17 / 34
第17話
八年ぶりに鍋を食べた。
「うへえ」
ちゃんと歯を磨いたのにまだ口が甘い。
それもこれも小金井のせいだ。鍋に板チョコをぶちこむなんて無茶だ、旺盛すぎて傍迷惑なチャレンジ精神を発揮しないでほしい。
調子に乗ったヒモが無礼講と称しシュークリームやポッキーをどぼどぼぶちこんだせいで鍋は見るも酸鼻なおどろおどろしいカオスと化した。
魔女が謎の呪文を唱えグツグツ煮込みかき混ぜる釜の中身を連想させる惨状にどん引きするぼくをよそに小金井は浮かれはしゃぎ「遠慮せずどんどん食べて東ちゃん、ほんの気持ち」と勝手にぼくが食べる分を器に盛り付けていた。あんなドロドロした気持ちはいらない、慎んで返上する。
一ヶ月と一週間記念の晩餐は闇鍋だった。
公園で盗み聞きしていたから正直特に驚きもなかったが、小金井が好意から立ち上げたドッキリ企画をむげにするのも心苦しかったので、せいぜい喜ぶ演技をしてやった。小金井の乗りにはしゃいだふりをするのは大変だった。しかし本当の地獄はここからだ。
小金井がどっちゃり買い込んだ材料といえば長ネギや鳥のすり身団子カニかまぼこ魚肉ソーセージの無難な線から、上に挙げた板チョコシュークリームポッキーなど菓子類の多岐におよび、個々で分けて食えば美味しいそれぞれを一緒にぶち込むことで化学反応がおきて、鍋は一口が致死量となる地獄の釜と化した。それでもおもに小金井がひとりでたいらげた。食べ物を粗末にしたらばちがあたるという信条があるみたいで、早々に口を押さえギブアップしたぼくをよそに、小金井は「ん、まあまあイケる」とチョコレートベースのだしを小皿で啜っていた……舌がどうかしてるんじゃないか?
思い出して気分が悪くなってきた。
無意識に口を押さえ身を丸める。吐き気と戦うぼくの隣で、惨事を演出した張本人は豪快ないびきをかいてる。小金井はめちゃくちゃ寝つきがいい。寝相悪く毛布を蹴って爆睡する小金井の寝顔を見ていると、自分のデリケートさがばかばかしくなってくる。
小金井と同居を始めて一ヶ月目と一週間目。
襖ごしの対話から一夜明けて、ぼくは小金井と同じ布団で寝るようになった。
『そんな暗くて狭いとこに閉じこもってないでこっちで寝よ。前も言ったけどここ東ちゃんの部屋なんだから、あるじが狭苦しい押入れにこもりっきりで居候がど真ん中占領して爆睡っておかしいよね?』
『……敷金も家賃も親持ちですけど』
そう言って小金井がさしのべた手を、これも変わるために必要な第一歩だと妥協し、不承不承とる。 押入れからの脱出に成功したものの、いまだ一枚の布団を共有するのは抵抗がある。
『小金井さんはいいですか?』
『いいって、なにが?』
『同じ布団ですよ?一緒に寝るんですよ?いやじゃないですか、くっついて寝るの』
緊張しまくり噛みまくり、腕を引っ張る小金井に激しく首振り同衾を拒否するも、ヒモはへらっと笑って言う。
『いんや別に。施設じゃ二段ベッド分けて使ってたけど、たまに一時預かりのガキが増えたり部屋割の関係で一緒に寝る事あったし全然抵抗ねー。つか、歴代元カノともフツーに同じベッド使ってたし……冬なんか暖房いらなくていいよ、お互いの体であっためあうの。あれ、東ちゃん真っ赤。想像しちゃったんだ?』
赤面するぼくを至近距離から覗き込み、小金井がからかう。
『男同士だし恥ずかしがることねーよ、俺もダチに泊めてもらった日はザコ寝だし……それとも何、寝言聞かれんの心配してんの?大丈夫だって、俺一度寝たら起きない体質だし東ちゃんがおねしょした年齢とか恥ずかしい秘密口走っても知らん知らん』
『恥ずかしい秘密なんて口走りませんよ、見損なわないでください!せいぜいキュアレモネードへの愛と量産型ザクとシャア専用ザクの差異についての考察くらいです』
『それは恥ずかしくないんだ……』
売り言葉に買い言葉。気付けば小金井の巧みな口車に乗せられ同衾を承諾していた。
さすがヒモ、口先が達者だ。
小金井なら結婚詐欺をやらせても成功するかもしれない……って、犯罪だし。
迷走する脳内思考に突っ込みをいれるも、以前のぼくならどんなにせがまれたところで他人と一枚の布団で寝るなんて考えられなかった。
小金井と出会って、一つ屋根の下で暮らし始めて、ぼくの内面も着実に変化しつつある。なにより驚いた事に、息遣いと衣擦れが生々しく伝わる距離に他人が寝ているのに、肝心のぼくがちっとも不快感を感じてないのだ。
恐怖心はある。
警戒心も若干。
けれども生理的嫌悪は限りなく薄まって、反対に、小金井がすぐ隣に寝ている現実に安心感さえ覚え始めている。
怖い夢を見たらすぐ手が届く距離に小金井がいる。
『俺、東ちゃんが大好きです』
あの台詞に特別な意味なんかこもっちゃない、他愛ない台詞だ。
小金井はいつだって軽いのりでぼくをからかう、それとおなじだ。
そう言い聞かせ平常心を保ち寝よう寝ようと努めるも、瞼は全然重くならず目はかえって冴えきって、隣に横たわる小金井を大いに意識してしまう。
公園で兄さんとの会話を盗み聞いた。
ぼくを語る小金井の声はとても優しくて、まるで友達の自慢をしてるみたいで、こっちの方がこそばゆかった。
ベンチに座る小金井の声が、表情が、忘れられない。
どうしてしまったんだろうぼくは。ひとに好きって言われたのは生まれて初めてで、家族以外の人間に褒められた経験あんまり……というか、めったになくて、だから必要以上にあとひいてまごついてるのだろうか。
『じゃーん!』
『小金井さんどうしたんですか、それ。すごい荷物ですけど』
『居候一ヶ月と一週間目を祝して闇鍋パーティー!』
小金井と食べた鍋はまずかった。
まずかったけど多分、一生忘れられない味になるだろう。
鍋を食べるのは八年ぶりだ。八年前、ひとりぼっちで部屋にこもってた時は、毎日ラップをかけられた冷えたご飯を食べていた。そもそも鍋は大人数でつつくのが醍醐味でひきこもりには縁のない料理だ。実家を出て一人暮らしをはじめてからはカップラーメンや電子でチンの冷凍食品のお世話になりっぱなしで、やっぱり鍋を食べる機会はなかった。ちなみにぼくはコンビニ弁当を買わない。店員さんに「温めますか?」と聞かれたら「いいえ」にしろ「はい」にしろちゃんと対応する自信がないからだ。
八年ぶりに食べた鍋は一生残る思い出になった。
たぶんきっと、小金井と食べたから
『東ちゃんも食べてみなよ勇気だして、ショコラフォンデュだとおもえばいけるって余裕で』
『食事でんな勇気だしたくありません』
小金井がいたから
「…………だから、なんだよ?」
頬を中心に発した熱が首筋まで広がっていく。
独り言を呟き、ふてくされ寝返りを打つ。
小金井に背中を向ける。規則正しい寝息を背中で聞く。
鼓動がどんどん速くなる。毛布に包まり目を瞑り眠気の訪れを待つもだめで、全然眠くならなくて、小金井がすぐそこにいるそばにいる寝返り打てば肘がぶつかりあう距離に、そう思うだけでどんどんどんどん胸が高鳴って喉から飛び出そうで頬が熱く赤く染まる。
大好きって言われたくらいで動揺して。
人と接触した経験がなくて、八年間ブランクがあって、免疫も耐性もなくて、だからただ背中合わせに寝転がってるだけでどきどきするんだろうか。男同士なのに……
電気を消した暗い部屋。
壁の棚や机にずらりならぶプラモやフィギュアも闇に沈む。
布団のまわりにはゲーム機のコントローラーや漫画やラノベが散らかり放題で腐海の様相を呈す。闇を縫って伝ってくる電車の音、断続的な振動、線路を通過する電車の規則正しいリズム……
夜ってこんなに長かったっけ。
体感する時間が何倍にも引き延ばされたようだ。
押入れの中に戻りたいと切に願う。押入れならきっとぐっすり眠れる、つらつら思い悩まずにすむ。
狭苦しく寝苦しくて寝返りのたび頭や肘をぶつけこぶやあざを作る押入れが懐かしい。
ああ、ドラえもんになりたい。
その時だ、小金井がいきなり押しかぶさってきたのは。
「ひっ!?」
突如として柔らかく熱く重いものが押しかぶさってきて、ぼくの腕を掴みむりやり正面に向ける。
喉がひゅっと鳴る。
こみ上げた悲鳴を辛うじて飲み下し、噛み締めた歯の間から鋭く呼気を吐く。
何、なんだ突然、どうしたんだ?
咄嗟に枕元を手探り近くにおいたはずの眼鏡をもとめるも見付からずますますパニックが加速、押しのけるのが遅れる。
視界が歪む。視軸が歪む。ぼくはド近眼で眼鏡がなきゃ何も見えない、輪郭とおぼろな目鼻立ちしかわからない。だけどだからこそ生々しい息遣いをリアルに感じひそやかでしめやかな衣擦れの音が耳朶をくすぐり触れた場所から伝わる体温が腰の芯を疼かせる。
「な、ななななっななん、い、やめ、は、へ……!?」
助けてドラえもん。
困った時のドラえもん頼みとはよくいったもので今のぼくにはのび太の気持ちがよくわかるというか子供の頃からのび太くんに似てると言われてきたどそれは今どうでもよくて、今考えなきゃいけないのはなんで小金井が上に乗っかってるのかって一点で、とりあえずどかさなきゃこの体勢は密着過ぎてまずいもろに吐息が
「寝ぼけてるんですか小金井さん、やめ、どい」
「て」と発するより早く、小金井の手がシャツの裾を捲り、中へともぐりこむ。
「っひゃ!?」
色気のない悲鳴を放つ。汗ばむ手が素肌に触れ粟立つ。小金井の顔……闇の中よく見えない眼鏡がないから距離感掴めず不安が募る、本気になればどかせる、でも動けない、金縛りにあったように竦み硬直して体が言うこと聞かない。
「-んっ……」
敏感な脇腹をまさぐられ、鼻から細く息が抜ける。
「こがねいさ……」
「サチコ……乳……しぼんだ?」
「え?」
だれ。
まさか。この展開は。昔の彼女とぼくを、寝ぼけて間違えてるのだろう……か?
「FカップからAAカップに……」
脇腹をやわやわまさぐっていた手が胸板に移動し、ない膨らみを揉むように五指を折り曲げる。
小金井が怪訝そうに首を傾げる。
「脂肪がしぼんだ………プッ」
オヤジギャグかよ。
「ストップ小金井さ、ぼくはあんたの元カノでもないし女でもなー……ッ!?」
続きは言わせてもらえない。
しっとり汗ばんだ小金井の手がひたり肌に吸いつく感覚に自然と声が上ずる。
貧弱に薄い胸で手のひらが円を描く。小金井が騎乗の体重をかけてくる。圧迫感、恐怖感。
「ぅあ……やめ、そこ……は、……ッ、く」
媚びるような堪えるような声が、噛み締めた唇から漏れる。
小金井の、手。骨ばった男の手。器用そうな長い指で仕掛けられた悪戯な愛撫は驚くほどたくみで、居候初日の夜這い未遂の記憶がまざまざよみがえって、だけどあの時と違って今の小金井は無意識で……ぼくを元カノと勘違いしていやらしいまねをしてるだけ、本人に悪気はない、じきに飽きてやめるか目が覚めて正気にもどる、だから……
「!んっ」
唇が首筋を這う。じゃれつくような接吻。
小金井がぼくの首筋に顔を埋め、軽くついばみ、汗を味見する。
『涙飲ませてくんない?』
不実な笑顔と悪戯っぽくしたたかな声が耳の中に響く。眼球に触れた舌の感触、睫毛をはむ唇の感触、くすぐったくむずがゆい一種の性感にも似て淫靡な……
息が、どんどん上擦っていく。
じかに触られた体がやるせなく火照りだす。
伏せた背中に伝わる断続的な振動、鼓膜をかすかに震わす電車の音、夢と現実の境がどんどんぼやけていく。小金井の動きが速く激しくなる。首筋をねぶる唇が劣情の熱を帯び、欲望が発露し、片手をぼくの腰へと回し抱き寄せる。
「っ、勘違い……こがねいさんいい加減おきてください、ほんと追い出しますから……」
小金井の顔を両手で掴み半泣きでひっぺがそうと頑張るもむだ、ヒモの手が意地悪く巧妙に動き、腰から内腿へと移る。
緩やかに内腿をさすられぞくりと性感が芽生える。
他人にさらわれたことはおろか自分でもさわったことない場所をおそろしく淫靡な手つきで撫で上げられ、全身から力が抜けていく。
「……は……」
引き剥がそうと肩を掴んだ手がずりおち、辛うじて服にひっかかる。
小金井に縋り付いた体勢から弱々しく首を振る。かすかに首振り消極的に中断を訴えることしかできない、非力で無力で臆病な自分がとことん情けない。
体が熱い。
内側も、外側も。
体の中から淡く官能の震えが広がって、やがてそれが性感に結び付く。
涙で潤んだ目を上げ、至近に迫った顔に凝視を注ぐ。
闇になれた目がおぼろに捉えた小金井の顔。
至近距離でじっくり見ると意外と睫毛が長い。
美形と一言で表現するのは簡単だけど、どんなに頑張っても二枚目半がせいぜいなのはどことなくだらしなくゆるんだ目元とにやけた口元のせいだろうか。
「髪……さらさらだ」
ぼくの髪をすくい、手の間をすり抜ける感触をうっとり楽しむ。
髪には性感帯も神経もないはずなのに、小金井にもてあそばれ余裕をなくす。
「………っ、はなし……はなしてください、ふざけないで……髪、は、やめてください……」
「感じる?」
「感じませんてば!」
いつかとおなじ応酬。やっぱり寝ぼけてるのだろうか。
感情も露に怒鳴るぼくをよそに、髪で遊ぶのに飽きた小金井が、突如として髪に顔を埋め匂いを嗅ぐ。
熱く湿った息遣いを直接頭皮に感じ、悪寒とも快感ともつかぬ震えが、ぞくりぞくり脳天から爪先へ波打ち走り抜ける。
唇が帯びた熱で、吐息で、愛撫で。
全身の皮膚が性感帯へと造り換えられていく。
「いやだ……」
肌と服が擦れ合う感触さえ悩ましくじれったい。
小金井が深く呼吸して髪の匂いをむさぼる。
「……シャンプーかえた?いい匂い……フローラル」
外人?
フローラよりビアンカのがタイプだ。
「……髪、食べないでください……美味しくないから」
「食べてない。嗅いでるだけ。すーっはーっ」
「馬鹿じゃないですか……」
本当に馬鹿だこの男。手に負えない。
出てけよ布団から、アパートから。
弱々しく憎まれ口を叩く。もう虚勢を張る元気もない。本気で暴れればどかせる、でもそうしたら起こしてしまう、その後のことを考えるとすごく気まずい。
小金井の手がぼくの服の裾を大胆にめくり上げり、慣れた動作で再び腰に回る。
何十回何百回と女を抱きなれた動作にみだらがましい妄想がふくらむ。
「ぅあ、っく、も、むり……」
怖い気持ち悪い膨らむ嫌悪を押しのけ蹴散らし煽り煽られ燃え上がる羞恥心、恥ずかしい恥ずかしいなんでこんな脱がされて服はだけて、気持ち悪い人肌のぬくもり気持ち悪いはずなのにどうしてこんな湿った声でるのか自分でもわからない。
接触と同時に覚悟していたフラッシュバックが瞼の裏にちらつくも、性感帯を知り尽くし巧みに踊る指がすぐそれを蹴散らして、じき翻弄され雑念が介入する余地がなくなる。
小金井の吐息が髪を湿らせ頭皮をくすぐり、腰をなぞる手が脊椎の突起をひとつひとつ辿りだすや、自分の体におきた偽りがたい変化におののく。
勃っ、
「………はっ?」」
ズボンの股間が固くなる。
そんなばかな、嘘だ。三次元の、生身の、しかも男にあちこちいじくられて……
小金井はいい加減気付いてもよさそうなものなのによっぽど溜まってたのか抜きたいのかぼくを完全に元カノと勘違いして、体にさわればあるもんないしないもんあるしで性別ばれそうなものなのに全然で……
拒む暇がなかった。
拒もうという意志さえ働かなかった。
「優しくするから」
視線が絡んで。
吐息の湿り気を顔に感じて。
だって、小金井がそう言って笑うから。
「!?んぶ、」
唇に被さる唇。熱く柔らかな粘膜で口を封じられ抗議の声がこもる。咄嗟に首を振りもぎはなそうとすればはずみで前歯がぶつかりあう、けれども小金井はキスをやめない、両手を強く掴み縫いとめ強引に唇を奪う、行為の激しさに前髪がばらつく。
唇をこじ開けもぐりこむ舌、ぬめる口腔を暴き貪り這い回る、口の中舌の裏に性感帯が隠れてたなんて知らなかったチャットの誰もタートル仙人さんもハルイチさんもまりろんちゃんも教えてくれなくて予備知識も心構えもできなくて動揺と醜態を晒す、唾液をこねる卑猥な音が耳につき頬が燃え立つ、小金井がぼくの舌を吸う、はむ、むりやり絡めとる。唾液に溺れ息ができず苦しい、小金井の肩を懸命に叩き懇願する、だけど小金井は行為に夢中で聞き入れてくれなくて解放されたいなら必死に応じるしかなくて、最初はおずおずぎこちなく、口の中を蹂躙する軟体の不快感を我慢して自分の方から絡めにいく。
「はあっ、んく、ぁふ」
小金井と二人分混じりあう唾液で顔がべとつく。体の芯が疼く。
怖い気持ち悪い気持ち悪いで占領された頭が朦朧とぼやけて脳内麻薬が分泌され次第に気持ちよくなって、体がふわふわしてくる。
たどたどしく舌を使う。
引っ込めようとすれば小金井が積極的に絡めにきて、またしても強引に絡めとられてしまうくりかえしで、息継ぐ暇を与えてくれない。
『東ちゃんが大好きです』
『手伝うよ、やるだけやってみよう』
『かっこよくなったじゃん』
ぼくは、どうして
「ふぁ、ふく」
秋葉原で助けてくれた。
アパートに押しかけた初日に夜這いをかけてきた。
二人で散歩した夜道、街灯のほの明かり、餌付けした野良、アパートでぶちまけた小銭を拾うの手伝ってくれた、兄さんにお説教され落ち込んでたら公園に誘って慰めてくれた、ふたり競い合って高く高くブランコをこいだ、髪を切ってくれた、料理を教えてくれた、黒田を追っ払ってくれた
開け放たれた襖のむこうから溢れる眩い光、さしのべられた手。
『俺は東に生きててほしい』
『世界中のくだらない百人が死ねって言ったって、目の前のたった一人が生きろって言ったら生きるっしょ』
「ん、ぁふ、っあ、や」
声が
言葉が
底抜けに明るい笑顔が
かたくなに凝り固まった心をほぐしていって
顔を手挟まれ中から蕩ける口付けの恍惚に溺れるさなか、目だけ動かした拍子に壁の棚に飾ったフィギュアとガンプラが目に入る。
キュアレモネードが見てる。
「!!!っ、」
一瞬で理性が回復し、力一杯小金井を突き飛ばす。
小金井は抵抗なく倒れこむや、そのまま大の字に寝転がって、ふにゃり弛緩した笑みを浮かべ夢の世界へと戻っていく。
「はあっ、は、はっ……」
くりかえし手の甲で唇と顔を拭う。全身にびっしょり汗をかき、ぬれた服が体にまとわりつく。
手をつき、のろのろと上体をおこすもそこで力尽き、腰が抜けてへたりこむ。
虚脱して布団に座り込み、震える指を唇にそえ、、闇鍋じみたキスの感触を反芻する。
闇鍋?
突拍子もない連想に、泣き笑いに似て顔が崩れる。
「ほんと、闇鍋だ……」
そんなふうにしてかきまわされたら、底から何がでてくるかわからない。
現に。
キスひとつで心をめちゃくちゃにひっかきまわされ、経験不足故自覚に至れなかった、本当の気持ちを暴き立てられてしまった愚かものが一人。
今ならわかる。
なんで髪にさわられただけで耳まで熱くなったのか、なんで呼び捨てにされてあんなにどきどきしたのか、わかる。
キスの余熱を帯びてかすかに震える唇に指を這わせ、生唾を飲む。
ぼくは、小金井が好きなんだ。
ともだちにシェアしよう!