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第12話 【2年前】(1)

【2年前】  パーティーは、絶望的なまでに盛り上がらなかった。  そもそも、それはパーティーと言えないものだったのだ。どうしてパーティーをしようなどとキハラが言い出したのか、今となっては誰にもわからない。  まぁ、多分飲みたかったのだ。アルコール券はまだ全員持っていたし、皆けっこう疲れていて、ここらでプロテイン飲料以外のものを飲まないと、やる気を見つけられない状態だった。  無理にでも、何か口実を見つけて気分をあげよう。そういうヤケのようなきっかけで、それぞれが公立マーケットから好きな酒を買ってきた。サキはとっておきのソーセージを出し、ヤシマはなんと、汚染されていない米を持ってきた。実家から送られてきたというからすごい。皆で固唾を飲んでガイガーカウンターをのぞき、音が鳴らないことに泣いて喜んだ。  キハラは知り合いのツテで調達したという卵を10個も事務室に持ってきたので、サキはゆで卵にした。戦争前には生卵をそのまま炊きたての飯にのせたものだが、今となっては信じられない。  ビールとチューハイ、塩の握り飯とゆで卵にソーセージ、それと冷蔵庫の野菜室に放り込まれていたジャガイモ。あとは、大事にとっておいたスナック菓子の類。贅沢ではなかったが、最低限の食事以外に、味があるものをこんなに食べるのは久しぶりだ。サキはタブレットで古い古い歌を流し、そのどこか懐かしい旋律をみんなで聞いた。  歌はどうやって歌うのか、みんなあまりよくわからない。流れてくる曲に自分の声を合わせるというのは、彼らには難しかった。  どうやら集まって飲んでいるという話を聞きつけて、他の連中も途中からやってきた。最終的に20人近く集まったが、その中にレンがいた。第3チームのミヤギが、サキに紹介するために連れてきたのだ。  レンは小さな瓶に入ったウイスキーと食パンを持ってきた。  トースターなんてないので、電子レンジで適当に温めた食パンを皆でつまむ。妙に水分を含んでしまった食パンは、それでも小麦粉の味を楽しむには十分だった。  サキは、事務室に入ってきたレンの姿を今もよく覚えている。伏し目がちな視線を睫毛が守り、白い頬がどこか頼りなげだった。なのに目が合った時のレンの印象はまったく違った。  どこか人の心の裏側を撫で回すような目つき、と言えばいいのだろうか。入ってくるなりなぜか目が合って、けぶるような睫毛の奥から、レンはじっとサキを見つめてきた。茶色の瞳は理知的なのに眠そうで、湖の底に射し込む日の光のようにぼやけていた。  レンは皆に会釈をしただけで、何も話さなかった。部屋の隅っこの床に直接座り、何か食べるわけでもない。持ってきたウイスキーも皆にあげて、自分は水を飲んでいた。臓器や手足が自前ではない者の方が多い時代だから、他人が何を口にしているかは誰も言わないのがマナーだ。だからそれは、特に気になることではなかった。  むしろどんな声をしているのか、サキはなぜかそれが気になった。今までそんなことを誰に対しても考えたことはなかった。外では、フィルターマスクをしていない地声を聞くことはあまりないし、ここに饒舌な奴は滅多にいない。大体の人間はかすれた声しか出せない。戦争からこっち、腹の底から声を出すというのは命にかかわるのだ。  それなのに、サキはレンの声を聞きたいと思った。ささやきでいい。いや、ささやきがいい。  そうしてサキは、手洗いから戻ったついでにレンに声をかけたのだ。 「ミヤギのチームだったか?」  あたりさわりのない質問に、レンは視線を上げた。 「はい、第3です。まぁ……まだ3日しか経ってないですけど」  そう言うと、レンは曖昧に笑った。柔らかい艶を残した声だ。思ったとおり、もっと聞きたい声だった。 「あぁ、じゃあまだ緊張が残ってる感じかな」 「そうですね……どこに何があるかはわかってきました。公立マーケットのおばちゃんには、もう覚えてもらえましたし」  レンはそう言うと、持っていたグラスを振った。乾杯のつもりらしい。サキは傍らのデスクにあった綺麗なグラスを手に取った。レンが水を注いでくれる。 「ありがとう。俺はサキ……。サキ・薫」 「オレはレンです。実はそれ以外の名前がなくて」 「あぁ。ここには全部そろった奴なんかいない。よろしく」 「よろしくお願いします」  サキが軽く冗談を言ってやると、レンはほっとした顔になった。思ったより若いかもしれない。見た目の年齢は正直アテにならない。顔なんていくらでもカスタマイズできる。  ヤシマとキハラ、それにミヤギはポーカーを始めていた。誰かが置いて「行った」プラスチックのトランプは、この建物の中で唯一すべて揃っていて、気晴らしのためにしょっちゅう使われている。他の連中は思い思いに飲み食いをしながら、その様子を眺めていた。  静かな時間だった。小さな音で、どこかの誰かの歌が流れている。色褪せた付箋がチップ代わりに使われ、ワンペア、ツーペアでぽつりぽつり勝っても、やはり勝者は嬉しそうな顔をした。勝ったところで何があるわけでもない。それでも、各々が丁寧に付箋を並べる。 「で、レンは宿舎に入ったのか?」 「ええ」  他にどこに住むんだ。そういう顔で、レンは水をこくりと飲んだ。白い喉が動く。宿舎はここから歩いて5分程度のところにあった。コンクリートのそっけない4階建てで、戦前はここらにあった会社の独身社員用に作られた社宅だったとかなんとか。 「サキさんは?」 「あぁ俺も宿舎だ。303。君は?」 「ちょうど上ですね。403です」  ヤシマがスリーカードで勝ち、青い付箋は床にあぐらをかいたヤシマの靴に貼られた。 「あぁ、その部屋か……」  先月から、403は空いていた。 「シャワーのお湯が出ないんじゃないか?」 「出ませんね……いくらいじっても水しか出なくて、コンロでお湯を沸かして使ってます。そのうちあきらめて、水だけで生活を始めそうですが」  水を飲みながらレンは笑った。右頬に小さなえくぼができた。 「だろうな。シャワーを浴びたければ、俺の部屋に来るといい。皆そうしてる」  レンの目が丸くなった。 「直す、のではなく?」 「う~ん、前の住人が出た後に直すっていう話はあったんだが、まだそのままだ。そのうち部品が手に入れば直そうとは思ってるんだが……。あの宿舎で一番しっかりお湯が出てシャワーをまともに浴びられるのは、実は俺の部屋なんだ。だから皆、ちゃんとシャワーを使いたい時には俺の部屋に来る。教わらなかったのか?」 「教わったような気もしますけど、その、挨拶にも行っていない新入りがいきなりシャワーを使いに来たら、サキさんだってびっくりするでしょ」 「そうか? ここは出入りが激しいから、あんまり気にならないなぁ。俺が部屋に入ってほしくない時には鍵をかける。そうじゃないときは勝手に入ってシャワーを使っていい。石鹸やらなにやらは自分のを持ってくること。それがルールだ。あとは……好きにやってくれ」 「わかりました」  レンは丁寧に返事をすると、部屋の中へ視線を戻した。皆静かだ。外は黒ずんだ雨が降っていた。時間は8時を回っている。今夜は何時に帰れるだろうか。雨が上がってくれればいいんだが。でもこればかりはネットの予報だって教えてはくれない。 「サキさん明日休みですか?」 「ん~、休みじゃないが、予報では天気が悪いって出てたから、うちのチームは全員、午前中は外出自粛にした。第3は?」 「オレたちもです」  ぼんやり答えながら、レンはリノリウムの床にグラスをコトリと置いた。中で揺らめく水をじっと見ている。指先がすいと伸びる。白くきれいなレンの中指がグラスのふちをなぞった。輪郭を確かめ、ガラスの冷たい感触を味わうように。ゆっくりと甘く触れていた中指は、薬指と一緒にグラスの奥へと差し入れられる。水に浸された指が、サキの目の前で引き抜かれ、再びふちをなぞった。  ヒィィン、と音が鳴る。部屋中が、驚いたようにレンの手元を見ていた。  水とグラスが、澄んだ鋭い音を出したのだ。  それはどこか物悲しさを湛えた響きだった。誰も感想は言わなかったが、次の音を待っていた。  誰ひとり知らなかった音。  レンはグラスを見つめ、顔を上げるとサキを見た。どこか眠そうで、夜にくゆる煙のような目。なのにその奥には、誰にも触れさせたことのない澄んだ光が確かに潜んでいる。  サキの腹が、どくりと疼いた。

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