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第8話
「疲れた、ギブ」
ガンプラ制作が一段落つく。
テーブルの上では八割がた完成したザクが赤い複眼で睥睨し、特徴的なずんぐり丸っこいフォルムに機関銃を背負い今すぐにでも出撃できそうな勇壮なポーズで仁王立つ。
荒削りで塗りも雑だが、まったくの素人が見よう見まねで作ったんなら十分合格点だ。
真っ当な人間は会社か学校へ出払う平日の日中、ゲーマーだこができるまでひたすらコントローラー連打の経験値上げに飽いて暇をもてあました小金井はガンプラ作りに初挑戦し、モデラーナイフの使い方やパーツの切り離し方など基礎中の基礎をぼくに教わり、自分の手でいちから組み上げたザクをいじくりまわす。
「小金井さん手先器用だから結構いいかんじですね」
「なんでザク?もっとかっこいいのがいい」
「初心者は量産型ザクから入るのが常識です。シャア専用なんて十年早い」
時計を見る。
「今日はこのへんにしときますか、お昼の時間だし」
テーブルに散らばった削り屑をゴミ箱に捨て、パーツを一箇所に集めてどけてから台所へ行き、戸棚をひっかきまわし大量に買い込んだカップラーメンを選ぶ。
「豚骨とみそ醤油どっちにしますか?ぼくはチキンラーメンで……」
「またカップラーメン?いい加減飽きた」
「わがまま言わないでください居候の分際で」
カップラーメンを両腕に抱いて居間に戻れば、踵を合わせ跳ね起きた小金井が、親指を下に向けブーイングをとばす。
「せめてチキンラーメンに卵おとしてよ」
「卵ありませんので」
注文の多い居候だ。
ポットを引き寄せ昼食の準備を始めたぼくの前を横切り台所へひとっ走り、ひとんちの冷蔵庫を覗いて叫ぶ。
「からっぽじゃん」
ヒモとの奇妙な共同生活が始まって二週間が経つ。
小金井は相変わらず免許証を返してくれず出てくつもりもないようだ。
その事で問い詰めても能天気な笑みと掴みどころない言動ではぐらかされるのがオチで、最近はほとんど諦めている。
小金井には一日も早く出てってもらって平和な生活を取り戻したいのが本音だが、一方で妥協の延長線上の停滞した日常に馴染んでしまったのも事実。
慣れとは怖いもので、人見知り激しく対人恐怖症の気があるぼくも二週間一つ屋根の下で暮らすうちに小金井に対し免疫ができてしまった。
人付き合いは苦手のはずだった。
人との接し方がわからなかった。
人としゃべるのは億劫で気鬱だった。
でも小金井とは普通に話せる。今では殆ど噛まなくなった。
不本意だが、小金井には人の頑なな心を解きほぐす計り知れない魅力があると認めざるえないだろう。
図々しさと紙一重の人懐こさがマイナスからプラスに転じるのは、悪ガキの面影を残す快活な笑顔のおかげか奔放な言動に拠るものか判断はおく。
「ずーっとカップラーメンだと栄養偏るよ?東ちゃん、料理作れないの」
「作れません」
断言。
「閃いた!」
軽快に指を弾き、ポットを引き寄せ給湯ボタンを押そうとしたぼくに待ったをかける。
「ガンプラ作り教えてもらったお礼に今日は俺が作るよ!」
「小金井さんがですか」
「何その不安げな顔。家事と料理はヒモの必須技能だよ、心配しなさんな。そうと決まれば早速買出しにいこ」
露骨に不安げなぼくをよそに小金井は自分の提案に大乗り気、嬉々として玄関に直行しスニーカーを突っかける。
「東ちゃんも早く!」
「え、は、ぼくもですか!?」
湯を注ぎかけたどんぶりを一旦テーブルにおき、にこやかに手招きする小金井とカーテン引いた窓とを忙しく見比べる。
「だって今昼、日が高いし外晴れて人たくさんいる歩いてるのに……いやですよ外なんか出ませんから、昼間っからおもて出たりなんかしたら溶けちゃいます、昼間はひきこもりニートの活動時間外なんです、世間の皆さんが一生懸命働いてる時間にふらふら出歩いたりしたら紫外線と憎悪を浴びます!!」
「だいじょぶだって、みんな気にしないよ。えーっと、近くにスーパーあったっけ?じゃあそっちいこ、コンビニあんま野菜おいてねーし……俺がテキトーに見繕ってもいいけど東ちゃんが実際見て選んだほうがいいよ、スーパーながしながらメニュー決めよ」
「むりむりむり絶対むり、スーパーなんて広いし明るいし人いっぱいだし!?コンビニだって無理してるのにスーパーなんて絶対むりハードル高すぎですッ、あのカゴに轢かれたらどうするんですか、スーパーの床ってワックスきいてよく滑るからシャーッと来ますよモンスターワゴンが!!」
「モンスターワゴンってキラーコンドームの仲間っぽい」
真昼の外出なんて無理だ不可能だハードルが高すぎる、徒歩五分のコンビニに出かけるのだって苦行なのに開放的に広く清潔に明るく商品と人で一杯のスーパーなんかにぼくみたいな場違いなのが行ったら買い物中の主婦のご迷惑になる!!
自己嫌悪と劣等感とが膨れ上がり濁流の如く嫌な汗が噴き出す。
埃っぽく空気がよどんだアパートの部屋から一歩踏み出すのには多大な勇気と決断力がいる。
漫画アニメゲームが乱雑に散らかって布団は敷きっぱなし、北向きで居心地いい部屋から出る事を意固地に拒否すれば、スニーカーを脱いで再び上がりこんだ小金井がずかずか突き進む。
「ひっ!」
殴られる。
拳を防ごうと咄嗟に腕を掲げ交差させるも、予期した衝撃は訪れず、慎重に薄目を開ける。
目の前に小金井がいた。
「……なにしてるんですか?」
「握手」
アニメ漫画ゲームラノベが散らかって足の踏み場もない部屋のど真ん中、小金井がぼくと握手し、唄うような抑揚でまじないをかける。
「怖くない、怖くない。俺がいるから」
俺がいるから。
口元をむず痒く引き結び、頬にさした赤みを悟られないよう俯く。
不意打ちはずるい。
小金井はこうやって、ぼくの心の隙間にするりとすべりこんでくる。
反論するいとまを与えず、抗議する口さえ快活な笑顔でやんわり封じ、繋いだ手から流しこむぬくもりでたちまち懐柔してしまう。
視線の高さを合わせ優しく笑い、危害を加えぬと約束するようにそっと手をとり。
いつかの野良猫を手懐けるのと同じ方法でぼくを大人しくさせる。
「……―っ、わかりましたよ。行きますよ、行けばいいんでしょ。お日様浴びて溶けたってしりませんから」
なかばヤケ気味に小金井の手を振りほどくも照れ隠しは否めない。
ぼくの返事を聞くや小金井は白い歯を見せ指を弾く。
「そうこなくっちゃ」
開放的に広く清潔に明るく、主婦を中心とした買い物客でごった返すスーパーを徘徊する。
「そこのかっこいいお兄さん、ひとつどう?」
「ん、美味。東ちゃんもどう?いけるよ」
それどころじゃない。
異性のもとを渡り歩いて鍛え抜いた社交性を発揮し試食コーナーのおばさんと談笑する小金井に遅れ、ぼくは早くも後悔し始めていた。
ぼくだって馬鹿じゃない、自分が他人の目にどう映るかくらい想像できる。
染めたことない前髪を目が隠れるほど野暮ったく伸ばし、分厚い眼鏡をかけ、俯きがちにせこせこ歩く自分の姿がどれほど珍妙に映るかくらいわかってる。
針のむしろに座らされてる気がした。
すれちがう主婦が不審な目でぼくを追うのはきっと気のせいじゃない、被害妄想なんかじゃない。
一方小金井は人目など意に介さず堂々としてる。
試食コーナーではパートのおばさんに世辞を使い生ハムの薄切りをつまみ、通路の外周にそって散策でもするかのような呑気さで店内をぶらぶら流し、生鮮食品売り場では発砲スチロール容器に封入された肉と睨めっこしプロの鑑定人さながらてきぱき選り分けカゴに放り込んでいく。
「東ちゃん、なんか食いたいもんある?リクエスト応じるけど」
「こ、こが小金井さん、早く帰りましょう」
「ナスが安いから麻婆豆腐にしよっかな。ナポリタンとどっちがいい?」
「メニューなんてどうでもいいから早く帰りましょうよ!」
「どうでもいいってのが一番迷うんだよね」
ぶん殴りたい。
これ以上晒し者になるのは耐え難い、苦痛以外のなにものでもない。
結論から言うと容姿のよさがプラスに働く小金井は目立つ。
小金井と一緒に行動するぼくも不可避で目立ってしまう。
「ナスにミートソース和えると美味いよね。ナスミート。パスタと絡めてフォークに巻いていっちょあがり」
独り言とも鼻歌ともつかぬ呑気な台詞が右耳から左耳へ抜けていく。
ミートソースの缶をためつすがめつひねくりまわしカゴに放り込む小金井を子ガモのようにちんたら追いつつ、健全な照明に全身消毒され人目に晒される所在なさにもぞつく。
かたやピアスやドッグプレートをぶらさげ髪を茶色く染めたイマドキの若者、かたや染めた形跡のない黒髪の地味で垢抜けない男。
外見上接点のない二人組が空回りな漫才をくりひろげつつカゴを引く姿を、行き交う買い物客が通りすぎるついでに一瞥していく。
小金井が陽ならぼくは陰、光が強いところでは影も一際濃い。
小金井が陽気に振る舞えば振る舞うほど、なにかとぼくをかえりみてしゃべりかければかけるほど、対照的な男二人連れを苛む注目が痛くて消え入りたい強迫観念に拍車がかかる。
ルックスのいい小金井と並んで歩けば引き立て役のポジションを思い知らされるのは不可抗力で、おそらくは親切心から外出に誘ってくれた相手に対し引け目を感じるとことん卑屈な自分がいやになる。
居心地悪く俯けば、健全に照る床に野暮ったく前髪をのばした顔が映りこむ。
いまどき流行らない厚底レンズの眼鏡をかけた風采の上がらぬ男が、身の丈に合わぬ服を着せられた迷子のような不安顔でじっと見返してきて、場違いな自分をひしひし痛感する。
帰りたい。
ぼくはここにいちゃいけない。
スーパーは開放的に広く、丁寧にワックスをかけた床は鏡張りの光沢を放ち、陳列棚を等間隔にめぐらした通路は整然として、どこもかしこも和やかに談笑する主婦と元気に走り回る子供たちであふれている。
今しも前から走ってきた男の子とぶつかる。
「あ」
男の子に弾かれよろめき陳列棚と衝突、缶詰の山の一角が盛大になだれをおこす。
金属で出来た缶詰が床を乱れ打つ騒々しさに血の気がひく。
即座にしゃがみこみ床を手探り缶詰の回収にもたもたとりかかる。
小金井は先に行ってしまった。
おそらく悪気はないのだろう、ぼくの足が遅く自然と距離が空いてしまったのに買い物に夢中で気付かなかったのだ。
おいてけぼりにされた心細さが孤立感に累積し、早く追いつかなきゃという焦慮で缶詰を掴んだ手が滑る。
一個一個缶詰を拾い几帳面に並べなおし、すぐまた床に這い陳列棚の下に転がり込んだ残りの分を掻き出そうとぎりぎりまで手をのばすも運動不足の体の固さ故に腕が攣り、顔を充血させたぼくを見かね「あとはやりますから」と店員がやってくる。
耳朶に血が上る。
苦笑とも失笑ともつかぬものを浮かべとりなす店員に頭を下げレジへ向かえば、会計を終えた小金井があっけらかんと言う。
「あ、ちょうどよかった。東ちゃん、俺がカゴもってくからお釣りもらっといて」
「え」
「496円のお返しになります」
完璧な接客スマイルで歯切れ良く言い、ぼくの手を包むようにして硬貨を渡す。
「ど、どうも」
指の先が接触し、反射的に手がひっこむ。
一瞬の出来事だった。
小銭が床一面にばら撒かれる。
騒々しい金属音に何事かと客が一斉に振り向く。
放射線状に床を滑走し瞬くまに散逸した軌跡を追いその場にしゃがみこみ、周章狼狽あっちへこっちへ手を移動させ小銭を拾い集めるぼくの鈍くささに客が舌打ち、袋詰め中の主婦が同情混じりの視線をむける。
顔が熱を帯びる。理性が蒸発していく。
まともに物を考えられず、涙腺が開いて涙が滲む。
無秩序に散らばった小銭を一枚一枚小刻みに震える指先で摘む。
『あははっ、転んじゃった!』
『カワイソー背中に靴跡ついちゃってる』
『山田、お前の上履ききったねえなあ。おまけに臭えし』
『半年醸成した上履きだ。匂いだけで人が殺せるぞ』
「勘弁してよ」
「急いでるのに」
目、目、目、数え切れない目。
四つんばいになったぼくをジャマっけに避けていく客陰口を叩く客母親と手を繋いだ女の子がこっちを指さし「ねえなんであのおにいちゃん座ってるの」と無邪気に聞く、緊張と動揺と失敗しちゃいけないプレッシャーで指が震え手のひらがぬかるみせっかく拾い上げた小銭をまた落とす悪循環の醜態をさらし思考停止状態パニックを来たし頭が真っ白にフラッシュバックが炸裂
『土下座しろよ』
男子女子とりまぜたクラスメイトの嘲笑が現実の失笑と被って耳に突き刺さる。
『うわ、コイツほんとに土下座したよ!』
『マジ引くわー』
『こんな安物のために本気で土下座なんて頭おっかしいんじゃねえの』
「あーあ、やっちゃった」
ぼくを迂回し流れていく客に逆行し、袋を両手に括った小金井が大股にやってきて屈みこみ、小銭拾いを手伝いがてら相変わらずなにも考えてないような気楽な笑顔でフォローする。
「ドンマイ。俺もよくやる……」
「だから来たくなかったんだ!!」
突然の怒鳴り声に客が袋詰めの手をとめる。
ぼくを指さし不思議そうに眺めていた女の子がびっくりして号泣しだす。
畜生、泣きたいのはこっちだよ。
怒りに任せ腕を振りぬき、苦労してかき集めた硬貨を床に叩き付ける。
「来たくないっていったのに」
出たくないっていったのに
「あんたがむりやり」
いやだったのに、最初から出たくなかったのに、場違いだって、迷惑かけるってわかって拒んだのに。
ヒモの口車に乗せられのこのこスーパーに来た自分の間抜けさを呪い、猛然と身を翻す。
「東ちゃん!?」
スニーカーの靴底で床を蹴り、自動ドアから表にとびだす。
入店した客がすれ違い際驚きこっちを見るがかまいやしない。
小金井の声に鞭打たれ駐車場を突っ切り、足攣れさせ線路沿いの道を引き返す。
「はあっ、はあっ、はっ」
頭と体が沸騰する。
目を瞑ればレジの前に這い蹲った自分の情けないかっことそれを笑う客の顔が浮かび、ぼくを取り囲む客の顔が歪み、顔の下半分に切り込みのような嘲笑を刻むクラスメイトの虚像に変化していく。
振り切れぬものを振り切ろうとしてひたすら走る、必死に駆ける。
走れども走れども笑い声は追ってきて、漫画アニメゲームラノベに囲まれ運動と無縁の生活を送ってきたぼくは体力なんてさらさらなくて、全力疾走のツケで息は切れ動悸は乱れ血が沸騰し、発熱と発汗で全身が茹だり、ぼろくなった靴底みたくぱくぱく収縮する肺は酸欠で苦しくて、ああだから言ったのに、外なんか出たくなかったのに、人目を避けて地味に平和に暮らせればそれで十分なのに、友達が欲しいとか高望みしないのに……寂しいくらい我慢する、一人は慣れた、一人は気楽だ、一人のほうが断然いい。
だからもう放っといてくれそっとしといてくれ、八王子の片隅でささやかに暮らすぼくの日常をひっかきまわさないでくれ!!
沿線を走りに走って見慣れたアパートに到着、鉄製の階段を一気に駆け上がる。
二階の廊下で隣の主婦と大家が立ち話していた。
「あら、こんにちは」
「珍しいわね、八王子くんが表出てくるなんて」
隣人がにこやかに挨拶し大家が胡散臭げな顔をするも、全力疾走で息を切らしたぼくに対応の余裕はなく、カンカンカンと荒っぽく廊下を蹴ってふたりの前を素通りする。
「なあにあれ、感じ悪い。これだから最近の若い子は」と聞こえよがしの悪態を吐く大家を隣の奥さんが「まあまあ」と宥める。
帰ってきた。
住み慣れた部屋のドアが見えてきて自然と笑みが浮かぶも、ドアを塞ぐ背広姿の男に気付き、安堵の念が消し飛ぶ。
見た目は二十代後半。
高価な背広に合わせ磨きぬいた靴は艶々と光沢を放ち、相対すスニーカーを一層みすぼらしく見せる。
高圧的な目で検分され、息せき切ってドアに駆け寄った足が極端に鈍る。
頭のてっぺんからボロ靴の先まで視線でなめ、苦りきって吐き捨てる。
「……相変わらずだな、お前は」
男の名は八王子北斗。
「………兄さん」
ぼくの兄さんだ。
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