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第47話 【2年前】(24)

 エトウが到着した時には、サキたち3人はワゴン車に放り込まれ、連れ去られた後だった。  あのバカ。  どうせ人質奪還は口実で、タカトオのツラを見に行きやがったな。  エトウはそう思ったものの、そうした個人的事情を今誰かに話すわけにもいかない。とりあえず警戒の手筈を整え、エトウはグループ全体を図書館に引き上げさせた。これからどうするか。  どっかりとサキのデスクの椅子に座り、エトウは腕を組んだ。  サキは特に何も言わずに行ったが、ヒントは残してあるはずだ。じっと考える。まず……。事務室の中でも、サキのデスクは変な場所にある。奥ではなく、半端に入口に近い。ドアを開けておくと、廊下から閉架式の書庫の入口までが見通せることにエトウは気付いた。  なるほど。書庫に籠っていない時でも、ここにいれば書庫に出入りする人間を見張ることはできる。次にデスクを見回す。サキは、デスクにブックスタンドとデスクライトを置いていた。本の並びは……銃関係の本と戦国時代の歴史書。あとは建築資材の本と会社経営に関する本。憲法や刑事訴訟法の基本書。法制史。  奥にはB4ほどの大きさの化粧板が、視界を遮らないようにデスクに取りつけられている。掲示板のようなその板には、サキの個人的なメモが付箋やルーズリーフに書き込まれて整然と貼られていた。  エトウはそれを眺めた。戦略的に重要な情報はもちろん書かれていない。全体に周知すべき情報も、入口近くのホワイトボードに集約されているので、ここに書く必要はない。  サキの雑な手書き文字をたどる。誰かのチーム移動願い、新人の簡単な経歴、チームリーダー会議の日程、その他……。  一番上まで見ていって、エトウは1枚のルーズリーフに目を留めた。ど真ん中を縦線で区切り、両側に鉛筆で何かがびっしり書かれている。左に「未」、右に「済」とタイトルがあった。ざっと見て、それが本のリストだということにエトウは気付いた。有名な哲学書や文芸作品、推理小説から実用書まで、脈絡なく並んでいる。  画鋲で止められていたそれを、エトウは外して手元に下ろし、じっくり読んだ。  サキの記憶力は驚異的だ。論文やレポートを書く時の正確な文献表はさすがに作成していたが、それ以外のプライベートな読書のためにこうしたリストを作ること自体、サキには珍しい。  読んだか読んでいないか、という情報の区切り方をしているくせに、まだ読んでいない本には作者や分類番号など、本を見つけるための情報は一切なかった。本当に、単なるタイトルだけのリストだ。  リストにはもうひとつ、エトウでなければ気づかない変なところがあった。  並べられた本は、ほとんどが翻訳書だった。サキは律儀に英語やドイツ語の原タイトルと日本語の翻訳タイトルとを書いている。全然違うタイトルに訳されているからというわけでもない。直訳に近いものまで、サキは丁寧に2つのタイトルを書いているのだ。 ──あいつ、二外はドイツ語だったよな──  サキは大学時代の第二外国語でドイツ語を選択していた。他の生徒とは違い、ドイツ語の原書を読みこなすところまでいき、昼飯を食べながらのんびりヘッセを読んでいたのがサキという男だ。英語は高校時代から普通に原書を読んでいた。つまり原タイトルの直訳なら日本語を書く必要はない。  文字を読まない人間にも、サキという男を知らない人間にも意味をなさないリストを、エトウは読み解いていく。「済」の欄の真ん中辺りにそれはあった。  たったひとつ。英語の原タイトルだけで日本語の翻訳タイトルがないものがある。サキの読みにくい筆記体をエトウはスマホの検索に打ち込んだ。Moby-Dick。日本語のタイトルは──『白鯨』。 「なるほどね」  エトウは書庫の入口を見た。統括ペンダントはそこにある。それはつまり……。  手招きで自分の護衛チームを呼び集めると、エトウは全員に指示を出した。 「今から、24時間交代でこのデスクに座って、書庫の入口を見張る。順番を決めるけどジャンケンでいいか?」  うなずくメンバーを見ながら、エトウはひとり思った。 ──頼むから、復讐に目がくらんで海の藻屑になるのはやめてくれよ。薫──  生きて帰ってくる気はないかもしれない。  その予感に、エトウは顔をしかめながらリストを折りたたみ、ポケットに突っ込んだ。

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