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第7話 蒲田にて(6)

 さく、さく、という静かな足音は、控えめに響いていた。両脇に続く朽ちたビルたちは、真っ黒い目で道を見下ろしている。月は分厚い雲を通して、死にかけた淡い光を見せていた。  日が暮れてから、人通りのない場所を歩くのは自殺行為だ。警察機構のない所では、自分の身は自分で守るしかない。風が吹き、毒の混ざった埃が舞う。(れん)はフィルターマスクをしたまま口元を押さえ、懐中電灯で慎重に足元を照らした。  戦争が始まる前、ここは駅周辺に広がる繁華街だった。ゆっくりと懐中電灯の光を上げる。目の前には、廃墟となった建物が不気味に並んでいた。そこそこ人が住み着いているので、低い階層の窓はぼんやり明るい。彼は角のビルの名前を確認すると、道を曲がった。  数分歩くと、ホテルだった建物にたどりつく。エントランスにはライトがひとつ灯っていた。闇に押し包まれ、今にも消えそうな心細い灯りだ。それでも、彼は微かに息を吐いた。  静かにガラスドアを押して入っていくと、フロントにいた男が顔を上げる。居眠りをしていたのだろう。目がしょぼしょぼと瞬き、暗い場所に立つ彼を確認するように細くなる。  電力を節約するために、屋内は常に薄暗い。このホテルのホールも例外ではない。灯りはほとんど取り外され、フロント前だけがぼんやりと明るい。  足音を立てずに、彼はフロントに近づいていった。フィルターマスクを外して顔を見せる。 「怜ですが」  受付係はうなずき、手元の帳簿で部屋番号を確認する。身じろぎと共に、何年も風呂に入っていない、酸っぱいような甘いような強烈な臭いが漂ってくる。爪が伸びた真っ黒な指先で、受付係は目指す番号を叩いた。 「805」  怜はうなずいてフィルターマスクをつけ直し、階段へ向かった。

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