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1 大学生活

 今年の夏休みも充実していた。課題は早めに終わらせ、アルバイトに精を出し、部活の練習に明け暮れた。費用をどうにか捻出して、合宿にも参加した。昨年は山だったが、今年は海辺の施設に泊まった。夜に砂浜で花火をした時の写真を、スマホの待ち受け画面に設定している。授業前にも関わらず、眺めてにやにやしてしまう。   「伊吹(いぶき)ちゃん久しぶり~。隣いい?」    疑問形で言いながら、俺の返答を待つ素振りもなく、堂々と隣に腰掛ける。   「ちゃん付けやめろ」 「あは、それ入学式からずーっと言ってるよねぇ。でも伊吹ちゃんは伊吹ちゃんだし、今更変えられないよ」 「というか、どうしてわざわざ隣に来るんだ。こんなに空いてるのに」 「いや~、夏休み中会えなくて寂しかったからさ」 「先週飲み会やっただろ……」 「まーまー、そう言わずに」    ケラケラ笑うと、眩しいほど明るく染まった金髪が揺れる。   「ところでさ」    彼は声のトーンを僅かに落とし、俺のスマホを覗き込んだ。俺はさっと画面を伏せる。   「見んな」 「いやいや、待ち受け変えたんだ~と思ってね」 「……牧野には関係ない」 「照れないでおくれよ。どうせまた、愛しの叡仁(えいじ)先輩の写真だろう? オレにもよく見せてくれよ」 「別に照れてない」 「じゃあ見てもいい? いいよね?」    牧野は俺の手からスマホを取り上げ、そのくせあまり興味なさそうに画面を見る。   「これ、いつ撮ったの? 先輩と海なんか行ったのかい」 「いや……まぁ、そうとも言うか」 「なにっ、とうとうやったのか! おめでとう!」 「いやいや、違う違う! ただその、合宿で海の近くに行って、夜暇だから、みんなで花火して、その時の写真。だから別に……」    先輩と二人で海に行ったとか、そんな話では全然ないのだ。誘う勇気は俺にはないし、誘ったところで断られるのは目に見えている。   「なーんだ。夏にかこつけて何か進展したのかと期待したのに」 「まさか。その気もないのに」 「まーね。まさかとはオレも思ったよ? でもほら、万が一ってこともあるじゃないか。伊吹ちゃんにだって可能性はゼロじゃないだから、簡単に諦めちゃダメだぜ」 「……お前に励まされても何にもならないが」    図々しかったり馴れ馴れしいのが玉に瑕だが、牧野は基本的にはいい男だ。口が裂けても本人には言わないが。   「おー、他にもいっぱい写真撮ったんだね。カメラロール、叡仁先輩ばっかり出てくる」 「は? おい、勝手に見るな」 「砂浜に佇む先輩、夕日を眺める先輩。お、これなんか面白いな。すごい寝癖の先輩」 「おい、ふざけるな、早く返せ」    つい声を荒げて立ち上がる。既に授業は始まっていて、俺と牧野は仲良く先生に怒られた。やっぱりこいつのことは好きじゃない。        昼休み。食堂へ行く途中、廊下の向こうに叡仁先輩の姿がちらっと見えた。俺は脇目も振らずすっ飛んでいって、先輩に挨拶をする。   「一色(いっしき)先輩、こんにちは!」 「誰かと思えば、藤井か。元気にしていたか? 廊下は走ると危ないぞ」 「超元気です! すいません、先輩とこんなところで会えると思ってなくて」    叡仁先輩、今日も見目麗しい。半袖のシャツから覗く腕は鍛え上げられて逞しい。艶のある漆黒の髪は七三に掻き上げて、凛々しいおでこを露わにしている。聡明な雰囲気と大人の色気が溢れ出ていて、思わず見惚れてしまう。   「どうした? 俺の顔に何かついているか?」 「あっ、いえ、何もないです、すいません!」    笑った顔も美しい。端整な顔が緩むと、頬にえくぼができる。   「ところで藤井。食堂はどの辺りだったかな。こっちの方へはあまり来ないから、忘れてしまった」 「! 先輩もこれからごはんですか。俺もこれからなんです! よかったら一緒に食べましょうよ」    つい浮かれて、誘ってしまった。しかし先輩は実にすまなそうな顔をして、すまない、とはっきり言う。   「今日は先約があるんだ」 「あ……そ、そうですよね。すいません、急にこんなこと言って」 「そんな顔をするな。また今度、焼肉にでも連れていってやろう」 「はい。ありがとうございます」    食堂はあっちの階段を下りてすぐです、と指さしで案内すると、先輩は俺の頭を撫でて足早に行ってしまった。   「フラれたなぁ」    背後で牧野の声がした。   「何だお前、いたのか」 「いたよ! ずっと待ってたよ! 何なら話も聞いてたし」 「盗み聞きとは趣味が悪いな」 「違うって! なんでそう強情なのかな。せっかく慰めてやってるのに」    肩に置かれた牧野の手を、俺はやんわりと外す。   「……待たせて悪かった。早く飯にしよう」    食堂は既に多くの学生で混み合っていた。俺達も食券を買って列に並ぶ。かなり安いがそこそこ量があって美味いので、ほとんどの学生は食堂で昼食を済ませる。俺と牧野もそのうちの二人だ。   「ふぅー、やっと落ち着けるよ。授業は早めに終わったのに、誰かさんが立ち話なんかしているせいで」 「悪かったと言っただろ」 「おっと、伊吹ちゃんを責めてるわけじゃないんだぜ。せっかくの誘いを断る叡仁先輩が悪いんだ」 「……あれは、まぁ……彼女だろ」    小さな溜め息は周囲のざわめきに掻き消される。   「さっき、パン屋さんのテラス席に座ってるのが見えた」 「ふーん。オレは気づかなかったな。彼女って、教育学部じゃなかった? 先輩だって、医学部棟からは遠いだろうに」 「さぁな。体育の授業でもあったんだろ」    俺と牧野は体育専門学部。略して体専。郊外にあるうちの大学はキャンパスが馬鹿みたいに広いので、学部ごとにメインで使う建物は固定されている。だから先輩は基本的に医学部棟で勉強をしているし、先輩の彼女も教育学部棟で授業を受けている。今日はたまたま二人とも、体専棟に用事があったのだろう。そういうことにしておきたい。    牧野は何か楽しそうに喋っていたが、俺は黙々とうどんを啜る。突然、向かいに座った牧野の隣に女が腰掛けた。いわゆる女子大生っぽい雰囲気の女だ。明るめの茶髪を緩いパーマにして、ふわっとしたスカートに白いブラウスを着ている。俺のことなんて一切眼中にありませんよって感じで、女は牧野にべたべた纏わり付く。   「ちょっと司くぅん。今日一緒にごはん食べよって言ったじゃぁん」 「ごめんね。夜のことだと思ってた」    癇に障る鼻声だ。そして牧野の口調はどこまでも軽い。約束をすっぽかしたくせに。   「夜でもいいけどぉ~、せっかく午前休だったのにぃ」 「オレのせいで、ごはん食べ損ねちゃった?」 「パン買ったから大丈夫だけどぉ。司くんと食べたかったのに~」 「夜はイタリアンにしようか。最近できたお店、あるでしょ?」 「わぁっ、うれしい! あたしぃ、あそこ一回行ってみたかったの~。ワインがおいしいって聞いて~」 「じゃあ決まりだね」    薄ら寒いやり取りを薄目で見ながらうどんを啜る。もう汁しか残っていない。三限があるからと言って、女は手を振り帰っていった。   「また新しい女か」 「やだなぁ、伊吹ちゃん。オレをヤリチンみたいに」 「実際そうだろ。お前のそういうところ、不潔だぞ」 「不潔だなんてそんな、酷いぜ。あの子とはまだお友達だよ」    まぁ一回寝たけどね、と俺だけに聞こえるように言ってにやりと笑う。   「やっぱり不潔じゃないか」 「違うんだって! だって彼女、オレのこと好きだって言うからさ。家に呼んだら普通に来るし、だからまぁ、その、ね……」 「そう言って先輩も後輩も食ってたろ。サークルの同輩も食い尽くしてた」 「全部同意の上だからね!? 伊吹ちゃん、自分がモテないからってイライラしてるのかな? ストレスには牛乳が効くよ。それに背も伸びる」 「うるさい。背はこれから伸びるんだ。それに俺はお前と違ってモテを重視してない」 「成長期なら尚更たくさん食わなきゃダメだぜ。オレみたいに」    牧野はお盆を持って立ち上がる。生姜焼き定食大盛りをぺろりと平らげた。   「三限あるから、もう行くね」    そう言って、さっさと行ってしまった。三限なら俺も入っている。取っている授業は違うが。そろそろ昼休みが終わるので、食堂は人影が疎らになってきた。俺も急いで汁を飲み干した。

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