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手向け花(タムケバナ)

 今年は命日が平日だったこともあり、日をずらして、天気予報が晴れになっていた日曜を選んで墓参りの日取りを決めた。  約束の時間より少し早めに行ったというのに、哉太(かなた)さんはすでに到着して俺を待っていた。駅からの道の途中でその姿に気がついた俺は、のんびりと歩いていた足を慌てて早めた。  霊園の入り口脇に佇む哉太さんの、スラリと細い長身の影が木陰をはみ出して伸びている。近寄ってくるこちらの存在には気づいていない様子で、目は虚空を眺めていた。下げた手に握られた百合の花の首が妙に長くて、白い花びらが地面に擦れそうになっていた。 「お待たせしました」 「大丈夫、待ってないよ。この辺は静かで気持ちが良いから、少し早く来て散歩してたんだ」  わざと足音をバタバタと足音を立てて駆け寄った最後の数メートル、こちらを振り向いた哉太さんは、この辺、と言いながら周囲を見回した。木漏れ日の中でゆっくりと首を回す、ただそれだけの仕草が絵になるのは、染みついた俳優としての立ち振る舞いのおかげだろうか。 「お久しぶりです。すいません、全然連絡もしないで」 「本当に。まあ、問題なくやれてるならそれに越したことはないから、僕のことなんか忘れてくれて構わないんだけどね」  入口で桶と杓子を借りて綺麗に整列した墓石の間を歩く最中に哉太さんと話しながら、俺はここに来るまでに抱いていた緊張感がほぐれていくのを感じていた。去年の墓参りの日以来、直接顔を合わせることは一度もなく、連絡のやり取りも途絶えていた。 「元気です、すごく。ただ、サークル入ったら思ったより忙しくなって」 「何のサークル?」 「カメラです。なんか、もっとゆるいの想像してたんだけどなあ」 「いいじゃない。写真展とかするの?見に行くから教えてよ」 「いや、それは……」  たかだか大学生の写真サークルの展覧会に”あの”東堂哉太が現れたら、一体どう説明したら良いものか、想像するだけで難儀だった。自分の育ての親が世間に良く知られた俳優であることは、大学に入ってから知り合った誰にも話してはいない。 「だって、哉太さんプロじゃないですか。そんな人に見られるの恥ずかしいっていうか」 「プロって言っても、僕は撮られる方だから。撮る方は素人だよ」  俺の下手な言い訳に、哉太さんは可笑しそうに笑った。手にしている二人分の花束の包み紙が揺れて、カサカサと音を立てた。  命日の当日でなくても、父の墓に花が絶えることはない。いつ訪れてもある、誰が手向けたとも分からない生花の数々。  それを見る度に俺は、父が亡くなってもう十年以上経つというのに消えることなくこの世に残り続ける、見ず知らずの誰かの慕情を少し恐ろしくも感じた。  父は、俺が四歳の時に死んだ。様々な要因が重なった結果の”事故”で、一世を風靡していた人気俳優の若すぎる死を、多くの人が悼んだという。  でも、幼かった俺は当時のことはほとんど覚えていない。その後母親が心を病んで俺を育てることができなくなり、後見人となって実質的に俺を育てたのが哉太さんだった。  哉太さんのことは、父が死ぬ前から知っていた。父と母の俳優仲間として家にも良く遊びに来ていたことを、うっすらとだが記憶している。 「いやあ、今年もかなり多いね。もう僕らの分まではいらなかったかな」  周囲の他の墓に比べるとまるでパーティの飾りつけがされているかのように華やかな父の墓を前に、哉太さんが笑う。それから、すでに置かれている花を横に除けて、墓石の真正面を図々しくも開けると、俺が桶を持つ代わりに渡していた花と自分の分とをまとめてそこに置いた。  遺族なんだから、図々しいも何もないか。  それでも、俺はほとんど面影も覚えていない父に対する自分の思いと、この花をわざわざ備えに来た生前の父のファンだっただろう人達の思いとを比べると、つい自分の方が端に控えるべきなのでは思ってしまう。 「哉太さんは、いつも百合の花ですね」 「そうだね。特に意味はないんだけど、大きい花の方が見栄えが良いかなと思って」 「もしかして、父の好きな花だったんですか?」 「なんでそう思うの?」 「俺の名前……由理(ゆうり)だから」 「ああ、なるほどね。でもちがうよ。名前の由来、前にも言わなかったっけ。言ってたんだよ、君は――」  ――君は、自分にとっての生きる「理由」だから、だからそれを名前にしたんだって―― 「覚えてます。本人が死んでるのにそんなこと言われても、って思ったけど」  哉太さんが繰り返そうとした言葉を遮ると、哉太さんは少し驚いた顔をしてから、すぐにからっとした笑顔を見せた。もし大学に学生としていたとしても不自然でないくらいに若々しい笑顔だった。 「はは、ほんとに。そうだよなあ」  ははは、と笑いを引きずりながら、ジャケットのポケットから煙草を取り出した。哉太さんは喫煙者だけど、俺の前で煙草を吸うことはほとんどなかった。毎年の墓参りの時だけが、哉太さんが煙草を吸う姿を見る唯一の機会になっている。  例年と同じように、煙草に火を点けるついでのように線香に火をつけて、適当に手を合わせてから煙草の続きを吸い始める。そして、 「……初めてこの人に会ったのが、丁度僕が今の由理くんの年齢の時だった」  まるで映画の独白シーンのように、目線を墓石に向けたまま話を始めた。 「気が合ったんだろうね。仕事以外でも良く遊んだし、煙草も酒もこの人に教えてもらった」  去年と同じ光景のはずが、哉太さんがその話を始めた途端に、空気ががらりと変わったのを感じる。俺は固唾を飲んで、ボロボロになった一本の糸のように繊細に紡がれ出した哉太さんの声に耳を傾けた。 「そんな時、この人に恋をする役をして、役と本当の自分の気持ちの境が分からなくなった」  そう言われて、俺の頭には一本の映画のタイトルが浮かんだ。自分が生まれてからの父の記憶よりも、父が死んでから見た父の出演作で見た姿の方が、イメージとしてはしっかりしているのだ。  父と母の両方が出ている唯一の映画を、俺は最近になるまで見ることができなかった。喪失の記憶を思い出す恐怖と、現実で結婚した二人のラブストーリーというものに対する身内ゆえの生々しい気恥ずかしさが俺にその映画を避けさせていた。  それがたまたま、大学の友人に誘われて行ったミニシアターで上映されていた。友人の彼は、哉太さんのファンだと言っていた。そこで初めて、俺はその映画に哉太さんも出ていることを知った。 「皮肉なことに、この人はその時一緒に共演した君のお母さんの方と恋に落ちて、そのまま結婚して……そして君が生まれていた」  主要な出演者のほとんどが自分の身近な人で構成されたその映画を、俺は素知らぬ顔で見た。そして、ここに花を手向けに来る人達の気持ちが、少しだけ分かった気がした。父は、見ず知らずの他人に花を手向けさせるくらいの力を持っていた人なのだ。  表情、目線、仕草のひとつひとつに、人の目を惹きつける魅力があった。儚い笑顔から、荒げる声から感じる感情が、偽物などとは到底思えなかった。  画面の外で見ている自分達はもちろん、画面の中の登場人物も、なんの不自然さもなく父に惹かれていった。 「この人は、今でも僕にとっての生きる理由だから。だから、この花を選んでいるのかも知れないね」  哉太さんはおもむろにその場にしゃがみ込むと、地面に煙草を押し当てて火を消した。吸殻を離した手が、墓石に触れかけて寸前で止まる。一度握りしめられたその手が、そっとほどけて、自らの供えた百合の花びらを撫でた。  写真とは、撮るのではなく、風景や人に撮らされるものだ。  なんと恥ずかしいことを言うのだろうか。そう思っていた自信家の先輩の言葉がふと思い出される。目の前の人の姿は、確かに、撮られる人ではなくて撮らせる人の姿だった。  胸に手を当てて、天に向かって祈る。その一瞬の、この世の哀しみの全てを背負って耐えているような表情が、俺の瞼の裏に焼き付いた気がした。  花は、手向けるのではなく、手向けさせられるものだ。  恋は、恋するのではなく、恋させられるものだ。  あなたがこの人に恋をさせたように、俺は今――

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