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第26話
龍大は、俺の怒りの意味が分からん風やった。いや、分かれ。お前は俺に鬼塚心の武勇伝は聞かせたけど、こないに若いとは一言も言うてへん。
第一、東の極道を占める鬼塚組組長がこないに若いなんて、誰が想像する?
小さい組やないんやで?あの仁流会鬼塚組やで?若い…ってか若過ぎっ!
チンピラの年やん!!!!!!
「何じゃ…クソガキ。龍大、お前の舎弟か」
そんな訳あるかー!!と、目の前のニコリともせん男に言えたら楽よな。
ヘタレ、秋山威乃。寧ろ、ヘタレで結構。
目の前の全身凶器みたいな男に喧嘩売る勇気なんか、微塵も持ち合わせてない。
「心、威乃の母親が行方不明なって、酒井組が関わってんねん」
龍大が短い…短すぎる説明をする。かいつまんでと言うけど、かいつまみすぎてて、初めて聞いた奴には何の事やらさっぱり。
鬼塚 心は龍大の言葉に眉一つ動かさんし、聞いてるんかさえ分からん。
変な緊張感、圧迫感。やっぱり吐きそう。恐るべし、全身凶器の鬼塚 心。
「だからなんや」
鬼塚 心は一蹴するみたいに、言い放つ。
確かにそうやろうな。鬼塚 心には何ら関係のない話かもしらん。酒井組は鬼塚組の周辺であこいことしてるとしても、今は何もアクション起こしてないって梶原さんは言うとった。
ヤー公の世界はよう知らんけど、今の時代にわざわざいざこざ起こしたないやろうし。
「俺は威乃の親、取り返したい」
あ、ちょっと感動した。龍大の力強い言葉に、涙腺緩みそう。
「…龍大」
すーっと鬼塚 心が、身体起こして龍大を呼んだ。それに俺も一緒に顔を上げた。
でも次の瞬間には、衝撃と一緒に俺の身体はひっくり返った。鬼塚 心が長い足で俺と龍大が座ってたソファを蹴り倒したんや。
咄嗟に龍大は俺を庇う。身体はひっくり返ったけど、龍大のおかげで痛みは何もなかった。
「クソガキが…。極道相手に女取り返すなんぞ、簡単にぬかしくさって」
鬼塚 心がゆっくり立ち上がるんが見えた。
身体が固まる。
怖い。怖い。怖い。怖い!!!!!!!!!!!
「俺かてヤクザや」
龍大の言葉に、立ち上がった鬼塚 心はテーブルを飛び越え、転んだソファを蹴飛ばし横にずらした。
かなり重厚なソファが、滑るようにズレる。細い足で簡単にするそれは、鬼塚 心の強さを表してるようで、俺はその足が次は何を蹴飛ばすんか目を離せずに怯えた。
龍大はそんな俺を撥ね除けると立ち上がり、鬼塚 心を俺の知らん龍大の目つきで睨みつけた。
龍大のが長身やのに威圧感は鬼塚 心のが勝る。目の前の二人に俺の心臓は壊れんばかりに暴れまくる。
対峙してるんは龍大やのに、俺の身体はガタガタ震えてた。
「どあほうが。お前みたいなガキなんぞチンピラ以下じゃ」
「酒井組と戦争さしてくれ…」
龍大の言葉が言い終わらんうちに、鬼塚 心は龍大を殴りつけた。鈍い、ゴキッという音が聞こえて、龍大は床に膝突いた。
どんだけ強い奴ら相手にしても、何人相手にしても擦り傷一つ作らんかった奴が、口から血ダラダラ流して俺の目の前で膝ついた。
手を伸ばせば届く距離におる龍大。やのに。俺の身体はガタガタ震えるばっかりで、他の神経死んだみたいに動かん。
たった一発の拳見ただけで、今まで数だけこなしてきた喧嘩がどれほどガキの喧嘩か思い知らされた。重く鋭い拳は完全に龍大の急所を叩いて、龍大は何度か頭を振ってどうにか覚醒しようとしていた。
「簡単に戦争とか言うてくれんな。己らのガキの喧嘩と訳ちゃうぞ」
鬼塚 心は龍大の前髪を鷲掴みにして、低い声で囁くように言う。目の前の俺なんか無視や。
梶原さんは厳しい顔して龍大達を見るだけで、何も止めもせん。相馬いう人に至っては、目の前で起こっている現実とは不似合いなくらい涼しい顔して見てる。
何で?何で?何で止めへんの?何で助けてくれへんの?
「心…酒井組もこっちで…あこいことやってる…、いつかは潰さな」
龍大が顔を歪めて鬼塚 心に言った。その鬼塚 心は龍大の髪の毛を離すと、龍大の横腹を蹴り上げた。
喧嘩だけは数こなしてきた。だから、その音で鬼塚 心の蹴りがどんだけ重いか分かった。
現に龍大は一瞬息が止まって、あとは激しく噎せてた。やけどそんな龍大をかまいもせず鬼塚 心は龍大の髪の毛を引っ張って立ち上がらせると、ダメージくらってる腹に豪快に拳を埋め込んだ。
「がはっ……っ!!」
ゆっくり、スローモーション見てるみたいに龍大の身体が倒れる。“威乃は何もせんと一緒に居て”来る前に言われた龍大の言葉。
気がつけば、俺の手の平は爪が食い込んでた。鬼塚 心の顔には何ら一つ表情はない。“無”で龍大を殴り続ける。息も上がらず、汗もかかず。顔色一つ変えず。
鬼塚 心は正真正銘、“極道”やった。その拳は的確に急所を狙う。
殴られる度に龍大の口や顔から血が弧を描いて飛び散り、倒れた龍大は微かに痙攣してた。容赦のない暴力。
「龍大、お前はオヤジの息子やいうても、ただのガキや。そんなお前が戦争なんか出来る思うてんか?戦争すんのに、どんだけの犠牲が出る思うてんねん。お前にそれを背負える器量があると思うてんか」
ボコボコに叩きのめされた龍大は血ぃ吐き出しながら、ゆっくり顔をあげる。
やり返すとか、反撃するとか何でせんのか。出来んのや。
したくても手を伸ばせるそこにおっても、鬼塚心には一切の隙も何もない。
人を躊躇いもなく、例えそれが風間組の息子だろうが関係なく殴る。迷いなんか、一切ない。そんな男に、どうやって反撃する?
「…器量は…ない。でも、…大事な…もん、守りたい」
龍大の言葉に、溢れ出そうな涙を唇噛んで耐える。
ここまで、何でしてくれんの?俺みたいな、何もない奴に。
「相馬」
鬼塚 心が、場違いなほど涼しげな顔をしている相馬さんを呼んだ。呼ばれた相馬さんは軽くため息をついて奥に消えた。
俺は龍大を殴る事を止めてくれて、正直ホッとした。安直な考えで、終わったって思ったんや。
でも暫くして戻ってきた相馬さんの手に握られてたもんに、俺は息を呑んだ。相馬さんの手に握られてた長い日本刀。鬼塚 心は鞘を掴むと乱暴に引き抜いた。
シャッとそれだけで身の毛がよだつ音が響き、床に力なく転がった龍大の身体がピクッと動いた。
「龍大、お前に死ぬ覚悟あるんか」
悪魔の問いかけみたいやった。
「切った張ったの極道との喧嘩、命懸けてまで酒井組とやる根性あるんか」
目の前でギラギラ光る日本刀。俺の目には、床に這いつくばった龍大に牙剥いた獣に見えた。
「……威乃は…俺の全部賭ける価値がある!!」
獰猛な目を鬼塚 心に向け、ここ一番の力強い声で龍大が言った。
鬼塚 心は、それを聞いて”フンッ”と鼻で笑った。
「…酒井組との戦争に、相馬貸したるわ」
不意に言う鬼塚 心に、俺も龍大も鬼塚 心の顔を見上げた。龍大の気持ちを汲んでくれたんかと、一瞬、ほんの一瞬だけ安堵した。
やけど、そこにあったんは右の口角だけを吊り上げた、悪魔の顔した鬼塚 心やった。
「等価交換じゃ、龍大」
聞き覚えのある言葉。“それを得る代わりに、同等の対価を支払う”
鬼塚 心は日本刀を持った長い腕を振りかざした。
「龍大!!」
悲鳴にも似た俺の声が部屋に響いた。
目ぇ開けたら、見覚えのある天井。あ。スィートルームのベッドや。
あれ…悪夢やったんかな。やとしたら、あまりにリアルな思い出しても身の毛がよだつ悪夢や。夜泣きレベル。
フッと人の気配に目を向けると、ベッドに突っ伏した見慣れたボサボサの頭の龍大が眠ってた。
俺は龍大の太い手首を掴んでて、そのせいで龍大はここにおるんや思った。
「…龍大」
ゆっくり呼ぶと龍大の身体がピクッと動き、ゆっくり顔をあげた。
その顔に俺は何もかも悪夢なんかやなく、正真正銘の現実って事を思い知った。
あちこちにでかい絆創膏。殴られたボクサーみたいに目の上は切れて腫れて、お岩さんもドン引き。
顔の皮膚がほとんど見えんくらいに貼られた絆創膏は、もはやフランケンシュタイン。
「龍大……」
「おはよ」
見たこともないくらい甘い顔で微笑まれて、俺の涙腺崩壊。洪水みたいに一気に涙溢れて、目の前の龍大に抱き付いた。
「俺、威乃に救われてばっかりや…」
龍大が俺を抱き締めたまま、囁くように言う。
思い出したんは鬼塚 心が刀を振り上げたとこ。刹那、俺は龍大の身体を庇うように龍大に身体を被せた。
「威乃!」って龍大の焦る声と「心!」って叫んだ梶原さんの声。俺の意識はそこで切れたんや。
わんわん泣きじゃくる俺を、龍大は子供あやすみたいに背中擦る。
言い知れぬ程の“極道”の恐怖。“鬼塚 心”という男の恐怖。
本当に、龍大が殺されると思った、底知れぬ恐怖。
聞いた話では俺は気ぃ失っても、龍大の手首を掴んで離さんかったらしい。
ようやく落ち着いた俺の横に龍大は寝転がって、俺は龍大の腕ん中で何があっても離れんようにしっかりしがみついてた。
「…アイツは?」
「心?さあ…?まだ相馬さんに絞られてそうやな」
「…嫌いやアイツ」
鬼塚 心の暴走を止めたんは誰でもない、あの涼しげに無関心に立ってた相馬さんやったらしい。
振り下ろした刀を、鞘で寸前で止めたんやて。振り下ろしてる時点で鬼塚 心は、やる気満々やったんやん。
『後始末をご自分でなさるのであれば、どうぞ』が相馬さんの一言やったらしい…。“どうぞ…”って言うなよ…。
「怖い目に遭わせてごめん」
俺の髪の毛弄りながら、龍大が小さく言った。
怖かった。死ぬほどの恐怖。殺されるって思った。気ぃ失うほど。
でも、何よりも龍大が殺される方の恐怖のが大きかった。
「心、機嫌悪かったみたい。相馬さんに怒られてた」
いやいやいや…あんた、それただの八つ当たりなんですけど。八つ当たりにしては常軌を逸してる。
「龍大…もう、おかん…ええよ」
「……」
ここまで事がデカなるとは思わんかった。関東に来て、鬼塚 心という極道の恐怖を知った。
俺みたいなヤンキーが関われる世界やないのは、一目瞭然。ほんまに、関わったらあかん世界や。
「威乃、これは威乃だけの問題やない。関西から堅気の女を攫って収入源にしてるんは事実やし、それで肥やし増やされて、関東で勢力デカして佐渡の出所を待たれても困る。佐渡をぶち込んだんは親父や。出所したら間違いなく仇討ちに来る。親父のした下剋上は極道では御法度な事もある。そのためにも酒井組は潰した方がええねん」
避けられへん現実。避けられへん道。避けられへん…。
「それに、俺は威乃のお母さん…助けたい」
龍大、お前はなんでそこまでしてくれるん?
なんでそこまで俺なん?何もないのに…俺なんか。
「これからどないするん?」
「帰ろう…俺のマンション。…親父に心の許可貰ったん言わな」
「親父怒るんちゃうん、お前の顔」
「心が半端ないんは親父がよぉ知ってる。生きて帰ってきただけ、心が我慢強なったって喜ぶわ」
どんだけやねん…鬼塚 心。
結局、スィートルームで食事して、出先から帰ってきた梶原さんと共に俺と龍大は関西に戻った。
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