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そして彼らは自転車をこぐ
東は馬鹿で間抜けで泣き虫で弱虫だ。
「おにいちゃんどこ行くの?」
「本屋」
スニーカーの靴紐を結び終え、玄関に座ったまま振り返る。
「付いてきたら絶交だぞ」
「うん、わかった」
階段の手摺から顔だけ出した東が素直すぎて怪しい返事をよこす。本人的には真剣な顔を作ろうと頑張ってるのだが迫力足らずで失敗、トイレで踏ん張ってる面構えにしか見えない。
対してこっちはただ黙ってるだけなのに「怒ってるの?」と聞かれる。俺は父さんに、東は母さんに似たのかもしれない。
「いってきます」
台所で立ち仕事をしてる母さんに断って家を出る。
しばらくすると玄関の扉が開いて東が追ってきた。今年小学校に上がったちびの弟。幼稚園の時に重度の近視と診断され、あどけない顔に不釣り合いにでっかい眼鏡をかけている。
俺に言われたことを一応守っているのか、十メートル以上距離を開け、よそんちの車だの電柱だのの影を縫うように尾行している……が、バレバレだ。そんな杜撰な尾行があるかと声を大にしてツッコミたいのを辛うじてこらえる。
後ろをちょこまか付いてくる弟を足早に引き離そうと努める。すると東も短い足を前後してスピードを上げた。どうにも気になって流し目を送れば、鼻までずり落ちるたび両手で眼鏡を直し、ふーふー大袈裟に息を切らしている。そういやコイツ、運動会じゃビリッケツだった。俺の弟は馬鹿で間抜けで泣き虫で弱虫、おまけにグズでノロマな貧乏くじの詰め合わせだ。
おもむろに立ち止まり、やっぱり振り向かずに牽制する。
「おい東、兄ちゃん付いてきたら絶交だって言ったよな」
尖った声で念を押した所、通学路の標識に頭を低めてかくれんぼした東が、うろたえきってきょろきょろする。往生際の悪い弟にいらだち、体ごと向き直る。
万事休す、俺の前に姿をさらしてしまった東が目を瞑り強く念じる。
「スケールトントンスケルトン、迷彩魔法で透明にな~れっ」
「見えてるぞ」
「すごいおにいちゃん、悪の組織の幹部スケルンバのスケスケ魔法が利かないの?」
「特撮ヒーロー怪人の透明化呪文が利くはずないだろ、あんなの全部でまかせだ。フィクションだ」
「ふぃくしょんて何?」
「くだらない作りごと」
「くだらなくないもん、おもしろいもん」
「でも嘘っこだろ。何も知らないお前に教えてやるけどな東、アレは大勢のスタッフを雇って撮影してるお芝居なんだよ。怪人スケルンバもレスキュー戦隊サイレンジャーも本当はいないんだ、スケルンバの中には人が入って動かしてるんだ。背中にはジッパーが」
「嘘だ!!!!」
せっかく真実を教えてやったっていうのに、東は地団駄踏んで怒り狂った。
そういやコイツ、日曜朝の戦隊ヒーローにハマってたもんな。他の曜日は寝坊して遅刻ギリギリにでるくせに、日曜日だけは母さんに起こされなくてもテレビの前にちゃっかり一番乗りしてた。
しらけて黙り込む俺に一歩踏み込み、小さな握りこぶしを作った東が一生懸命せがむ。
「おねがい、じゃましないから一緒に連れてって」
「いるだけで目障りなんだ」
「じゃあ小さくなる。石ころ帽子かぶる」
「ドラえもんかよ、しかもマイナーな秘密道具。友達と遊べよ」
「まだできてないもん……」
寂しそうに俯く。
そうだろうなと予感してたんで今さら驚かない。東は人見知りで引っ込み思案、挨拶もまともにできないヘタレなのだ。
ほんの少し可哀想だけど、甘やかしたら付け上がると心を鬼にする。
「だからおにいちゃ」
「バリア!」
「ッ!?」
振り返りざま右てのひらを突き出す。同時に東が立ち竦む。
「俺の半径10メートル内に結界を張った。それ以上近付いたらびりびりするぞ」
東は完全に真に受けて戸惑ってる。よし今だ。弟を足止めし、全速力でその場を走り去る。
「あっ!」
甲高い悲鳴に釣られて立ち止まる。東が万歳のポーズで地べたに突っ伏していた。何もない所で転ぶなんて逆に器用だなあと感心する。
「ぐすっ、ぐすっ」
顔の部品が中央に寄り大粒の涙が膨らむ。やばい。右を向く。左を向く。誰もいない。舌打ちして取って返し、膝を擦り剝いてぐずる東を抱き起こす。
「なんでお前はそうどんくさいんだよ。かすり傷でべそかくんじゃない」
「バリアといた?」
「最初からしてない。あれはブラフだ」
「ブラフ?」
「お前にもわかりやすくいうと嘘ってこと」
「だましたの?」
「だまされるほうが悪いんだぞ、反省しろ」
「うん」
東の手をとり立たせる。人さし指をなめ、血も出てない右膝を唾で示せば応急処置完了だ。さてどうするか。コイツを連れ帰るか一緒に連れて行くか束の間迷い、乱暴に手をひったくる。
「しょうがないな……本屋さんでうるさくしちゃだめだからな」
「うんっ!」
一人で帰して迷子になったら困る。送ってくのはもっと面倒くさい。東と手を繋いで住宅街を歩いていると、ご近所のおばさんや犬の散歩中のおじさんがニコニコ挨拶してきた。
「ほーくんこんにちは。ひーちゃんとおでかけかい」
「こんにちは。本屋さんに行くんです」
「偉いねえ」
「相変わらず面倒見がいいねえ、うちの孫たちにも見習わせたいよ」
「コイツ一人にしとくと危ないんで」
「横断歩道は青になるのを待って、ちゃんと手を挙げて渡らなきゃだめよ」
「わかりました。ありがとうございます」
挨拶を返すのは俺の役目で、その間東は兄の服の裾を握って引っ込んでる。
東を連れて歩いてると大人たちに褒められる。勝手に付いてくるから仕方なくお守りしてるだけなのに、なんだかくすぐったい。
東は大人に向かって大人のような挨拶をする俺を、尊敬のまなざしで見詰めている。
「おにいちゃんすごいね。大人のひととお喋りするの怖くないの?」
「なんで怖いんだよ、堂々としてろよ。じゃないと躾がなってないとか陰口言われて、父さん母さんが恥かくんだぞ」
「ごめんなさい……」
東がしゅんとする。ちょっとキツく言いすぎたか。コイツはすぐ落ち込むからさじ加減がわからない。心配になって視線をやれば、東がぱっと顔を上げて質問してきた。
「なんでおにいちゃんはほーくんでぼくはひーちゃんなの?」
「なんでって、俺が北斗でお前が東だからだろ」
「ぼくもひーくんて呼ばれたい。男の子はくんでしょ、ちゃんは女の子だよ」
「お前もそういうの気にするのか」
新鮮な思いでまじまじ弟を見直す。
「くん」付けを熱烈に希望するコイツには悪いが、号泣する準備が常に万端の潤んだ目やちんまりした鼻はどちらかというと女の子っぽくて、「ちゃん」付けで呼ぶ方がしっくりきた。実際赤ん坊の頃は女の子とよく間違われてたって聞いた。
「ぼくもひーくんがいい。おにいちゃん、みんなにくん付けしてくれるように頼んでよ」
「いやだ。どうしてもっていうなら自分でいえ」
「はずかしい」
「じゃあ諦めろ」
「ひーくんのほうがかっこいい……」
「お前はくんでもちゃんでも別にかっこよくないから安心しろ」
「そんなことない」
「ある」
「ないったらない」
意外と頑固だなコイツ。拗ねたようにぼやく東を見下ろし、適当に宥める。
「大きくなったらな」
「ホント?ぼくも大きくなったらひーくんになれる?」
「頑張り次第で」
どうでもよさげに続ける俺をよそに、東は小声で「やったあ」と喜んでニヤケまくる。実にちょろい。直後にゆるみきった顔が強張り、音速で俺の背中に隠れる。何事だと正面を向けば、自転車に跨った男の子の二人組が通り過ぎていった。
「知り合いか?」
「同じクラスの……」
「なんで隠れるんだよ」
「自転車のれない、から……」
真っ赤な顔で告白する東に特大のため息がこぼれた。
自転車で颯爽と走り去った二人組は無邪気に笑ってる。東は悔しげに唇を噛んで、お気に入りのヒーローがプリントされた靴の先を睨んでいる。
「石ころ帽子や透明マントの代わりにするな」
「ごめんなさい」
「謝るな」
イライラして東の手をキツく握り直す。痛いのを我慢して俯く東がいじらしく、なんだかやるせなくなる。羨ましそうに同級生を見送る横顔には、ひとりぼっちの苦悩と寂しさが浮かんでいた。
東の特技は謝ること。自分が悪くても悪くなくてもとにかく謝って謝り倒す。学校でもこの調子でやってるのか不安になる。俺とは普通に話せるのに、なんで他のヤツはだめなのか理解に苦しむ。
相変わらず俯きっぱなしの東の手を引っ張り、大股に歩きながら断言した。
「小1で自転車乗れたからって偉くもなんともない。俺は幼稚園の年長さんで乗りこなした」
「本当?」
「当たり前だ」
「やっぱりすごいね、お兄ちゃんは」
「は」は余計だ。自分はすごくないしすごくなれないって、最初から諦めてるみたいでもどかしい。コイツは人を褒めるのも下手だ。
「自転車に乗れるだけじゃ偉くもすごくない。横断歩道が青になったらちゃんと止まって、ずーっと安全運転を守ってたら偉いかもしれない。このの前父さんの病院に自転車に轢かれた人がきたの覚えてるか」
「包帯ぐるぐるしてた」
「ギプスってゆーんだぞアレは。折れた足を石膏で固めてあるんだ」
「いたそー……」
「知らない人を轢いて怪我させるくらいなら自転車なんて乗れない方がずっといい。裁判になったら治療費や賠償金もかかるし」
「物知りだね」
「ふん」
東が笑顔になった。どんなもんだ。コイツの扱いに関しちゃプロ中のプロなのだ、だてに六年もお兄ちゃんをやってない。母さんが忙しい時はおしめを替えてやったこともある。
喋っているうちに本屋が見えてきた。自動ドアをくぐって店内に入る。レジにいた女の店員さんに「いらっしゃいませー」と言われ、反射的にお辞儀をした。
「こんにちは」
「……ちはー」
東もまねっこしたけど、俺と比べて角度が浅い。恥ずかしがり屋か。目的の棚に急ぎ、ずっと楽しみにしてた漫画の最新刊をゲットする。ポケットの中のお小遣いで買えそうだ、よかった。東は俺の裾を掴んだまま、端から端まで棚を埋め尽くす漫画本に目移りしてる。
「あっ、レスキュー戦隊サイレンジャー!」
「買わないぞ」
「知ってる。言っただけ」
ビニール紐で厳重に縛られた幼児向け雑誌に、目を輝かせて飛び付く東。どうにか中を覗けないか上に立て逆さにし、指でページを押し広げようとしている。
「よせよ、雑誌が傷むだろ」
「サイレンイエローがいるか確かめようとしただけ」
「変な趣味だな、レッドでもブラックでもブルーでもなくイエローなのか」
「うん」
何故だか誇らしげに顎を引く東。ふと気になって聞いてみる。
「どこが好きなんだ?」
現在放映中の戦隊ヒーローものにおけるイエローはお笑い担当の役回りだ。リーダーのレッドでも影のあるブラックでも頭がキレるブルーでもなく、なんでイエローを贔屓するのか純粋に不思議で聞いてみる。
「イエローはおもしろくて、会った人みんなを笑わせてるじゃん」
「笑われてるの間違いじゃ?」
「ぼくと同じでカレーが好きだし、ノロマでグズでよく転ぶし、だけど全然へこたれずにまたみんなを笑わせるし、絶対諦めないのがかっこいい」
……なるほど、よくわからない。それはそれとして、イエローの魅力を主張する東の顔は生き生きしていた。コイツがこんなに熱くなるなんて、と目を疑った。余っ程イエローにシンパシーを感じているのか?
「ねえねえ、おにいちゃんはだれが一番好き?」
「戦隊ヒーローなんか幼稚園で卒業した」
うっかり口を滑らせかけ、慌てて言い直す。東は「え~」と不満の声を上げる。納得してないみたいで冷や汗をかいた。
「……」
念のためポケットを裏返す。東の分まで買ってやるお金はなかった。
「そろそろ行くぞ」
「あ、待って」
レジへ単行本を持っていき会計をすます。東は興味津々、店員がバーコードをスキャンする様子を見守っていた。
「ありがとうございましたー」
店員の言葉に送られて店をでる。紙袋を抱えた帰り道、黄色信号が点滅する横断歩道で止まった俺に意外なヤツが話しかけてきた。
「八王子じゃん。偶然だな、塾帰り?」
「本屋の帰りだよ」
同じクラスの池田だ。自転車に乗って通りかかったらしい。街で同級生と出くわすのはレアだったんで、しばらく立ち話をする。
「これから空き地で野球するけど来る?」
「やめとく、宿題まだなんだ」
「だりいよな~作文。『将来の夢』とかくさくね?なりたいものなんて全然思い付かねー。お笑い芸人とか?」
「滑るぞ」
「だよな。お前はいいよな決まっててさ、お父さんのあと継いで医者になるんだろ?」
「一応」
信号が赤に切り替わる。池田の視線が俺にへばり付いた東に下りてきた。
「もしかして弟?うわ似てねー」
「うるさいな」
「何年?名前は?」
お調子者の池田が矢継ぎ早に質問を投げて身を乗り出す。東はすっかり固まっていた。大忙しで俺と池田を見比べ、しどろもどろ口を開く。
「あの、その、えと」
「自己紹介位できるだろ」
またかとうんざりし、俺に恥をかかせるなよと目で圧をかける。東の表情がみるみる絶望に染まり、パクパクと喘いだ口から空気が漏れた。そして
「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼく八王子ひがっ、ひがしゅです。一年です」
噛んだ。嚙みまくりだ。最後だけセーフ。真っ赤になって黙り込む東に池田が一瞬ぽかんとし、続いて爆笑を浴びせる。
「んだよ超ウケるー!ひがしゅ?しゅしゅしゅ?」
「あ……」
「弟くん面白いねー掴みはOKって感じ?俺と組んでお笑い芸人のトップめざそうぜ」
耳まで赤くする東。池田は笑い続けていた。俺の顔も火照りだす。信号が青に移り変わるのを見計らい、東の手を強く掴んで歩き出す。
「全然ウケない。行くぞ」
「おにいちゃん、いた、いたい」
池田をシカトして横断歩道を突っ切り、川岸の遊歩道をずんずん歩いていく。胸に抱いた紙袋は力の込めすぎでくしゃくしゃに潰れてた。おまけに手汗が滲んで酷いありさまだ。
「いたいよ、やめてよ、転んじゃうよ」
東がか細い声で訴えるのをあえて無視して歩き続ける。悔しくて情けなくて腹が立って、弟を引っ張る手にさらに力をこめる。
「なんでちゃんと挨拶できないんだよ、お前」
池田はお調子者だ、コイツの失敗のせいで当分からかわれるかもしれない。ただ名前と学年を言うだけ、簡単な自己紹介なのに……
「ごめ、なさ」
後ろでしゃっくりが聞こえた。東がまた泣いてる。泣けば許されると思ってる。うんざりだ。
「泣くな。捨ててくぞ」
「がっかりさせてごめんなさい」
胸を突かれて振り向く。東は片方の拳でごしごし顔を擦り、瞬きした目から絶えず涙をこぼす。でっかい眼鏡が鼻の下までずりさがっていた。
「おにいちゃんの友達なのに上手に挨拶できないでごめんなさい」
「…………」
急に馬鹿馬鹿しくなった。もとはといえば俺が無茶ぶりしたのだ。ご近所さんともまともに挨拶できない弟が、初対面の上級生と突っかえず話せるはずないのに。
「休んでくぞ」
「え?」
「その顔で帰ったら母さんがうるさい」
芝生に覆われた土手に体育座りし、隣を叩いて座れと促す。東は大人しく従った。ちょこんと膝を抱え、手持無沙汰に芝生をむしっている。微妙な沈黙を破ったのは弟の方だ。
「……さっきの人が言ってた。作文の宿題、大人になったらなりたいもの?」
「うん」
「お医者さん?」
「うん」
「そっかあ」
「お前は?」
「うーん……」
眉間に川の字を刻んだ東が返事に詰まり、きらめく川面を見詰める。対岸のグラウンドでは小学生が野球をしていた。金属バットが硬球を叩く快音が青空の下に響き渡る。
「おにいちゃんはなんでお医者さんになりたいの。お父さんのまねっこ?」
「言い方」
「ごめんなさい」
「憧れてって言えよ」
「お父さんに憧れて?」
「まあな。父さん、長男に期待してるし。口じゃ好きにしろなんて言ってるけど、やっぱ息子に継いでもらったら嬉しいだろ。仕事の悩みも愚痴り合えて味方が増える。それに俺も……病気になった人や怪我した人を手当して、元気にできたら嬉しい。退院する時ギプス割ってみたい」
「だいじょぶ?骨まで砕いちゃわない?」
「父さんにコツを教わる」
うちは父さんも医者で、物心付く頃から医者になるのが当然だと思って生きてきた。他の選択肢は浮かばない。何度か見学に行って、ますます気持ちが固まった。
俺の答えを噛み締めた東が照れくさそうにはにかみ、言った。
「ぼく、おにいちゃんを応援する係になりたい」
「は?将来の夢だぞ。ていうかお前も医者になるんじゃないのかよ」
拍子抜けだ。コイツはまねっこが好きだから、絶対俺や父さんをまねして医者になりたがると思ったのに。
すると東は小さく首を振り、まっすぐな眼差しで呟く。
「お医者さんは病気や怪我を治すすごい仕事だけど、ぼくはちゃんとできる自信ないから、代わりにおにいちゃんがいっぱい頑張れるように応援するんだ」
コイツは。
「まさかサイレンイエローになりたいとか言い出すんじゃないだろうな、頑張ったって戦隊ヒーローにはなれないぞ」
「ぼくはサイレンイエローじゃなくてサイレンイエローみたいなひとになりたいんだよ。サイレンイエローはみんなに笑われて、大人なのに自転車のれなくて、それでばかにされてもへこたれないでしょ。自分が笑われても、それでまわりが幸せならいいやって思えるやさしいひとでしょ」
言葉を失った。
「……クラスで自転車のれないの、ぼくだけなんだ」
ああそうか。
コイツがサイレンイエローを贔屓してたのは、自分と同じ弱点を持ってたからか。
「ひー」
口から滑り出たのは大昔の愛称……コイツがまだよちよち歩きの時の略称だ。東は即座に「やめてよ」と打ち消し、細っこい膝小僧に額をおく。
「……おにいちゃんとおそろいがよかった。そっちの方が強くてかっこいい感じがする、から」
東も男の子だ。自分を強く見せたいと思うのは当たり前だ。猫背で丸まる弟に寄り添い、お返しにちょっとした秘密をばらす。
「笑うなよ東」
「うん」
「俺、サイレンブラックのファンなんだ」
弾かれたように顔を上げる東に対し、バツ悪げに頬をかいて目を泳がす。「だって卒業したって」
「嘘だよ、お前の手前はずかしくてそういっただけ」
「テレビの前にいないじゃん」
「録画してあとでこっそり見てる」
「なんでブラック?レッドじゃないの?」
「サイレンジャーの信念にふれて敵幹部から光堕ちしたドラマがめちゃくちゃ熱かった。クールで渋くてカッコいいし、レッドの昔馴染みの兄貴分てポジションもぐっとくる。コーヒーをブラックで飲む大人はたくさんいるけど、豆から挽いたグアテマラ一択っていうのがかっこよすぎる」
「めちゃくちゃ見てる!?」
「好きで悪いか、大事なことはみんな戦隊ヒーローから学んだんだ」
耳まで燃え上がらせて一気に暴露し、呆然とする弟の肩を掴んで言い募る。
「自己紹介は確かにアレだったけど、本屋じゃ突っかえず喋れたろ。あんなに生き生き楽しそうにしてるお前はじめて見た、びっくりした、見直した!好きなこと胸張ってしゃべれるなら、それ以上望むことなんてないだろ!」
東は馬鹿で間抜けで泣き虫で弱虫でグズでノロマで、だけど俺の可愛い弟だ。コイツを馬鹿にする奴は許さない、友達だろうと絶交してやる。ホントは得意顔の池田の自転車を蹴倒したかった、でも父さんの仕事が増えるだけだからやめておいた。
「覚えとけ東。父さんのような医者になってもならなくても、お前は俺の弟だぞ」
医者だけが人を助ける仕事じゃない。
世の中には色んな仕事があって、そのどれもが足りない所を補い合って回ってるんだ。
「俺はお前の応援をもらって医者になる。だからお前は好きなことしろ」
「背中にかくれんぼしてもいいの?押し出さない?」
「甘えるなよ。頼るのは許す」
もしコイツが大人になって道に迷ったら、背中を押してやりたい。その時俺が隣にいるかわからないけど、コイツの背中を見守れる立ち位置に付きたい。
眼鏡を両手で持って掛け直す東をよそに、さっさと立ち上がって宣言する。
「早く家に帰ってまた戻ってくるぞ、自転車の練習だ」
「もうおそいよ、明日にしない?」
「空気読めよ、そこは『うん』だろ。サイレンジャーの第18話を思い出せ、サイレンイエローが自転車に乗れるようになるまでメンバー総出で川べりで特訓したじゃないか」
「ううっ……」
「友達を見返したくないのか?兄ちゃんがコーチじゃ不満か?」
「まだ友達じゃない……」
ふてくされた東に苦笑いし、随分久しぶりに頭をなでてやる。東はしきりにくすぐったがり、髪をかき回す俺の手を笑ってよけた。
俺は八王子北斗。八王子東の兄ちゃんだ。
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