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それぞれの覚悟(前編) ※カースの寿命が尽きる日の話です、死ネタの苦手な方はご自衛ください。

「……覚悟は、もう出来たか?」 あの人は、慰めるような声で、森色の瞳を少しだけ揺らして、俺にそう尋ねた。 カースが風邪をひいたのは、もう七日ほど前だ。 冬祭りが終わって、皆ホッとしていた。 カースも気が緩んでいたんだろうか。 三日目の夜から、咳が止まらなくなった。 うつるといけないからと言われて、俺はここ三日、彼に会わせてもらえなかった。 それが、治ったわけでもないのに「顔を見せてあげてください」なんてロッソが言うから、俺は慌てて駆け付けた。 カースは、ほんの三日見なかっただけで、すっかり細くなってしまっていた。 「なんだ、来たのか。……お前にも、うつるかもしれないぞ……?」 カースは苦しげな息の合間に、絞るような声で、そう言った。 それから丸一日、俺はカースのそばを片時も離れずにいる。 いつもなら「主人様はご自分のお仕事をなさってください」なんて言ってくるロッソが、今回は何も言わなかった。 「うん……、もう出来たよ」 俺は、まだ半分も出来ていない覚悟を、嘘で必死に固めながら答える。 カースが、少しでも安心できるように。 カース……。 嫌だよ、死なないで。 俺を置いていかないで。 もう離れないって、ずっと一緒だって、言ってくれたのに……。 そんな言葉を、ひとつも漏らさないように、全部全部、噛み潰して。 「約束……覚えてるな?」 カースが、静かな瞳で俺を見る。 約束……。 記憶を辿れば、あの北の山から帰った次の日の会話が胸に蘇った。 カースは、あれを本当に約束だと思ってくれてたんだ。 死んでも。魂だけになっても。 そばにいてくれるって話……。 「うん、覚えてる。忘れないよ」 『そうか、それならいい』と、カースの瞳が告げた。 優しく細められた瞳には、死の色が濃く映っていた。 その明け方に、カースは逝ってしまった。 不思議と涙は出なかった。 ただ寂しくて寂しくて、胸が苦しくて仕方なかった。 葬儀はロッソが全てを整えてくれた。 子ども達は全員、一人残らず帰って来て、カースを悼んでいた。 子ども達が近況を報告してくれるのを、俺はどこか夢の中にいるような気分で聞いた。 結婚したとか、子どもが産まれたとか、そんな喜ばしい報告に、それはよかったね。と、カースもきっと喜んだだろうにね。と、笑顔で返しながら。 子ども達は皆、俺とロッソの心配をしながら帰った。 俺を心配して、ここに残ろうとしてくれた子もいたけど、ロッソがそっと帰していた。 俺は、胸にポッカリと、大きな穴が空いてしまって、何もする気になれなかった。 いつの間にか夜が来て、朝が来て、また夜が来る。 ロッソが運んでくれる食事を、食べられるだけ食べて、ロッソに布団に詰め込まれれば、なるべく目を閉じるようにしていた。 『自分のために出された食事は出来る限り食べろ』とか、『夜は眠くなくても目を閉じて頭と身体を休めろ』とか、カースが教えてくれた言葉が、どうしても蘇るから。 何日か経つと、ロッソが俺を外に連れ出した。 外には、春が訪れていた。 ぽかぽかあたたかい陽射しが、眩しくて、明るくて、なんだか全部が嘘みたいだった。 俺は今も夢の中で、目を覚ませばカースが隣で寝てるんじゃないかと、そんな気持ちがいつまでも消えない。 ロッソに木剣を渡されて久々に剣を振るえば、驚くくらい腕が鈍っていて、ロッソに一勝も出来なかった。 「主人様……」 土のついた俺を引き起こしながら、ロッソの黒い瞳が不安げに、どこか縋るように俺を見つめている。 「ありがとう……、大丈夫だよ」 俺が笑顔を見せても、ロッソはほんの少し痛みを堪えるように眉を寄せただけだった。 「……心配かけてごめん。自分でも、どうしたらいいのか分からないんだ。悲しい気持ちが、ずっと消えなくて……」 苦笑して言えば、ロッソはその瞳にうっすらと涙を浮かべた。 ロッソがベッド以外で涙を見せるなんて、珍しいな。 俺はそんなに、心配させてしまってるのか……。 「ロッソ……」 ロッソの滲んだ涙が零れる前に、俺はそれを親指の腹で拭う。 なんだか、それが零れる様は、見たくなかった。 「主人様が……泣かないからです……」 ロッソは、ほんの少し震える涙声で言い返した。 確かに俺は、カースを失ってから、一度も泣いていない。 きっと、悲しみも寂しさも、涙とともに少しずつこの身体から流せば、消えてゆくのだろう。 けれど、この悲しみも寂しさも、カースが最後に俺に残してくれたもので……。 結局、俺は、彼のくれたこの感情を手放したくないんだ。 そんな困った自分にようやく気付いて、苦く苦く苦笑する。 「……俺の代わりに、泣いてくれてるの?」 ロッソは答えなかったけれど、黒い瞳は俺の言葉を肯定していた。

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