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ダイヤとケーキ
付き合って半年目の記念日にケーキを買おうと思った。
本当は1ヶ月でも3ヶ月でも年中祝いたい。でも重いから、引かれるのは嫌だから半年で区切った。
その待ちかねた半年の区切りがやってきて、上機嫌で巧をバイト先にむかえにいく。
なんでもない日万歳、実らぬものと諦めていた巧への想いが成就したその日から俺の中では毎日パーティーが開催されている。
巧は大学に入ってから生活費の足しにと吉祥寺のケーキ屋で働いている。バイト帰りの巧の髪からはほんのり甘い匂いがする。
それはクリームとバニラエッセンスのたまらなくいい香りで、俺は食べてしまいたくなる。
なんでケーキ屋をバイト先に選んだのかと聞いたら、巧は「賞味期限切れのケーキとかもらえんじゃん、超ラッキー」と浮かれていた。巧は昔から甘党で食い意地が張っているのだ、アパートから近いとか大学の帰りに寄れるとかも必須条件だろうけど。
巧、俺の巧。アイツの事を考えていると身体が軽くなる、どこまでも歩いていけそうな無敵の万能感に酔いしれる。
頬を切る北風の冷たさや吹き散る木の葉のざわめきも何のその、サプライズで出待ちをする俺を見た瞬間の巧の顔、百面相の仰天ぶりを想像するだけで愉快さに羽が生えそうだ。
驚きと戸惑い、ひょっとしたら照れと嬉しさ。まず真っ先にどんな表情をするのか、それを当てるのが楽しい。喜んでくれればいいけど。俺の理想としては、ちょっと拗ねてむくれてくれたらいい。いじける巧は最高にかわいい、いくらでものろけられる。
普通の恋人同士がやるみたいなことにずっと憧れていたと言ったら笑うだろうか。
今の俺ならすれちがうカップルに寛大になれる、仲良く腕組む彼と彼女の組み合わせを他人事として祝福できる。自分が幸せだと心に余裕ができるんだ、きっと。
「今の子超イケメンーモデルかな」
「おいっよそ見すんなよ!」
通り過ぎたカップルの会話の切れ端を上の空で聞く。もうすぐ巧が働く店だ、俺もクリスマスにちょっと手伝った。更衣室で売れ残りのケーキをパク付いた思い出に心がぬくもる。生クリームだらけの巧、かわいかったな。
そのケーキ屋は個人経営の店だ。自動ドアをくぐると清潔な店内に女性客が散らばっている。ガラスケースに陳列されたケーキは彩り豊かで装飾もこっており、眺めているだけで腹が一杯になる。
「あ、フジマくん久しぶりー」
「こんにちは、先日はお世話になりました」
「いえいえこっちこそ手伝ってくれて助かったよ、フジマ君のおかげで綺麗に刷けたし」
レジにいた店長が気さくに挨拶してくる。名前は矢部だったか、三十代半ばの優しそうな男性だ。眉八の字の困り顔がデフォルトで、お人好しな性格が滲みでている。
接客業だけあって愛想がよい店長は、一度会っただけの俺の顔と名前もちゃんと覚えていた。
「フジマ君ならクリスマスの予定も埋まってたろうに悪いことしちゃったね、巧君は気にするなって言ってたけど」
「好きでしたことですから」
おかげでクリスマスに本命と過ごす口実ができた、逆に感謝したいくらいだ。本音を述べれば謙遜と映ったのか、矢部が肩を窄める。
「巧くんはいい友達を持ったよね」
「あはは、よく言われます」
友達以上ですよ、と心の中で譲れない訂正を挟む。俺は日頃から外面を鍛えている。このハリボテは年季が入っていて、ちょっとやそっとじゃボロがでない。
「……恵まれたのはこっちです。アイツのおかげで退屈しません」
「鑑だねー」
「巧は?姿が見当たりませんけど……今日ってシフト入ってましたよね」
店内を見回して確認をとる。せっかく足を運んだのにすれ違いは拍子抜けだ。
「彼ならちょうど上がったとこ、いま更衣室じゃないかな。寄ってく?」
「いいんですか」
「身内のようなものだしね」
「助っ人のオファーなら喜んでお引き受けしますよ」
「それは有り難い。ああ、うちは男女共用だから一応気を付けてね。巧くんと交代する子がきてるかもしれないから」
「もちろんノックはしますよ。……ああそうだ、二つもらえませんか」
「ケーキ?いいよ、どれにする?」
「うーん……どれがいいですかね」
ケースの中にはオーソドックスなショートケーキから濃厚なチョコレートケーキ、金色の栗がトップにのったモンブランまで、いろいろな種類が並んでいて目移りする。
「家で食べるの?」
「せっかくだから巧と」
「なにかの記念日?」
「……ってほどでもないんですけど……レポート完成の打ち上げ的な?」
咄嗟にごまかしたものの、ちょっと苦しい言い訳だ。案の定店長に突っこまれる。
「へー、大学生の男の子が打ち上げでケーキを……いま流行りのスイーツ男子ってヤツかな?」
「そんなとこです。俺もここのケーキ好きだし、アイツはアイツで店で働いてると買って食べようって気にならないですもんね」
「手厳しいねー。売れ残りとかすごくイイ笑顔で持って帰ってくれるからこっちとしては助かってるけど……生クリームは危ないからね、そこはうるさく言ってるんだけどね。こないだなんてお腹壊したし」
ケースと向き合って真剣にケーキを選ぶ。どれが今日この日にふさわしいか、俺たちの特別な記念日に似合わしいか、頭をフル回転させて考える。
「全部おいしそうで迷うな」
「買い占めてくかい?」
「さすがにお金が足りません」
「巧くんはモンブラン好きだよ」
「ええ、人の栗を横取りする位意地汚い奴ですよ」
巧の好き嫌いはばっちり把握している。人様に教えてもらうまでもない。
その上でやっぱりショートケーキに決める。
「これにします」
「ショートケーキね。堅実だなあ」
「そうですか?いちばん『お祝いごと』って感じがするでしょ」
俺のひそかなこだわりだ。ショートケーキは子供の頃、巧と一番よく食べたケーキでもある。アイツは真っ先にいちごを食べる派で、俺は最後まで大事にとっておく派だった。そして巧があらかたたいらげるのを見計らい、『半分あげる』というのだ。
……思えばあの頃から報われないアピールに余念がなかった。今は報われたからちゃらだけど。
ケースを眺めてしんみりする俺をよそに、矢部は手際よくショートケーキを二個とって箱に詰めてくれる。
「ありがとうございます」
「またね」
箱を受け取る時、店長が左手薬指にはめたシルバーリングが目に入る。結婚してるんだ。
店長に軽く会釈し、一旦店を出て裏口に回る。マフラーを巻き直してドアの前に立ち、ノックをしようと拳を掲げる。
その時だ、ドアの向こうから嗚咽らしきものが聞こえてきたのは。
「……?」
女の子の声だ。誰かが更衣室で啜り泣いてる。聞き覚えある声……クリスマスのバイトで一緒になった須賀さんだ、巧がべた褒めしてたから覚えてる、覚えてしまった。
『テキパキしてて気立てもよくて、ケーキをとるのにわざわざ須賀さん指名する客もいるんだぜ。俺の取り方は雑なんだと、ひでーよな。これでも気を付けてんだけどなー』
ショートヘアで清潔感ある丸顔の、美人というより親しみやすい可愛さをもった子だった。
モロに巧のタイプ。
「…………」
嫌な予感がした。絶対あたってほしくない勘が。
掲げた拳をおろし、そっとドアに忍び寄る。音を立てないようにゆっくりノブをひねって開け、隙間から中をのぞきこむ。
ドアの向こうは無機質なロッカーが並ぶ更衣室だった。中央には長机があり、バイトの物だろうぺットボトルやバックがおかれている。巧は……いた、帰り支度を終えて自分のロッカーの前に立っている。大学から直接来たから、リュックの中には教科書やノートが入ってるはずだ。
リュックにぶら下がっているのは俺が遊園地デートの時にやったキーホルダーで、なんだかくすぐったい気持ちになる。
そんな温かい気持ちは、巧の胸にもたれかかった須賀さんを見て霧散した。
須賀さんは棒立ちの巧の胸に顔を埋めていた。巧は須賀さんの肩を抱き、ひそめた声で何かを一生懸命訴えている。
別れ話。まずそれを連想した。次は告白だ。巧は至って真剣な表情で、紛れもなく誠意にあふれた顔をして、泣きじゃくる須賀さんに何かを言っている。
「好きだって知ってるくせに……」
須賀さんが力なく首を振れば、さらに食い下がる。
「ちゃんと言わなきゃわかんねーだろ、ホントの気持ちも聞かず諦めんな」
そうか。
巧、須賀さんとタメ口で話すんだ。
仲良さそうだったもんな。巧が釣り間違えた時も即フォローに入ったもんな。
注意深くドアを閉め、凍り付きそうなノブから手をはなす。
「…………」
胸中に動揺の波紋が広がる。
今見た光景が目に焼き付いて離れない。俺はショックを受けていた。左手にさげた紙箱を落とさないのは奇跡だった。狭い更衣室に2人きり、巧と須賀さんが抱き合っていた。
ドアの隙間から盗み見る俺には全然気付かず、盗み聞きされてるなど夢にも思わず、熱っぽく潤んだ眼差しでお互いだけを見詰めていた。
嫉妬で喉が詰まり、深呼吸でどうにか平静な仮面を貼り付ける。改めてノックをし、声を張って許可をとる。
「入るよ」
「フジマ?」
巧は声だけで俺だとあてた。笑顔でドアを開けた時には、もう2人は離れていた。須賀さんは自分のロッカーを開けて中身を整理し、巧はしどろもどろの醜態を呈す。
「びっくりしたー。お前さ、急にくんのやめろって。せめてメールの一本位」
「サプライズ成功だね」
まだ顔が赤い巧ににっこり笑いかけ、知らんぷりをきめこむ須賀さんに意地悪く指摘する。
「どうしたの須賀さん。顔赤いけど風邪?」
「え……」
「休んだほうがよかったんじゃない?なんなら巧が延長しても」
「おいフジマ」
「助っ人に入ろうか」
親切ごかして畳みかければ、須賀さんは引き攣り笑いで「ううん、大丈夫。心配ありがとね」と返す。
「相変わらず仲いいね。むかえにきたの」
「です」
「幼馴染なんだっけ」
「腐れ縁ってだけです」
他人行儀に言えば、須賀さんがだいぶ無理をした笑顔で巧を振り返る。
「じゃあね巧くん、お疲れさま」
「ああ……また明日」
どこかぎこちない雰囲気で、そそくさと別れの挨拶をする。
飲みかけのペットボトルを回収した巧と連れ立って帰途に就き、核心を迂回して他愛もない話をする。
「お前さ、なんかそっけなくね?」
「気のせいだろ」
「ふーん……まあいいけど。バイト先来るとか珍しいじゃん」
「序でだよ。一緒に帰りたかったし」
「たまにガキっぽいことするよな。店長には挨拶したか」
「クリスマスのお礼言われたよ、機会があればまたお願いしたいって」
「イケメン得だな。俺より時給よさげで嫉妬」
「矢部さんはそんなことしないよ、お前のことよくやってるって褒めてた」
「具体的に」
「売れ残りのケーキ持って帰ってくれて助かるって」
「トングでケーキを挟むの上達したとか生クリームの絞りが上手いとか仕事を褒めろよー!」
巧の馬鹿話に笑って付き合いながら、俺は違うことを考えていた。
さっきのアレはなんだ。更衣室でなにしてた。そう聞きたいのに聞けなくて、胸の内にモヤモヤが広がっていく。
「社会学のレポートって来週の火曜までだっけ。お前はもうできた?」
「八分目ってとこかな」
どうでもいい話。どうでもいい俺。不快感が喉を塞き止める。
俺は駅へは向かわず巧のアパートへ付いて行き、今さらそれを不審がりもしない巧は、露骨に迷惑そうな、でも照れ隠しにも見えなくもない微妙な表情で聞いてくる。
「きょうも寄んの?」
「だめ?」
「だめくねーけど」
アパートの廊下で逡巡する巧の胸元の高さに、手に持った紙箱を掲げてみせる。
「買っちゃったんだ。片付けるの手伝ってくれ」
「お前が?自分で?珍しいじゃん、そんなにケーキ好きだっけ」
「店長に顔見せて手ぶらってのも気が引ける」
「1個にしときゃいいのに」
「序でだよ」
俺は笑って嘘を吐く。ハリボテのようにギスギス醜い笑顔。
店のロゴマーク入りの紙箱をまじまじと見詰め、巧が念を押す。
「……ドライアイス入ってんの」
「入ってない」
お前と食うために買ったんだから。
「しゃあねーな」
ドライアイスが封入されてない状態で家に帰らせたら鮮度が落ちると判断、俺を部屋に入れるあたりさすがケーキ屋のバイトだ。
その甘さが命取りになるとも知らないで、本当に馬鹿だ。
「フジマー」
巧は本当に進歩しない。酔った勢いにまかせて無理矢理関係を結んだあの日から、まったく何も変わってない。相変わらず馬鹿で鈍感で、俺の気持ちなんかちっともわかっちゃくれない巧のままだ。
「お茶淹れっから取り皿もってこいよ、って今ティーパック切らしてるんだった……緑茶でいいか」
「巧、あのさ」
「コーヒーがいいか」
「須賀さんと何してたんだ」
インスタントコーヒーの瓶を戸棚からとった巧が固まる。靴を脱いで部屋に上がった俺は、残忍な衝動とやり場のない激情に駆られて告げる。
「告られたの」
「は?」
「告ったの」
動揺も露わに聞き返す巧に迫る。
「勘違いだよ。須賀さんとは別に、ただのバイト仲間で」
「好きだって知ってたのか」
「そりゃ優しくてよく気が付くイイ子だって思ってっけど」
「本当の気持ちは言わなきゃわからないんだろ」
だめだ、どうかしている。今の俺は歯止めが利かない、巧に酷いことをしたくてたまらない。辛うじて消え残る理性でケーキの紙箱をテーブルの端におき、巧の腕を掴んでベッドの方へ引っ張っていく。
「痛でっ……はなせよ爪、爪食い込んでる!」
怯んで喚く巧をベッドに投げ飛ばす。コイツは中肉中背で、高校時代にバスケをやってた俺より腕力が劣る。マットレスで背中を弾ます巧の上にのしかかり、吐息が絡む距離で囁く。
「浮気?」
ハリボテにひびが入る。
「あの子とデキてたのか」
お前はすっかり忘れてるだろうけど巧、今日は俺たちが付き合って半年目だ。半年目の記念日なんだ。
そんな特別な日にこともあろうに他の子と遊ぶだなんて、お仕置きされても文句言えないよな。
「ちげーよ、須賀さんはバイト仲間……」
「ただのバイト仲間と抱き合うんだ、スキンシップの激しい職場だね」
「ッ」
「ウチの更衣室は男女共用だから入る時はノックしろって言われた。クリスマスの時も着替えはずらしたよな。男と女が一緒に入る状況ってどんなだよ」
「だから話聞けよあれには深いわけが」
「いいわけはいらない」
巧をベッドに押し倒し、そばにあったТシャツで両腕を縛り上げる。
「洗濯物ちゃんと畳んどけ」
「なにして、」
「こんなとこにほっぽりだしとくから悪いんだ」
枕元にシャツがあった、巧の腕を縛り上げて身動きを封じるのにちょうどよいシャツが。とうぜん巧は抵抗するが腕力じゃかないっこない、
「ッざけんなフジマってめえ、とっととほどけよ頭突いて鼻血ださずぞ!無理矢理ヤられんのは一度でこりごりもーこりた、あんな痛てェのもーお断りだ!」
「たまにはいいだろSMごっこ」
本気で怒って嫌がる巧をベッドに張り付け、キスは省略して上着をめくり腹筋にキスをする。
「!っあ、ふぁ」
巧の弱いところは全部知っている、コイツ以上にくまなく知り尽くしている。
俺は巧を責める。敏感な腹筋を強弱付けて吸い立てて、丸く窄めた舌先でへそをほじくって、ぴちゃぴちゃ恥骨をなめまくる。
「ふじ、ま、そこッは」
「巧ってマゾっけあるよな。縛られて感じてるじゃないか」
じらすようにズボンに手をかけずりおろし、既に盛り上がりはじめた下着を揉みしだく。両手を縛られた巧は悔しげに歯軋りし、どうにか俺をどかそうと足を蹴り上げるが、マウントをとった状態じゃ殆ど意味がない。
「どけよフジマちゃんと説明すっから、っァ、ふッァあ、須賀さんはっ、んッあぁ、俺に」
巧の口から彼女の名前を聞きたくない。これ以上煽られたらもっともっと酷くしてしまうと痛感、片手で口を塞いで黙らせる。
「俺と寝てるって須賀さんに話したの」
「ん゛ーーーーーーーーーーーーっ!」
巧が悲痛に涙ぐんでもがく、必死に顔を振りたくって否定する。吐息の湿り気をてのひらに感じ、なんだか妙にぞくぞくする。
「巧も隅におけないな。バイト先の子に手を出すなんて」
「んッん゛っ、んむっ」
「クリスマスの時も仲良かったよね。ちゃんと覚えてる」
俺はずっと巧を目で追ってきたから、コイツが目移りする子のことはよく知っている。
「女の子泣かせちゃだめだろ。らしくないぞ」
コイツはとことん女の子に優しい。惚れた弱み以上の優しさが作用して、惚れてない子も突き放せない。
うっとり囁きかけながらも片手は休めず、巧のペニスをいじくり倒して先走りを塗り広げる。わざといい所は避けて寸止めにし、生殺しの苦しみを長引かせる。
「自分のシャツで縛られて、自分のベッドで犯られるってどんな気分だ」
「んっんぐ!?」
先走りにまみれた手を後ろに回し窄まりを圧する。ぐ、と力をこめれば先端がめりこんで巧が大きく仰け反る。
コイツには優しくしたかった。優しいセックスで愛したかった。
でも、駄目だ。
更衣室で目撃した光景が脳裏を席巻、巧にもたれる須賀さんと須賀さんを抱く巧が堂々巡りして胸が張り裂けそうになる。むかえになんていくんじゃなかった、出来心なんておこすんじゃなかった、ショートケーキなんて買うんじゃなかった、覗きなんてするんじゃなかった。
『ちゃんと言わなきゃわかんねーだろ、ホントの気持ちも聞かず諦めんな』
あんな声、ベッドの上だってめったに出してくれない。あの声を聞けるのはか弱い女の子の特権だ、あふれんばかりの庇護欲とひたむきな優しさに満ちた原石の響きだ。
ああ、とうとう俺以外の人間がコイツのよさに気付いてしまった。
「告白にしか見えなかった」
コイツの素晴らしさに気付いてしまった。
大事に大事に隠してきたのに、ずっと俺だけの物にしておきたかったのに、手の中で大事に磨いて愛おしんでいた輝きがこぼれていくのをどうすることもできなくて、俺はほぐすのもそこそこに巧の体内へ挿入する。
「ん――――――――――――――――――――!!」
巧の身体が大きく跳ね、背中をマットレスに叩き付ける。
汗みずくの髪の毛が張り付いた顔は苦痛と快楽に歪み、触れることすら許されないペニスは切なくそそりたっている。
「んっふ、ふっウぐ」
巧の目尻に生理的な涙がにじむ。それを見ないように目を細めて、でも巧の顔が見たくて狂いそうで抽送を繰り返す。
「あぅっ、あぁっんッ、ふぁっ、ぁあッんッは、フジマっ、や、痛ッあ」
「巧……ごめん」
好きでごめん。
好きになってごめん。
舞い上がっていた。有頂天だった。油断していた。あんな狡くて汚い手段でプライドを引き裂いておきながら、両想いになれたと能天気に信じ込んで疑いもせず、半年間もコイツの心を繋ぎ止めておけるとおめでたく自惚れていた。
「ごめん」
独りよがりな自分に吐き気がする。
本当はわかってた、こんなイイ奴が俺のものになるはずないって、そんな都合いい奇跡が起きるわけないってわかっていた。巧はダイヤの原石で、俺はコイツの内なる輝きに憧れていた。コイツは損得勘定ぬきで人に優しくできる、自分を落として誰かを立てた所でその輝きはくすむどころか増す一方で、コイツの全てがハリボテの俺には眩しすぎて
「ッは、ふじまっ、ふじま」
「お前のこと、だれにも譲りたくない」
コイツは本物の原石だから、いずれだれかが気付いてしまうと怯えていた。その日が永遠に来ない事を願っていた。
いざとられそうになったら
「巧……」
身体を繋げても独りよがりな虚しさに突っ伏せば、俺に組み敷かれた巧が、苦しげな息の隙間から掠れきった声をしぼりだす。
「おま、え、ばかだろ」
暴れたせいで拘束がゆるんだらしく、巧の腕からシャツが抜ける。
ぶん殴られると覚悟した。
酔った勢いで上がりこんだ時と合わせてレイプは二回目だ。
コイツに殴り殺されるならそれでもいい。
ふと頬を火照りが包み、盛大にあきれかえった巧の顔が眼前に迫る。
思いがけないことが起きた。
くちびる同士が重ね合わさり、かと思えば唇を割って不器用な舌がもぐりこむ。
俺の歯の裏側をまさぐって、頬の内側の粘膜をおっかなびっくり突付き、舌の表面をこそいで、たっぷりと唾液を含ませてから離れていく。
「誤解だって言ってんの……」
どうしてだろう、巧は怒ってない。今まさに縛られて犯されているのに、俺の馬鹿さ加減に同情したみたいな顔で口を開く。
「須賀さんは俺に相談してたの」
「相談?」
「恋愛相談」
ぽかんとする。
「人選間違ってないか」
「うるせえよ、相手が相手だから相談できるの俺っきゃいなかったんだ」
「誰だよ相手って」
「店長」
「矢部さん?」
わけがわからない。
巧はベッドに伸びきって、いかにもだるそうに言葉を紡ぐ。
「須賀さんさ、ずっとテンチョーに片想いしてたんだと。けどあの人バツイチじゃん、何年か前に奥さんと離婚して」
「知らないよ」
「あー……話してないかそっか。とにかくバツイチなんだよ、イマドキ珍しくもねーけど。で、須賀さんはテンチョーに惚れてんだけど告白すンの迷惑じゃねーかってずっと悩んでるわけ」
「どうして?離婚済みなら問題ないだろ、既婚者なら不倫だけど」
「テンチョーまだ指輪はめてんだ。前の奥さんに未練あるって事じゃん、それ」
紙箱を受け取る時、店長の左手薬指で輝いていた指輪を思い出す。
……読めてきたぞ。
「ケーキ屋ってケーキ作るとき指輪はずすじゃん」
「人によらないか」
「きちんと消毒してっから衛生面は心配ねーけど……俺はさ、別にそんな気にしねーでもって言ったんだ。単に外し忘れてるとか、指が太って抜けなくなっちまった可能性も十分あんだろ。でも須賀さんテンチョーにマジ惚れだからすげー気に病んで……クリスマスん時も告白しようと思って結局できなくって。んでさ、こないだ偶然ばったり見ちまったんだ、更衣室で泣いてるとこ」
「……ちゃんとノックした?」
「スルーされたんだよ!iPodで失恋ソング聞いるうちにゾーンに入っちまって、イヤホンのせいでわかんなかったとかで……更衣室でバイト仲間が泣いてんのほっとけねーし、事情聞いたらそーゆーワケで……色々アドバイスしてたんだ」
「友達は?」
「須賀さんのダチも恋愛経験少ねーらしくて、異性のアドバイスが欲しかったんだとさ。俺ならテンチョーとも割と親しいし、ビミョーな男心にかけちゃスペシャリストだし?」
「……さっきの会話は」
「勝手に勘違いしやがって」
沸々と煮え滾る怒りを深呼吸でおさえ、巧が盛大にネタバレする。
『店長のこと好きだって知ってるくせに……』
『ちゃんと言わなきゃわかんねーだろ、ホントの気持ちも聞かず諦めんな』
俺は一部を聞き漏らしていた。
須賀さんは巧に職場の上司への片想いを相談していた。
「事情はわかったけど、でも」
「まだ不満かよ」
「更衣室に2人っきりで、あんなに密着する必要あるか」
「他人事だとおもえなくって熱が入っちまったんだよ。もとはといや言いいだしっぺは俺だし」
「どーゆー意味だよ」
巧が赤くなってそっぽを向く。
「須賀さんが泣いてんの初めて見た時、テンチョーに片想いしてるって聞いて……うっかり言っちまったんだ。俺の知り合いにもその、似たよーな事で悩んでたヤツがいるって」
「…………」
「だもんで、力になれっかもしれねーって……じゃねえ、力になりたいって俺から言った。須賀さんは悪くねー、俺が先輩ぶってアドバイス押し売りしたんだ」
「その知り合いはどうした」
巧の顔を手挟み、至近距離でのぞきこむ。
やがて正面に向き直った巧は、恥ずかしさでどうにかなりそうな表情で俺を睨み据え、消え入りそうな声で断言する。
「今、付き合ってるって言った」
「…………」
ああ。
俺は馬鹿だ。
とんでもない大馬鹿野郎だ。
巧がわざわざ時間を割いてバイト仲間の相談にのってやっていた理由は、店長に恋する須賀さんが実らぬ片想いを燻らせていた頃の俺とかぶったからなのに。
「似てたからほっとけなかった。そんだけ」
巧は巧なりに責任を感じていた。
俺の片想いに気付かずにいた残酷な鈍さに、ずっと罪悪感めいたものをおぼえていたのに。
「……どんなアドバイスしたんだ」
尋ねる声がどんどん萎んでいく。
巧は俺と繋がったまま脱力したように目を閉じ、
「いろいろこじれてめんどくせーことになっちまったけど、そんなこんなでなんとかなった。そっちもきっとなんとかなるって」
「無責任だな」
「当たって砕けてみりゃ案外殻なんて破けるもんだ」
視界がぼんやり潤んで巧の顔が見えなくなる。放心状態の俺へと手をさしのべ、ベッドの上で優しく抱き寄せる巧。
そのぬくもりに甘え、俺は小さく詫びる。
「……誤解してた。ごめん」
「許さねーから」
「優しくする」
「やだね」
「すっごく気持ちよくする」
巧は俺を怒らない。苦笑いで許してくれる。巧が俺の髪の毛をくしゃりとかきまぜて導き、俺は巧を優しく寝かせてキスを降らす。
「ふッあ、ふぁもっいいって、じれってぇ」
カーテンを引いた部屋に二人の息遣いと衣擦れの音だけが響き、俺たちは互いの唇を貪りながら結ばれる。
無理矢理手に入れたものだから、ふとした弾みに失ってしまうんじゃないか不安だった。
ハリボテの俺にはもったいない原石だから、近くにいると目が潰れそうな位まぶしい奴だから、コイツの本当の価値を節穴じゃないだれかが見抜いたってちっともおかしくない。
でも俺は、俺以外のヤツが全人類等しく節穴であってくれと祈る。
「あッんっあ、そこっイっ気持ちい、ふじま、ふじまっ」
「可愛い巧、すごい可愛い」
俺の巧。大好きな巧。
「酷くしてごめん」
「ごめんごめんゆーな、萎える」
「じゃあ、好きだ」
「知ってるっての」
「好きだ。本当に。好きだよ」
「倍気持ちよくすりゃ許してやる」
シーツを掻き毟って不敵に笑う顔も俺に突き上げられて演じる痴態も悩ましい喘ぎ声も、巧の全部が好きで好きでたまらなくておかしくなりそうで、もうきっととっくにおかしくなっていて、尖った乳首を舌で含み転がし指で搾り立て、くねる腰に腰を打ち付けて精を吐きだせば、巧がとろけきって求めてくる。
「フジマ、もっと」
死んでもいい位幸せだ。
「いまあげるから巧」
ごめんと詫びる代わりにありったけの気持ちを詰め込んで、舌を絡めるキスをした。
「あ――――――――ひでー目にあった」
行為の余韻が冷めやらぬ中、ベッドに大の字に寝転んだ巧が素っ裸で嘆く。腰から下がギリギリ毛布に隠れたきわどい格好だ。
寝返りを打ってむくりと起き上がるや、俺が見たかったむくれ顔で文句をたれる。
「お前さ、そーゆーとこだぞ。思い込み激しすぎ。くだらねーやきもち焼くのも大概にしろって、マジで俺が浮気してるって思ったのか」
「まさか。信頼してたよ」
「うそこけやい、こっちは縛られ損だ」
「しっかり反応してたじゃないか」
「SMは萌えねーよ」
「ベタベタに甘やかされるのが好きだもんな」
憮然と胡坐をかく巧をよそに台所に立ち、百均の取り皿にケーキをよそい、切れてる紅茶の代わりにコーヒーをマグカップに注いで持っていく。
「どーぞ」
「スイーツでご機嫌とろうってか」
「それもあるけど……」
言おうかどうしようか束の間迷い、どうにかよそ見して誘惑に抗いきる。
「いいや。忘れて」
「もったいぶんなよ。店長への義理立てってのはフェイクでホントはなんかの記念日なわけ?」
「教えてやんない」
「はあ~~?」
この程度の意地悪は大目に見てほしい。脳天から抗議の声を発する巧にかまわず皿の一方を差し出せば、渋々受け取ってとりショートケーキを切り分けていく。
「今バラしちゃったら後で気付く楽しみがなくなるだろ」
お前と一緒なら毎日が記念日だ。
俺はそうありたいし、お前にもそうなってほしい。
今はまだ欲張りな望みでも、決して手が届かない願いとは思わないから。
「今回はブッダのような慈悲の心で許してやっけど次からほうれんそー徹底しろよ、むかえにくるときゃ必ずメールよこせ、こっちにも心の準備ってもんがあんだよ」
「ハイハイ」
「店のケーキ買ってくれんのは嬉しいけど、俺が売れ残りもらってきたら食いきれねーじゃん。したらもったいねーじゃん。そーゆー不幸なバッティング回避のためにもほうれんそーの基本はおさえて」
「巧」
「んだよ」
ケーキを一切れフォークに刺して口に運ぶ。
「須賀さんの恋、叶うといいね」
ベッドの端に腰かけてショートケーキを食べながら呟けば、隣で皿を持った巧が虚を衝かれ、愛おしさとしょうもなさが入り混じった苦笑いを浮かべる。
「……だな」
狭くて散らかったワンルーム、ベッドに仲良く並んでショートケーキを食べるひとときを心ゆくまで味わい尽くし、しみじみと俺は祈る。
コイツの輝きに照らされるなら、ハリボテだってかまわない。
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