよ、布と肩の隙間に八枚切り食パン二枚は詰められそうじゃねっすか」
「具体的な上に庶民的なたとえをだすんじゃない、想像して萎えるじゃないか」
「みはなちゃんのおうちはお父さんが二人いるのって聞かれました」
みはながふいに呟き、所帯じみた言い争いを続けていた悦巳と誠一が固まる。
言葉に詰まった男二人をジト目で均等に眺めるみはなに、おっかなびっくり唇を湿して悦巳が訊く。
「……それで、なんて?」
「そうですよ、いいでしょうって言っておきました」
「ホントはかせいふさんだけどややこしくなるのでショウリャクしました」とこっそり付け足したみはなが褒めてほしそうにするので、毒気をぬかれた誠一と悦巳は同時に吹き出し、どちらからともなく謝罪を口にする。
「ごめんっす」
「いや……俺も大人げなかった。せっかくの入学式をぶち壊すところだった」
そんなどうしようもない父親二人の真ん中に挟まり、ちゃっかり二人と手を繋いだみはながいかにも苦労が尽きないため息に暮れる。
「しょうがないですね。みはながかすがいになってあげます」
半人前同士がそろって漸く一人前な父親ふたりを宥めるような、大人びた表情と言葉にドキリとする。
「みはなちゃん、どこでそんな言葉を」
「幼稚園の先生が言ってました」
「意味はわかるのか」
「真ん中に挟まってけんかを止めることですよね。さあ、これで最後ですよ」
順番待ちの人々の事を考えて譲歩したみはなが、背広でめかしこんだ誠一と悦巳の真ん中で誇らしげに微笑み、それを見た誠一と悦巳はお互いバツが悪そうに目を見交わしてスマホを仰ぐ。
「んじゃ撮りますよーハイチーズ」
「「ズ」」
父娘の声が綺麗に揃い、悦巳が掲げたスマホが小気味よいシャッター音を鳴らす。
「すいません、お待たせしちゃって」
「いえいえ」
後続の親子に場所を譲って桜の木の下に移動後、3人輪になってスマホを囲んで仕上がりを確認する。
「よく撮れてっかなーっと……」
「あ」
みはなが大発見をしたように目をまん丸くし、スマホの悦巳の鼻の頭を、正確にはそこにくっ付いた桜の花びらを指さす。
「花びらがぴったんこしてますね」
「ありゃりゃ、気付かなかった」
「花咲かじいさんだな」
「おじいさんじゃないです、えっちゃんです」
「じゃあ花咲かえっちゃんだな」
笑いを含んだ口調でからかわれた悦巳は頭をかいて照れ笑いし、「入学おめでとっすみはなちゃん」と、鼻の頭から指ですくいとった花びらを吹きあげて最大の祝福を送る。
誠一はおもむろに手を振り抜いて宙を舞い滑る花びらを掴み、それを愛娘と家政夫の頭上に撒く。
入学式の最中もムッツリした表情を崩さず、今に至ってもまだ笑うタイミングを逃し続けて憮然としている見栄っ張りな彼の精一杯の祝福が可愛らしくて、感無量の悦巳は一言呟く。
「誠一さんて結構キザっすよね」
「うるさい」
「ケンカはだめです、かすがいが見てますよ」
ランドセルを背負い直したみはなが慌てて口を出すのと、彼女が後ろへ傾いて倒れていくのは同時だ。
「みはな!」
「みはなちゃん!?」
考えるより早く身体が動く。ふたり同時に腕をのべ、間一髪みはなを抱き止める。
誠一と悦巳の連携プレーでからくも転倒を防がれたみはなは忙しく瞬きしてから、おずおずと口の前に人さし指を立て、うってかわって殊勝な態度で悦巳と誠一に言い含める。
「……今の、康太くんとかみんなにはナイショですよ」
「そうきたか~~~~~~~~」
「怪我より体面が心配か。さすが俺の娘だ」
みはなの発言にあっけにとられるも次の瞬間笑顔が弾け、誠一と悦巳はスーツが汚れるのも構わず尻もち付き、地面に散り敷かれた花びらをすくっては互いにかけあい、心から楽しそうに笑いだす。
「ずるいです、みはなもまぜてください!」
届きそうで届かない何かを手に入れた彼と彼らは満開の桜の下で仲睦まじくじゃれあい、満ち足りた幸せとぬくもりに包まれて、ピンクに霞んだ今日の良き日の思い出を心に綴じる。
のちに悦巳はこう語る。
みはなちゃんがランドセルの重さに負けて転んだのは、それが最初で最後でした。
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